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2012年 05月 27日
昨日、というよりも数時間前に秋吉敏子さんを聴いてきた。今月の私の耳は生音の幸福をこれでもかっ!と味わっている。多少文章が整わなくても、あるいは寝不足生活が続く5月であってもこのブログ記事を残響が耳に残っているうちに書いておくことにした。今、新潟県の新発田市は討ち入りの重要人物としてその名が知れている堀部安兵衛の生誕祭で盛り上がっている。そのイベントの一環として、堀部安兵衛手植えの松(写真)がある真宗大谷派長徳寺という寺院で秋吉敏子さんのライブがあるという。昼間の法事で酒を飲み、疲れていたのでちょっと眠っていて危うくこの大事なライブに遅刻しそうになったが、ちょうど新潟市からシャラポア(妻・日本人)の友だちが遊びに来ていて「ちょうど帰り道だから車で送ってあげるわ」ということになって開演に間に合った。本堂に椅子が並べられていて、いい席は埋まっているように見えた。指定席制ではなく先着順だ。 これはいちばん後ろでも仕方ないかな…と思っていたら、何といちばん前が空いていた。なぜ空いているかといえば、いちばん正面の2列目に会場の長徳寺ご住職ご夫妻が座っておられたのだ。このご夫妻の存在がサッカーにたとえるとディフェンスのオフサイドトラップのラインのようになっていた。会場に駆けつけた人たちもそのラインがあって、あとはゴールキーパー(演奏者)がいるだけというペナルティエリアには遠慮があって入って行けないという仕組みになっていた。私は面識があるので「あ、ご住職さん!こんばんは!ここ、いいですか?」と挨拶してその正面のいちばん前に陣取った。当然ながら、ライブ中の写真はない。秋吉敏子さんが登場し、一曲目にいきなり聴きたかった「黄色い長い道」(LONG YELLOW ROAD Toshiko Akiyoshi)が演奏される。1956年、26歳で単身渡米して日本人で初めてバークリー音楽院(Berklee College of Music、現バークリー音楽大学)に学んだ彼女が、その数年後に作り上げて「日本人のJAZZはスゴイ」と言わしめ秋吉敏子の名声を広めた大傑作だ。バークレーで学んだJAZZ理論だけでなく世阿弥などから学ばれた美意識が随所に散りばめられた名曲。「私はこれでアメリカで生きていく」というような決意が、そのサウンドに込められているように感じられた。現に今も確か拠点をニューヨークに置かれていると思う。そして、今現在でも日本人でいちばん有名なJAZZミュージシャンであろう。 ヤマハのグランドピアノの音を増幅するPA装置はいっさいなく、曲の合間に秋吉さんが確か私も1回だけ法話で使ったことがある長徳寺さんの拡声器のピンマイクでMCを述べられるだけだった。レディの年を書くのは失礼とは思いつつ、輝く翡翠色のドレスを着た秋吉さんの力強いタッチとキックはとても82歳であるとは信じられなかった。キックというのは、本堂の畳の上に赤い毛氈が敷かれ、そこに高いカカトのハイヒールで上がられていたのだが、そのおみ足を時々「ドスン!」と叩きつけるのだ。どうも楽曲のリズムとは関係なく「演奏していて感極まったその瞬間」にこの秋吉キックはくり出されるようだった。すごいキックであり、もしもピアノペダルの真ん前に顔などを出していれば大怪我必至というぐらいの力強さであった。そして、これはいちばん前で聴いていたので分かったことだが、秋吉さんはピアノを弾きながら歌っている。歌っているといってもキース・ジャレットのように明らかに聞こえる鼻歌のようなものではない。演奏している最中に喉仏が動き、音声としては口から外には出さないものの、唸りや呻きとしてその「歌」が聞こえてくるのだ。こりゃ、いちばん間近で聴けて良かった。しかし、秋吉敏子の喉仏という仏を見つめ、その背後に長徳寺様のご本尊・阿弥陀如来立像を仰ぎ見るっちゅうのは、すごい光景だ。 曲目は自作曲の他にはバド・パウエル、デューク・エリントンなど。これらジャズ界の巨匠について語る時、その巨人たちご本人と深い交流がある上でのコメントと演奏であるので味わいがある。もっとも感動したのは「ジャンゴ」を演奏する前に「私はJAZZをやめようと思ったことがあるの。その時にジョン・ルイスと共演して救われたの。