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2012年 01月 31日
日本の北部と日本海側にはかなり厳しい寒波が押し寄せてきていますが皆さんいかがお過ごしですか?真夏にはちょっとした野菜にギンギンに冷えたビール、つまりなぎら健壱風に言えば「チンカチンカのルービー」が無条件にごちそうであるように、寒波などが押し寄せてきている時には「温かいもの」というだけで無条件にごちそうという感じがいたします。「温かいもの」「湯気が出ているもの」といえば、鍋料理をはじめいろんなものを連想いたしますが、先日の ちゃんこチャウダー にさらに投資を重ね、チャウダーというよりはやはり相撲部屋に海鮮や野菜、そしてキノコなどの差し入れが相次ぎ、外国人力士もいることだから「クリームシチュー風のちゃんこ鍋にしちゃえ」ということでできた鍋をイメージしての第2弾であります。 「クラムチャウダー」の「クラム」とは「二枚貝である」という定義から、二枚貝ではあるのでしょうがホタテを鍋のなかの主人公としてキャスティングさせていただきました。相変わらずいい出汁を出汁ますし、友情出演の海老などとも非常に仲がよろしい。ホタテは絵として黒こしょうが映えるところも主役に抜擢した理由です。クラムチャウダーでホタテを連想するアメリカ人力士はあまりいないでしょうが、相撲取りの宿命として食べられるものはすべて「ちゃんこ」と言います。それで、「This is ちゃんこ!」 と明確に定義できます。食べられますから。食べられるどころか寒い時には最高に美味しいですから。真面目な話、いくら不景気でも「高級なものに対する食欲や好奇心」というものは1990年頃をピークにして自分のなかではだんだんと感じなくなりました。しかし「温かいものに対する切望感」のようなものはだんだんと増してきております。温暖な地方にお住まいの方々も含め、世の中全体も、そうなってきているような気がしています。マーヒー加藤 コッヘルバックナンバー 2012年 01月 29日
長女はまだ受験生というような頃合いではないものの中学生になっている。 私が中学生であった頃は、勉強といえば主にテスト期間中に AMラジオの深夜放送を聴きながらの「ながら勉強」であった。 具体的にはニッポン放送の午前1時から3時までの オールナイトニッポン第一部を聴いていることが多かった。 一番のお気に入りは火曜日(水曜早朝ともいえる)の 自切俳人(じきるはいど)であった。 この人の正体はフォークルセダーズの北山修であった。 北山修は精神科医、心理学者であり、現在はどうしているのか? と調べると昨年の四月から ICU(国際基督教大学)の教養学部の客員教授になっている。 1977年から1978年、私の中学生時代に その深夜放送のエキセントリックな番組のDJを勤めていた。 また、私の中学生時代の水曜日(木曜早朝ともいえる)の オールナイトニッポン第一部は、まだ密室芸時代の色が濃かった タモリが担当しており、週の半ばは寝不足が続いた。 もしかしたら「ながら」勉強は役にたっている! 2012年 01月 26日
久々にキャンベル(缶詰)のクラムチャウダーを飲んでみた。キャンベルジャパンのクラムチャウダーは日本人用にアレンジがされているせいもあるのだろうが、なんだか「俺が飲みたいのはこういうのとチャウんダー!」と叫びたいような気になってしまった。キャンベルの悪口を言うつもりはまったくない。むしろ独身時代にはお世話になったとお礼を言いたいぐらいだ。どうせならキャンベルジャパンが行うアレンジよりも、もっともっと極端なアレンジをしてやったらどうだろう?と思って錯誤のうちの試行をしてみた次第であります。そもそもクラムとは何か?クラム何グラム?アサリだと言う人もいればハマグリであるという人もいる。まずは大雑把に「二枚貝である」という定義ぐらいで勘弁してもらおう。二枚舌は嫌われるが二枚貝はアサリでもハマグリでもみんなに好かれる。ここでは「ハマグリのように大きなアサリ」というものをまずは投入した。とにかくアメリカ人に見せれば「これはクラムちゃう?」ということになっちゃウンダー。 缶詰の成分表に「クラム」とか「クラムエキス」とか書いてあるものよりも、何たってリアルなハマグリのようなアサリを入れればフォンと言われようがソースと言われようがダシと言われようが、とにもかくにも活きのいい汁になってくれる。次に創作系中華料理で「白菜のクリーム煮」とかいうようなものかそのバリエーションを食べた時に実に美味しかったなぁという記憶があったので白菜を投入。牛乳も増量して投入。投資は大成功だが味は薄くなってくるのでハウスだったかS&Bだったかクリームシチューの素のようなルー状のものをひとかけら投入。オリジナルの缶詰に入っていたポテトの角切りなどはコッヘルの底に沈み、味も外見もキャンベルからはどんどん離れていく。そして、これは美味いです。アメリカ人力士がちゃんこ当番の時に後援会の方から白菜とアサリの差し入れがあった時の相撲部屋のちゃんこ鍋はこんな感じだと思います。マーヒー加藤 コッヘルバックナンバー 2012年 01月 24日