ジョン・ルイスみたいにはジャンゴを演奏しないけれども、それもまたいいでしょ?」と、ジョン・ルイスへの感謝を込めた演奏があった。前半に「星に願いを」の演奏もあった。ええっ!秋吉さんこういう曲もやるのぉ?と思いつつ聞き惚れていたら、その後で「アメリカのミュージシャンやプロデユーサーから今の日本のジャズファンの、特に女の子がいちばん好きな曲がこれだから演った方がいいよとアドバイスされたの」と言って笑わせてくれた。エンディングに秋吉さんが用意された曲が「HOPE 希望」であった。2001年8月6日に広島厚生年金会館で初演された「ヒロシマ〜そして終焉から」という楽曲の第3楽章である。谷川俊太郎が詩を書いている。美しい楽曲。JAZZの文化のなかにある楽曲には間違いないものの、まったくもってジャンルレスである。ジャンル分けすることが恥ずかしくなってくるような楽曲だ。そして、秋吉さんご自身がコメントしなかったことをここに書くことは野暮であるということを承知の上で、私はこの選曲に感動した。なぜならば、この楽曲の依頼主は広島市の善正寺ご住職の中川元氏であり、平和への願い、そして希望がもてないような状況であっても希望をもつことがいちばん大事だということ、そして、寺院という場で音楽を奏でるということの意味を言葉で語らずに演奏で表現されたのだと私は思っている。演奏が終わり、後ろの方で立ち見をしている人のなかに新発田市のJAZZスポット「BIRD」(いいお店ですよ)のママの姿を見つけ、ライブの後で久しぶりにBIRDに立ち寄る。そこでもオモシロイことがあったが、これはまた別の機会に。エンターテイメントは薄暮時に始まり、会場を出るとすっかり夜になっているというのが、やっぱりいいなぁ。始まる前と終わった後では別世界になっている実感。その別世界に、それに触れる前の自分とはどこか別人になっている実感がヒシヒシとかみしめられるから。マーヒー加藤 2012年 05月 25日
三人の子どもたちに「お笑い」については尊敬されている。私が子どもたちにウケるお笑い芸をもっているからではない。いわばお笑いの研究家として一目置かれている。くだらないと言われている深夜のお笑い番組などを録画しておき、昼間の空いた時間などに早送りをしながらパッパと見てこれといったものがなければハードディスクからすぐに消去するということをやっており、「ちょっとオモシロイ」というものがあればYouTubeなどでも確認してみる。なので、ブレイクし始めるお笑い芸人がテレビのゴールデンタイムに初登場するという頃には、たいがいの場合その芸風は確認済であり、「これは子どもにもウケるかもしれない」というものはゴールデンタイムに出始める前に子どもたちにも紹介してやる。そんななかから全国的に流行り始めるものもいくつか出てくる。今なら「ワイルドだろぉ?」でブレイクしている「スギちゃん」なんかもそのなかの一人だ。 今年の「ダウンタウンのガキの使い・新年会 山−1グランプリ」にスギちゃんが登場した時に「おっと、機械犬(メカドック)の杉山えいじがピン芸人のスギちゃんとして吹っ切れたな!」と思った。(お笑いマニアだなぁ)その録画を子どもたちに見せてやるとウケていた。なので今年の2月頃の段階から「ワイルドだぜぇ」「ワイルドだろぉ?」は家庭のなかですでにブレイクしていたのだ。 というわけで、子どもたちからワイルド料理をリクエストされたぜぃ。俺ってワイルドだからスーパーに買い物なんか行かないぜぃ。裏の竹やぶからタケノコを2本ほど引っこ抜いてくるぜい。ワイルドだろぉ?焚き火台を出して外で炭火でグリルすれば雰囲気的にはワイルドだけどめんどくせいぜぃ。外は25度もあってみんな半袖なのにこのためだけに薪ストーブを焚くぜ。大きな暖房器具を調理用に使うんだぜぃ。ワイルドだろぉ?何だか暑いぜ。室温も25度になっているぜぃ。ワイルドだろぉ?でも嫌な暑さではないぜぃ。 このまま45分ほど待つんだぜぃ。ひっくり返すのも何だか面倒だぜぃ。とうとう45分間、一度もひっくり返さなかったぜぃ。ワイルドだろぉ?その間にガレージの裏の山椒の木から山椒の葉っぱを採ってきたぜぃ。これを3回ほどスパンキングして香りをたてるんだぜぃ。ワイルドだろぉ?焼きあがった筍の皮を剥くのも面倒だぜぃ。「よいではないか、よいではないか」なんて…誰だそんなバカみたぇなこと言っているのは?ナイフで真っ二つだ。ワイルドだろぉお?おい、シャラ(妻・日本人・シャラポアの略称)!陶器の器なんて出すんじゃねぇ。シャラくせいぜ!今夜は俺だけじゃなくて全員コッヘルだぜぃ。ワイルドだろ?味付けは山椒の上から塩だけだ。おいおい、そんな塩の容器から丁寧にふるんじゃねぇ。塩の袋からつまんでパッとワイルドにぶっかけるんだぜぃ。どうだ?このワイルド調理の筍の味は……マイルドだろう?マーヒー加藤 コッヘルバックナンバー 2012年 05月 23日