今年の3月17日のJRのダイヤ改正により、青森と大阪を結ぶ特急寝台の「日本海」と新潟と大阪を結ぶ急行寝台の「きたぐに」が、繁忙期の臨時列車としての運行を除いて消滅することになってしまった。私としては子どもの頃からの親しみがあって何とも残念である。「きたぐに」などはいったい何度乗ったか数えることができない。「鉄っちゃん」というほどの鉄道マニアではないにしろ「気質に鉄分豊富」であることは間違いない。寝台列車がどうも時代に合わなくなってきたということは充分に認識していた。飛行機や高速バスの利用客が増えたし、寝台列車のベッド代より安いホテルなどは今はたくさんある。たとえば今の時期であれば、以前はスキー客なども多くいた時代もあった。今でも「きたぐに」の車両にはスキー置き場が一応あるのだが(3枚目と4枚目の写真)この10年間はそこにスキーの板が置かれていることがむしろ珍しい光景になった。 昨年の11月に初めて家族そろって「きたぐに」の寝台で大阪に行ったのだが、家族全員がいきなりこのブルートレインの大ファンになった。シャラポア(妻・日本人)は「リズミカルな揺れでこんなに心地よく眠れるとは思わなかった」と言い、中学生の長女は3年前に私と同乗して以来、次なる機会を楽しみにしていた。小学校4年生の長男はその日をずっと夢見ていた。5歳の末娘は「ベッドが走る!」と感動していた。もう少し体が大きくなったら「きたぐに」の3段ベッドのいちばん上で寝たいと言っていたので、今回のダイヤ改正のニュースを告げるのが辛かった。それでも長年の寝台列車愛好者として「ありがとう、きたぐに」と言いたいが、同時にどこかで「ごめんなさい、きたぐに」とも言いたい。かなりの頻度で利用してきたとはいえ、早さと便利さと合理性を追求してきた者の一員であることに間違いはないからだ。 ブルーズの常套句というべきか古今東西「朝目を覚ますと…」という意味の言葉ではじまる名曲は数多い。文学だがグレゴール・ザムザのように朝起きたら自分がサナギになっているような激烈すぎる変化はシュールすぎるというものだが、朝起きると自分が違う土地に居ることのじんわりとした快感がたまらない。それは早朝だということもあって脳内から「今日はいつもの日常とは違うんだよーん」というニューロンがにゅろーんというパルス信号を出しまくってシナプスに達しつつ全身にかけめぐる。その状態で列車のドアから出たとたんに別な土地の空気が毛穴から入りこんでくるのだ。この感覚で関西に行くには新潟港から船で舞鶴か敦賀に行き、そこから京都を目指すという手はあるにはあるが…やってみたいことではある。あと、ヨーロッパに行ったらユーレイルパスで寝台列車三昧ということをやってみたい。書きながら自分がかなり寝台については鉄分豊富な気質であることに気がついた。 もうひとつ、書いておきたいことがある。新潟県(といっても広いが)というものは上越・中越・下越の三地方に分けられているが、北を上にした普通の地図の表示ではいちばん上が下越となっている。これは関西から日本を見た時代の価値観での命名であろう。実際に、高度成長期以降に田中角栄の帰省がどんどん便利になって東京とのラインが強く速くなった今ではピンとこない人がほとんどであるような気がするが、言葉、食べ物などのさまざまな文化面の伝統から判断すれば、新潟という土地は今の首都圏よりも断然関西とのつながりが深かったというべきである。これは常識というか、当たり前のことを書いているつもりだが現在はその関係性が意識しにくくなっている。そして、事実として新潟から大阪や京都に鉄道で乗り換えなしで行くということについては30年前、いや40年前に比べても格段に不便になっている。マーヒー加藤 2012年 01月 22日
一休さんの師匠の書がうちの寺にある。ただ、金銭的な価値はあまりない。なぜならその書は真筆であることは鑑定済みであるけれども漢詩が書かれたものが半分に切り取られたものであるから。なぜ半分なのかわからないが、もしかしたら残りの半分をうちの寺の由緒に関係ある寺院がもっているのかもしれない。私が居る寺は450年前に加賀の国(石川県)からなぜか新潟県に移転してきている。一休さんと蓮如上人が親友であったことは事実であるようなので、そのことと関係があるのかもしれない。それらは謎であるのだが一休さんにはそういうわけで親しみがある。法語の言葉は一休さんの口癖であり最後の言葉とも言われているものだ。心配しなくていいのならそんないいことはない。心配しないようにしながらも必ず何かを心配して苦労しているのだ。ただ、時代を隔てた中世の方であろうと、宗派でいうならお他宗の僧であろうと、そう言ってくれていた人がいるというだけで励まされることもあるのだ。もっとも、この言葉を新年(というよりも実は年末から)から掲げつつも、一休さんさえ想像だにしなかった原子力発電所の事故に対して、私はこの言葉を口には出来ない。数万年経てば何とかなるのかもしれないが、何ともならないかもしれない。もうひとつ、蛇足だが「大丈夫」という言葉を日常で耳にしすぎることが気になる。確かに OK?とか All right? に相当する日本語は「大丈夫」ということになってしまうのだろうが、ファミレスでメニューを復唱されて「以上で大丈夫でしたか?」というような形で耳にする機会が年々増え続けている気がしている。私だけ?妄想?しかし、私の身や立場を心配されての「大丈夫?」には感謝しつつも、ものすごく軽くなっている「大丈夫」という言葉を心配している。日本語、大丈夫?マーヒー加藤 2012年 01月 20日