"The Scale of the Universe 2"(宇宙のスケール2)というサイトがある。 facebookでつながっている友だちの「くろめぐちゃん」に教えてもらった。 スタートさせて下のスクロールを右に動かせば、 現在のところまでの観察可能な範囲までの宇宙への旅ができる。 スクロールを左にうごかせば、ひも理論に至るまでのミクロのなかの宇宙への旅。 人間である自分の存在が小さく思えたり、大きく思えたりする。 私も夢中になったが、さらに夢中になったのは10歳の息子で、 学校の理科の授業でおもしろいことを教わってきた時や 先日の金環日蝕 (新潟県では大規模な部分日蝕という感じだったが晴天に恵まれて 通っている小学校では早めに登校しての観察会があった) などがあった日などは学校から帰ってくるなり 「インターネットでアレを見せて!」 と言ってせがみ、何時間も飽きもせず宇宙のスケールを楽しむ。 それを傍目で見ながら、 「米粒のなかには仏様がいるんじゃ」 と言っていた方の言葉に「これを仏としかいいあらわせないなら仏だな」と感じたり、 落語の頭山(あたまやま)なんていう噺もあながちホラ話とは思えなくなってくる。 嫌なこともひとつ書けば、プルサーマル機もあった福島第一原発の事故で 昨年の春に枝野官房長官は 「プルトニウムというものはたいへんに重い物質であるから 過剰に不安になる必要はない」 というようなことを言ったが、 原子のレベルは人間の遺伝子から比べてもはるかに小さい世界に存在している ことを実感した後では、 「いったい何と比較しながらたいへん重い物質だと言ったのだろうか?」 と感じざるを得ない。 現に神奈川県でもプルトニウムは検出されたではないか。 核物質のなかでも猛毒性が高く、数万年しないとその毒性が半減しないプルトニウムが。 誰がこれを作ったのか? 2012年 05月 21日
人は言葉を使う生き物である。言葉、それもたったひと言によって人は傷つき、ひと言によって励まされもする。だから、言葉は大事だよぉ。さて、境内の竹やぶの手入れは大変である。秋冬の笹の枯葉の整理なども併せ、年間の管理は大変だ。でも5月は筍の収穫の時期。年間の苦労が報われる時期だ。ただ、筍を掘り採ることもけっこう大変だ。でも、スパっと採れた時には快感もある。ところが、筍の皮を剥くという作業はなかなか苦痛であった。採る時ほどの快感もなく今までの私にはひどく単調な作業のように思えた。ところが時代劇のバカ殿や悪代官の口調で「よいではないか、よいではないか」と言いながらその作業をしていると楽しくなった。言葉は大事だよぉ。まるでさーびしかった僕の庭にバラが咲いたみたいだ。イマジン!「よいではないか」のひと言で、単純作業だと思い込んでいた辛くて単調な作業がクセになるほど面白いことのように思えてきたのだ。 さて、このコッヘルシリーズももう3年目のシーズンを迎えるのであろうか?毎年、5月には筍料理がコッヘル上にのる。素材としても今までいちばん使っているのが筍であり、料理法ということではほぼ出尽くしている感じもする。何かいい付けあわせはないか?と思えば、探すまでもなく、竹の根本に蕗が生えているではないか。さーびしかった僕の庭にバラは咲いていないが、植物であるのに何だかカモがネギをしょって歩いてきてくれているようだ。30メートル以内での地産地消。慌ただしいので写真はないが、実はこの筍は皮つきのまま焼いたものをカットした。皮つきの筍を軍手で「よいではないか、よいではないか」と剥いていったのだ。剥いて白と黄色の中間の地肌が現れ、蒸気した湯気までが上がると私は悪代官のような笑みをもらした。そして、ごま油で炒めて醤油で味付けをした蕗の葉を添えた。蕗の葉っぱはともかく、蕗の茎の皮を剥く時のいい言葉はまだ見つかっていない。探し求めてはいるが、まだ見つかっていない。まあ、それもいいではないか。マーヒー加藤 コッヘルバックナンバー 2012年 05月 19日