2年前の私は手元に置いておいていつでも弾けることと 野外にも持ち出すことを考えていて ヤイリのトラベルギターを欲しがっていたようだ。 2年前の今頃、真剣に買おうと思っていたが 当時名称募集中だったそのギターに TEKTEK(テクテク) という何だか可もなく不可もない名前を与えられたことと 5万円という衝動買いには向かない価格があって二の足を踏んでいた。 実際に手にいれたのはこのギター 2012年 01月 18日
前回のコッヘルメニューにニック・ジャガーなんて名前をつけたので調子にのってリンゴ・スターを登場させる。ただ、ローリングストーンズのミック・ジャガーの名をもじったニック・ジャガーも作り方はたいそうシンプルであるがリンゴ・スターはさらに簡単である。旧約聖書にもリンゴは出てくるのだからリンゴという果実はかなり昔からあるぞ。この果実は過日のものです、なんて最近の話じゃないな。旧約聖書でもなんせ人類が初めて口にしたもので具体的な名が記されているのはリンゴだ。禁断の果実だったそうだけれども、リンゴを口にする以前は何を食べていたのだろうか?ヘビかな?ヘビも自分が食べられては困るので禁断の果実に手を出すようにそそのかしたか?禁断の果実はその後、歴史のいろんなところに顔を出すようになる。 ニュートンは万有引力を研究していてリンゴを発見した。あれ?逆だったかな?やっぱり逆だ。リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見したとかそれは後から作られた逸話だとか。同じイギリスからビートルズというグループが青リンゴのA面(アナログ)とそれを半分に切ったB面のレーベルのアップルレコードから全世界に曲を発信し、それを「禁断の音楽」としたところもけっこうあった。AT車の運転に慣れちゃうとなかなかマニュアル車に戻れなくなるように、使うとなかなかWindowsに戻りにくいという禁断のコンピュータであるMacintoshは右側をかじったリンゴのシンボルマークで社名もそのまんまアップルだ。そして忘れもしない1996年、リンゴ・スターが「りんご、すった~」と禁断のオヤジギャグをぶっ飛ばした宝酒造「すりおろしりんご」のCMに出演した。京都の宝酒造には学生時代アルバイトをさせてもらってお世話になったのだが、リンゴ・スターのドラムは過小評価されすぎなのではないかと常々思っていた私は本当にテレビ画面に向かって「仕事選べよ!」と叫んでいた。今、調べものをしていて気がついたが、リンゴ・スターの最初の妻の名前がモーリン・コックスという。コックスという名字はおそらくコックス種のリンゴのことだと思うので、とにもかくにもリンゴ・スターという人は何とリンゴと縁が深いのだろうかと思う。 現代でも「リンゴという果実の禁断性」を感じてしまった事件があった。それはセブンイレブンの店内である。現在、セブンイレブンはよく見ればほとんどの食品にカロリー表示がしてあると思う。私も15年以上前だが激太り経験があるので参考にさせてもらうこともある。その時、ひと切れのアップルパイのカロリー表示に自分の目を疑った。フルサイズのアップルパイではなくラッピングされたひと切れである。1185kcal!!!このひと切れが豚骨ラーメン2杯分(ただし麺の替え玉はなし)なのか!ただ全国的に流通していると思われるヤマザキパンのアップルパイ(そんなに大きくないよね)が486kcalと表示されているし、チェリーパイとアップルパイが大好物であったアメリカ人の知り合いの巨体を思い浮かべ、この表示はミスプリントではなくて本当かもしれない…と思った。 さて、ようやく本題に入れるが、シロップにドップリ浸したリンゴはカロリーもあるが甘過ぎる。パイナップルを焼いた時に甘みも増してとても簡単ですぐれたバーベキューのデザートになったことを思い出してリンゴを焼いてみた。これも成功だと思う。アップルパイのパイぬきで、具だけを食べている感じになる。感じになるというよりもアップルパイのいちばん美味しいところを美味しく食べていると思えば気分もいい。甘いシロップ漬けに比べたらカロリーもそんなに気にならないので、リンゴ本来の甘みを少しだけアシストやるということと焦げ目をきれいにつける意味でほんの少しの砂糖を上からふりかけて焼くのもいい。マーヒー加藤 コッヘルバックナンバー 2012年 01月 16日
14日の土曜日に日帰りだけれども家族でスキーに行ってきた。関川村のわかぶな高原スキー場である。今シーズンの初滑りである。準備体操の延長でリフトに乗ってから軽く一本滑り、9歳の息子と一緒にリフトに乗って中級者コースへと移動する時のことである。息子が「ああ、スキーは久しぶりだぁ!」と実感を込めて言ったその言葉に、ふと ジャネーの法則 を思い出した。というのは2月25日の(今から考えるとあの大震災の2週間前だ)昨シーズンの滑り納めを息子といっしょにして以来、同じ期間(10ヶ月)のブランクである。しかし、私にはまったく「久しぶりだぁ!」なんていう時間感覚はなかった。昨シーズンの滑り納めが昨日のことのようとは思わずとも、つい先月のことのように思う。同じ10ヶ月のブランクが私にとっては人生の50分の1でしかなく、9歳の息子にとっては人生の10分の1の期間であり、しかもその間に息子は背も伸びて体重も増え、なおかつ初滑りの日を心待ちにしていた。 であるからして、同じ日に同じスキー場のA地点からB地点までのリフトでの移動の時間をすぐ隣で共有しているのであるが、息子の「ああ、スキーは久しぶりだぁ!」という言葉を聞いてからまるで別世界に居るような気持ちになってきた。リフトに乗ることが私にとっては2000回目のルーティーンだとして、息子には100回目ぐらいなのだろうか?伸びしろは大きく、リフトを降りて滑り降りてくればくるほどに上手くなっていく。9歳の息子は馬だとすれば2歳になったばかりであり、クラシックレースがある3歳の1年間に、馬は人間でいえば中学生からいきなり大学生ぐらいになる。私は12歳馬ぐらいだろうか。実際に競馬の競走馬では13歳のオヤジと2歳の息子というものがいるにしても、同じ春夏秋冬の一年間、いや、その時々に流れている時間というものの意味が違うような気がしてきた。マーヒー加藤 2012年 01月 14日
『蜘蛛の糸』はもちろん芥川龍之介の作品である。やはり芥川龍之介はたいした人だ。なぜこれほどの作家が芥川賞を受賞していないのだろうか?と、とぼけたことも言っておいてさっそく本題に入りたい。「蜘蛛の糸」の「糸」がスートラ、サンスクリット語で sutra (सूत्र)、パーリ語でsutta、中国語での音写・翻訳で修多羅(しゅたら)を指しているということがなぜ解説されていないのだろうか?語ることは野暮なことなのだろうか?野暮だとしても久しぶりに草仏教ジャンルでのブログ記事を書きいておきたい。お経の「経」の文字がなぜ糸偏なのかといえば、そのまんま「糸」という意味であるからだ。もうちょっと正確には「たての糸」という意味である。『蜘蛛の糸』の糸は極楽という上の位置から地獄という下方向のベクトルで降ろされてきた糸であるから、まさに見事な「お経」の譬え話であるという他はない。なぜお経の原語が「本」ではなくて「糸」であるのか?私はそこには深い味わいがあると思う。その深い味わいを料理のレシピみたいに書いてしまうと(1)お釈迦様がインド各地で数々の説法をされました(2)でも、お釈迦様は自分で原稿用紙にペンで執筆したわけではなく、その言葉を聞いた仏弟子が南国の葉っぱに樹液でかろうじて記し、それがまさに言葉という言葉の語源にもなったとかならなかったとか(3)その言葉(葉っぱ)を一本の糸をたてに通すことによって、お経というもの、あるいは本というものの原型のできあがりです(4)人々は、言葉を大事にすることは当たり前として、お釈迦様の言葉を一本の糸で「つなぐ」というはたらきを非常に重視してそれを「スートラ」と呼びました(5)そのことを重視したマーヒー加藤は長男が生まれた時、「絵」という文字は「糸に会う」と読めるぞシャラポア(妻・日本人)!と、女の子には多いけれども男の子にはなかなか付くことがない「絵」の文字が入った名前を与えました(6)日本漢字検定協会の「今年の漢字」に昨年は初めて糸偏の漢字が選ばれました… というような味わいがあると思う。ちなみに現在だって「経」の文字が「たて糸」という原意を残している例は少なからずある。地球は仮想のたて糸とよこ糸に満ちている。経度と緯度を計ることをもって今の自分の立ち位置や目標の場所を知ることができる。併せて「ものごとの経緯」という場合もそうだ。「経済」という言葉だって確かに「経世済民」の略語ではあるが、学問として「経済学」などと言った場合は複雑に流通(これも元は仏教の言葉だと思う)する人々の動きと交わりにたて糸を通していくいとなみである。 さて、まず『蜘蛛の糸』はカンダタ(犍陀多)という大悪人の救いを問題としている物語であると言える。カンダタにモデルがいるとすればアングリマーラ(央掘摩羅)ではなかろうか?原始仏典に登場する悪人である。自分が殺した人々の指を集めて首飾りとしていたというから、それがもしも事実だったら口をアングリとさせる他ない大悪人である。お釈迦様に出会ってその教えを聞いてから、その首飾りはどうしようもない重さをもった懺悔のアイテムとなった。とにかく小説世界のカンダタはこの世で行った唯一の善行が「蜘蛛を救った」ことしかないという。小説には詳しく書いていないが他は何をやっていたのだ?しかも蜘蛛を救済したといっても己が踏みつぶして殺そうとしたことを止めたというだけである。ただ「ふと沸き上がった仏心」によっての殺戮停止である。悪人の救済を重要なテーマのひとつとしている『歎異抄』の第一章にも「念仏もうさんとおもいたつたこころのおこるとき」という表現がある。「やったるでぃ!」というよりもやはり「ふと沸き上がる」というニュアンスである。 東京、京都、新潟、三条(これは京都の木屋町や河原町三条と新潟の三条市の両方)などで、冬の時期にギターなどを片手に演奏をしている路上ミュージシャンに出会った時に「ふと沸き上がる気持ち」で近くのコンビニで発熱カイロ(要するにホカロン)を買ってギターケースに投げ込むということをやっていた。ホカロンはコンビニでもひとつ45円ほどで売っているので50円玉を投げ込む人の方が気前がいいというようなものである。冬でもサーフィンをやっている人はかなりの腕前の人が多いのといっしょで、冬でも路上で演奏している人やグループはやっぱり「何かもってる」ことがひとつと、私は寒さには基本的に強いのだが耳と指先という体のパーツが寒さに極端に弱いせいもあって、冬でもギターを弾いている人にふと同情と尊敬が入り交じった気持ちがわき起こってしまう。真夏にあぽろんという新潟県の三条市のスタジオ付きの楽器店でギターを眺めていると長い髪の美し過ぎると言っても決して過言ではないずっと年下のセクシーなお姉ちゃんから「あのぉ、間違っていたらすみません、1年半ほど前に、このギターケースにホカロンを入れてくださいませんでしたか?本寺小路のアーケードでです」と声をかけられたことがある。「うーん、僕じゃないかもしれないよ」と言ったのだが「いえ、あなたです!ありがとうございます」と、深々と頭を下げられたことがある。美しき蜘蛛の化身であるかのようなこの姉ちゃんに投げ込んだ「ふとホカロン」は、シャラポアと出会う前だったら赤い糸になっていた可能性もあるなぁ…ないか。 さて相変わらず脱線ばかりであるが、蓮の花咲く極楽のお池のモニターから一部始終を見ていたのがお釈迦様であるという結末があって『蜘蛛の糸』がシャクソン系小説であるということが明らかになるのである。ポイントは大悪人さえ救う一本の細いたて糸(スートラ)を「わたしのものである」というのならまだしも「わたしだけのものである」という我をはった瞬間に極楽と地獄をかすかにつないでいたパイプはカットされるのであった。この部分も悪人の救いを問題にしている浄土系仏教のセオリーに実に忠実ではないかと私は感じるのである。 「地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄第二章)と親鸞聖人はおっしゃったが、ふとわき起こった善行はギターケースにホカロンを投げ込むことぐらいで、あとはロクなことをしていない私は地獄に堕ちる可能性が大である。そんな私には地獄に一本のギターの弦が降りてくるかもしれない。できれば切れやすい1弦ではなくベースラインの6弦か5弦、せめて4弦あたりが降りてきて欲しい。『蜘蛛の糸』でのご教訓は知ってはいても、実際に当事者となり、下を見下ろせば無数の群衆がギターの弦にすがっている光景を目にすればカンダタと同じく私もまたギターの弦の所有権を主張する可能性が大である。その瞬間、ギターの弦は間抜けな音をたてて切れることであろうし、極楽のお釈迦様はそんな私の醜い姿を蓮の池モニターで何度かリプレイしつつ悲しく眺めるのであろう。マーヒー加藤 2012年 01月 12日
居酒屋メニューのなかによくある「おふくろの味」というヤツ、そのなかで人気投票をすれば必ずベスト3には入るであろう肉じゃがをほとんど私が作る。肉じゃがが食卓に出ると中学生の長女は「これ美味しいよねぇ!オヤジの味だ!」と言って喜ぶ。その作り方であるが、おそらく普通の作り方ではない。ただダッチオーブンを持っている人は私以外にもこの作り方をしている人は多いのだろうなぁ…と思っていたが最近になって検索をしてみたら私以外にこの作り方をしている人を発見できなかった。あれ?検索のやり方が悪いのかもしれないが、もしかしたら目から鱗やらコンタクトレンズやらを落としてくれる人がいるかもしれない…と思ってこのブログ記事を書く。ついでに、もしかしたら相当ユニークな作り方をしている肉じゃがかもしれないので独自の名前を与えよう。ジャガイモはほとんどローリングしないのだが、ワイルドな作り方をする肉じゃがということでニック・ジャガーとしたい。 さて、ダッチオーブンという器具を持っている方なら皮付きのまま野菜の蒸し焼きというものを一度はやってみたことがあろうかと思う。いちばんの大物はカボチャだ。10インチ以上が必要だけれどね。日常よくある野菜では人参、玉ねぎ、ジャガイモなど。これらをまったく水を加えずに、その時の火力にもよるけれどもまず25分前後ひたすら火にかけておくだけで出来上がり。初めてやった時に、何の調味料なしでもその野菜から誠意いっぱいの甘みと旨味がほとばしった様子に涙がチョチョ切れた人も決して少なくないはずだ。私もこれに感激した。そのまま食べるか軽く塩をふっただけで美味い。この素晴らしさは他の料理にも応用したいと思った。そして気がついた。人参も玉ねぎもジャガイモも、みんな肉じゃがの主力メンバーではないか!(ジャガイモが主力なのは当たり前だよね、4番でエースだ!) ダッチオーブンのなかで25分間ほど皮付きのまま蒸し焼きにした3種の野菜をやけど防止のためにゴム手袋でとりだして、そのまま手袋で手早く皮をむいてしまう。玉ねぎはいちばん簡単で、ジャガイモも人参もスルッとむけてくれる。それをちょっとだけ置いておいて、別に用意した中華鍋で肉(豚肉が多いが気分によって関西風に牛肉も使うことがある)と玉ねぎだけを炒めて、炒めあがったところに味つけに醤油とみりんをいれる。市販のすき焼きのタレをいれることもある。その中華鍋に適当に切ったダッチオーブンで蒸した野菜をそっと投げ込み、10秒間だけ、ここで初めてローリングさせる。「サティスファクション」のイントロの時間ぐらいのローリングだ。そうやって、箸をいれるたびに湯気がいつまでも止まらないという、不思議な肉じゃがが完成する。うちのオヤジの味である肉じゃがはこのニック・ジャガーなのだが、変わっていますか?マーヒー加藤 コッヘルバックナンバー 2012年 01月 10日
年賀状は直接年始の挨拶に行くことの代用、つまりは出席できない結婚式への祝電のようなものであるから元旦になってから来た年賀状に返事を書いていくというスタイルはむしろ伝統的であるといえる。ただし、いちばん遅いところには今頃ようやく年賀状が届くわけであるから遅いといえばとても遅い。しかし、喪中であった友人にそれを知らずに年賀状を出してしまった気まずさを思うとそのスタイルを貫きたいと思う。もっとも全員がこのスタイルだと年賀状は一通も来なくなっちゃうのだが…そういうわけで、せめて相手の住所は手書きで書いていきたいと思う。そして毎年、年賀状を書きながら「キーボードを叩くだけでなくて手で字を書くことは大事だなぁ」などということを毎年思う。しかしその住所や添えた「ひと言」に誤字などの間違いを犯してしまう。 そんな時、私にはブログ友のえみぞうちゃんが教えてくれた大阪市のカズキ高分子というところが作っている「ガンヂーインキ消ボールペン用」がある。マハトマ・ガンディーをモチーフとした(今風に言えばゆるキャラ化したともいえる)スグレものの修正液である。ケント紙や上質ノートだと完璧に消えすぎておもしろくないので広告紙に太い(1㎜)ボールペンで強い筆圧をかけてサンプルを書いてみる。筆圧の跡のみが残れば成功だ。まずベージュのキャップの透明な液を塗る。この液を私は「マハトマの涙」と密かに呼んでいる。「お前はなぜ毎年同じ恩人の名前を間違ってしまうのだ」とマハトマ・ガンディーが涙を落とす。しかし、それだけでは何も起こらない。「マハトマの涙」が乾くまでのしばしの時間、ゆるく描かれたガンヂーの肖像を見つめる。しばらく乾かした後「ガン汁」と密かに呼ぶ青いキャップの青い汁を塗ると、筆圧の跡だけが残り「インクはどこへ行ったの?」ということになる。 サンプルの文章の原文は漢字&カタカナだったなぁとデジカメ写真を投稿しながら苦笑するが、さすがのガンヂーでもそこまではフォローはしてくれないので、自分で自分に「ドンマイ!」と声をかける。ただ家庭のなかに偉大なるガンヂーが居てくれるだけで「人間というものは過ちを犯すものだよ、大事なのはその後どうするかだよ」と語りかけてくれているような功徳がある。ロフトの文房具売り場のようなところにガンヂーは居なかった。(新潟店の場合です)事務キチという名の問屋系の文具店の棚のいちばん下にガンヂーは居てくれた。ちなみに墨で毛筆で描いたものの修正にボールペン用のガンヂーを試したがやはり無理であった。今度、万年筆用のガンヂーでそれを試してみようと思う。最後に思うことはマハトマ・ガンディーが残した言葉の数々はやはり素晴らしい。だからなおさらガンディーの言葉を安易に引用する政治家が腹立たしく感じてきた。そんな安易な政治家の演説用の原稿はガンヂーインキ消で消してやりたくなる。マーヒー加藤 2012年 01月 08日
મોહનદાસ કરમચંદ ગાંધી、 मोहनदास करमचन्द गांधी ※ お騒がせして申し訳ありません。 グラジャラーティ文字とデーヴァナーガリー文字が ブログで表示できるか実験してみました。 それぞれの文字がお読みになれる方にとりましては 一応、次に書く予定のブログ記事の予告編です。 マーヒー加藤 2012年 01月 05日
今年の元旦の雑煮を生まれて初めてコッヘルで食べた。柚子の皮の黄色を写真を撮る時に添えるのを忘れてしまった。鶏肉から出た油がチタンのコッヘルに乱反射して実際よりもかなり脂っこそうに写っている。いつもコッヘル写真は食べる直前に秒殺で撮影しているのだが、特に出来がよくない写真だ。しかし、シャラポア(妻・日本人)に「今年もヨロピク」という軽い新年の挨拶をした後にこの雑煮を一口食べた瞬間に「どっぴゃー!」という言葉が自然と口からため息とともに飛び出した。2012年になって私が最初に発した言葉は「今年もヨロピク」であり、その次が「どっぴゃー!」であった。大晦日にシャラポアがたっぷりの北海道産昆布とたっぷりの鹿児島産鰹節でだし汁を準備していてくれたことがこの感動のいちばんの要因だったと思う。改めて感じるのもおかしいのかもしれないが、栄養学的にグルタミン酸を代表する食品の昆布とイノシン酸を代表する鰹節との絶妙の出会いは、考えてみれば北海道をその代表とする北の産物と九州をその代表とする南の産物との邂逅(かいこう)でもあるのだ。そして九州よりもさらに南方である沖縄県において昆布が伝統的に多く消費されているということは、民俗学などでよく語られる「アイヌ文化と琉球文化は水流交通によってかなりの昔から交流していたはずである」という説に信憑性を感じさせてくれる。日本料理の調味の基本ともいえる昆布と鰹節のコンビネーションの奥深さは、この北と南という距離もその主因かもしれない。 ここまで書いてきて、どうしても言及したくなった東京・池袋の小さなお店がある。池袋駅の北口(西武のある東口、東武のある西口の他、やや東武よりに北口というものがあるのです)の交番から徒歩で7〜8分というところだろうか。 ウタリ という名前のお店である。写真のようにカウンターだけで12人ぐらいで満席になる。でも、住友金属バスケットボール部のコーチをしていた頃の岡山恭崇さん(身長230センチ)もこの店のカウンターに何とか座れたのだから私なんかは充分に座り心地がいい。ご亭主は北海道、奥さんは長崎県の五島列島のご出身だ。ウタリという名前のとおり北海道の産物を炭火で焼いたものが中心の小料理屋さんだが、時々、五島列島の海産物もメニューにある。出汁はまさに北海道の昆布と九州の鰹節である。池袋という騒がしくにぎやかな街の雑居ビルの二階にあって奇跡のような静かさ。カウンターに座ると炭火が軽くはぜてキューンと鳴く音が聞こえる。奥さん(以下、発音すれば同じだが姉さんではなくて姐さんと書きたい)のトークはとてもおもしろく華麗だ。そのトークに少しだけ離れた調理場からご亭主が「バカだなぁ」とか「おめぇはなにをバカなこと言ってるんだい」という間の手のような言葉を絶妙のタイミングで低くていい声で投げかける。もしくは客同士の会話でもおもしろい話にはかみ殺したような笑い声をプレゼントしてくれるのだ。それらこのお店の音はPCM録音機かDATの最高機種で録音しておきたいぐらいだ。料理もいい材料を炭火で絶妙の火加減で焼いてくれるものが中心だから素晴らしくないわけがない。今の時期なら活きたタラバ蟹を炭火で焼いてくれるものが絶品である。(ただし、他はそんなに高いお店ではないけれども、このメニューだけほんのちょっとだけ高い) 結婚式を2ヶ月後ぐらいに控えた14年前の今頃の時期に、私は満を持してシャラポア(当時婚約者)をこのお店に案内してご亭主と姐さんに紹介した。お店に入った瞬間からシャラポアはこのウタリというお店の大ファンになってしまったのであるが、姐さんの華麗なトークに腹をよじらせながら笑っていたシャラポアが私がトイレから帰ってきた時には目を潤ませてしんみりしていた。(雑居ビルなのでトイレはお店の外にある) 私がお店を出る間際にトイレで席を外していた数分の間に姐さんはシャラポアの手を握り「カトちゃんはいい男だよー、あんた幸せになれるよ」と語り、ご亭主は調理をする手を休めることなく「あたぼうよ!」 と言ってくれたらしい。昆布と鰹節のようなコンビであるウタリのご夫婦のおかげで、私とシャラポアは結婚式の2ヶ月前からすでに夫婦であったような気が、しみじみとする。 コッヘルバックナンバー ※ ウタリさんでの写真は1年半ほど前のものです。 「ちょっとブログに掲載させてね」(マーヒー) 「いいよ」(姐さん) 「宣伝にもなるんじゃねぇか、店が小さいから 多人数で押しかけられると困るけどな」(ご亭主) というような形で掲載許可のようなものをいただいたのですが、 それから1年半は池袋周辺に寄る機会がなかったこともあり、 ズルズルと時を経過させてしまいました。 新年早々謹んでお詫び申し上げます。 マーヒー加藤 2012年 01月 03日
第88回東京箱根間往復大学駅伝競走(以下箱根駅伝)は東洋大学が109.9キロを10時間51分36秒という画期的な大会新記録で2年ぶり3度目の総合優勝を果たした。 私は箱根駅伝をやっている1月の2日と3日はとても忙しい。駅伝選手が走り回っている間、年始のご挨拶やお参りにずっと走りまわっている。ただ、この4年間は2日の昼休みにはずっと柏原竜二選手の山登りの快走を見つめ、3日の昼休みにはゴール付近の光景をテレビで見つめる習慣になっていた。 さて今日の東洋大学の勝利と驚異的な記録のことの他に、もうひとつ褒めたたえたいことがあるのだ。お正月の行事などが一段落した1月5日あたりに、子どもたちの冬休みの最後半ということもあって家族で新潟県内の温泉に1泊することにしている。3年前に泊まったのは蓬平温泉の和泉屋さんという宿だった。するとそのロビーに東洋大学の駅伝の優勝を伝えるスポーツ紙が貼ってあった。確かに125年ぐらい前に東洋大学を創設したのは蓬平温泉も近い越路町で浄土真宗の寺に生まれた哲学者の井上円了であるが「なぜ東洋大学をこんなにひいきにするのか?」ということを宿の人に尋ねてみたのだ。 すると、宿の人が胸をはってこう答えた。「東洋大学の運動部の選手たちが、学校の教育方針もあるのですが2004年の中越震災以降、冬期の除雪ボランティアに駆けつけてくれるのです。持ち前の体力と持久力と粘り強さ、そして明るく周りを励まして作業が終わればいいトレーニングだったと言って笑わせるという素晴らしい若者たちなのです。この和泉屋も中越震災で甚大な被害を受けて一時は再建できるかどうかという時期があったのですが、彼らに元気づけられたこともあって今では立ち直ったのです。その錦鯉も、一時は壊滅の危機にあった山古志村の錦鯉です」と、誇らしげに語ってくれたのだ。 今日、主将でもあり福島県のいわき市出身でもある柏原竜二選手が言ったという言葉を移動中の車のラジオで聴いた。「被災者の方々の苦しみに比べたら僕らの苦しみはほんの1時間程度です。」 そんなわけないじゃないか。陸上の長距離走、それも箱根の山への往復。1年前、早稲田大学とのデットヒートの末に僅差で破れてからの過酷なトレーニングを中心にした雪辱の日々。その大いなるプロセスはたった1時間の苦しみではないだろうに…でも、そんな言葉をおそらくハリセンボンのはるか似の笑顔で語ったであろう柏原竜二選手のことを思うと、東洋大学の運動部員のことを自分の息子の自慢をするかのように語った和泉屋さんの従業員の方の言葉をしみじみ思い出した1月3日だった。マーヒー加藤 2011年 12月 31日
あと数時間で終わる2011年。 3月11日以降、200年以上前に書かれた古典を除けば あまり本を読む気にはならなかった。 現代社会の闇を警告してくれていた本はありがたいと思っていたが、 危機感をもつのは危機への予感を察知する時にしみ入ってくるのであり、 現実に危機が押し寄せていることをひしひしと感じる時期には むなしく響きすぎたということがあると思う。 そんななか、今年、何度も読み返した本が1冊ある。 1997年の8月に光文社から出た本で (現在は光文社からは出ていない) 『大震災名言録 「忘れたころ」のための知恵』 という本である。 著者は藤緒潔 という人で神戸市出身。 出身の小中高の学校がすべて避難所になった被災者である。 被災者であるが、2年以上経たなければこの本を出せなかった。 この本が阪神淡路大震災から約2年半を経て出版された頃、 たまたま私はあらゆる名言集、箴言集、アフォリズム集を買い集めており、 それが塊となっていた本棚からつい手にとって3月下旬から読み始めた。 たとえばボランティアがもってきた中古のファミコンを借りて、 それまでまったくそのたぐいのゲームはさわったこともなかったのに ごく短期間にファイナルファンタジーのⅠからⅢまでを ファミコンだこを作りながらクリアーしてしまった大正生まれの 「ファイナルファンタジーばあさん」 など、新聞やテレビには出てこなかった巷の人間模様が たくさん書いてあり、 笑いも涙もとまらなくなった。 阪神大震災は5時16分という早朝に起こった。 阪急神戸線をボーダーとしてそこより北では 激しい地震があったことは誰もが認識していても 家が倒壊したわけでもなく、テレビも映らなかったために 朝の7時台には普通に出勤のために駅に行った人も少なくなかったという。 そのなかの一人、Kくんは阪急岡本駅で駅員に 「ダイヤそうとう遅れますよね?」 と尋ねたところ 「きみ、ダイヤどころやない。みんな人生のダイヤ狂ったんや」 と返されたという。 このようなエピソード、市井の名言録でいっぱいの本なのであるが、 まことに見事である。 大震災が起こったのにその事情を認識せずに会社に出勤しようとするKくんは まさに漫才でいうところのボケの役が言うようなセリフを自然に言っていた。 そこへのツッコミが 「みんな人生のダイヤ狂ったんや」 である。 兵庫県民は被災した後も3兆円(被災後2年間・推定)の税金を収めた。 避難所からネクタイをして出勤した人の分も含め、積もり積もっての額である。 東日本大震災から、2年経っても3年経っても おそらくこのような本は出てこないと思う。 あの阪神淡路の大惨事から見ても天災も人災も大き過ぎるからだ。 特に原子力発電所の事故という最悪の人災は、 数十年単位での解決や解消ということさえ難しいかもしれない。 そして、震災の規模の違いの他に気質の違いが確かにある。 関西とは違って素早く鋭くリズミカルにツッコミを入れる文化は 東日本では希薄である。 それでも、いつか、とてつもない言葉が 東日本、とりわけ東北から出てくる可能性はある。 お笑いに関することだけではない。 ものすごく深いものが出てくるような気がする。 漫画家では、宮城県出身で現在も仙台市を拠点とする いがらしみきお の今後に注目したい。 一時期、このような4コマを描く人は とてつもなくクレージー過ぎる世界に入っていくのではないか? と思いつつ、一時期は「この作者はどうなっていくのだろうか」と 息をのむように作品を見ていたら 意外にも 『ぼのぼの』 という路線に着地して、 今は5歳の末娘が超のつく ぼのぼのファンである サンドウィッチマンの芸の深まりも見つめていきたい。 もともと、M−1チャンピオンになるほどの実力者であるが、 震災時に気仙沼の魚市場にいたこの二人が、 どのような深みをもつお笑いを今後見せてくれるのか。 今すぐにではなくても、 やがて笑って笑って泣いて笑うような、 そんなコンビになっていってくれると思う。 マーヒー加藤 |
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