2012年 05月 17日
2012年 05月 16日
「不思議なご縁で出会うことができました」 今でも、結婚式での新郎コメントなどで出てくることが多い、 仏教文化の深い、いい言葉である。 縁(えにし)を語る時、政治家が説明責任を一生懸命果たそうとするような そんなフィーリングでやっちゃうと味が抜けちゃう。 「不思議なご縁」というものに感謝しつつ、その言葉に託すことが いちばん落ち着く。 ところがこの一週間、落ち着いていられなくなるぐらいの Wonderful(wonder・不思議の形容詞形であり感嘆詞だなぁ)な出会いや事象が 激流のように押し寄せてきたのだ。 「いやあ不思議だねぇ」 とばかり口にしていて、不謹慎ながら不思議という言葉に飽きてきて 「科学の力では決して解明できない縁で会えた!」 などという言葉を口にしていた。 ウルトラマンだって、科学特捜隊が全力を尽くしてもダメだった時に 光明無量、寿命無量の世界からやって来てくれるではないか。 「世間ではな、わからんことを不思議と言っとるやろ。 ちゃうねん。仏法の世界のことはわかったことを 不思議っちゅうねん」 難解だと言う人が多い安田理深先生の本も、 ご本人のお声での関西弁訳をしていけば読める気がした。 幸いなことに、私は幼い頃に信国淳先生に連れられて行った喫茶店での 安田理深先生の生の声、しかも講義や講演の時ではない普段着の声を知っている。 科学では解明できないこの想い 2012年 05月 11日
ヒヤケナス先生の素晴らしきブルース川柳 (日付は毎日新聞掲載日) わからないままのお経でありがたい 2005年8月3日 仏壇のろうそくの火が笑いよる 2005年8月9日 にんげんのなみだもいっぱいとけて海 2002年12月26日 女ってやさしいものと思ってた 1999年8月13日 泣く為に入ったトイレくさすぎて 1999年7月14日 死んだ気になれと言われて寝ています 1999年6月10日 もうおれに10年先の話すな 2005年3月28日 クシャミだけやけに大きい役立たず 1999年5月23日 幸いは不幸中にもあるんやね 2001年6月23日 妻が逃げさらに深まる哲学者 2002年6月23日 わけもなく割りばしたまるワンルーム 2003年8月18日 あの星もこの星もみな過去なのね 2002年9月11日 ヒヤケナス先生 2012年 05月 06日
私、マーヒー加藤は 草仏教ブログとtwitter、mixi、facebook (いろいろとやっているのね) などのすべてのネット活動を7日〜10日間ほどお休みさせていただきます。 なぜかといいますと、ここでちゃっかりライブ告知ということに なりますが 5月13日(日)の 京都市左京区一乗寺の 「いちなん」 という出会い系焼肉屋さんでの 「ボーズ LIVE in 焼肉屋いちなん」 に出演することとなりました。 午後1時30分から午後4時30分の時間帯のなかのどこで登場するかは まだ未定でございます。 あと一週間もないわけですが、何と私はまだプログラム(曲目)を決めておりません。 (おいおい、どうなるんだよぉ) 草仏教ブログのコメント欄で歌詞の断片を記した 「アメリカ南部牛追い唄」(仮称)は、完成間近である予感はするのですが、 いちなんさんでの初演予定を前に現実としてまだ完成しておりません。 (おいおい、本当に間に合うのかよぉ) もともと、私はジョー・モンタナのように ギリギリにならないと仕事をしないタイプではございますが (こんなとこで偉大なQBのモンタナを引き合いに出すなよ) 今回は何だか本当にヤバイと感じつつ、 これからの六日間は子どもたちが寝てからの自分の自由になる時間のすべてを このライブへの準備に当てるべく、しばらくはインターネットを 断ち切って臨む所存でございます。 というわけで、私の方は甚だ心もとない状況ではございますが、 「ボーズ LIVE in 焼肉屋いちなん」 には 北海道から阿知波一道さん、石川県から石川ひさとさんという 僧侶ミュージシャンがご出演になります。 その他、愉快で不思議な仲間たちが素晴らしいライヴアクトをしてくださり、 さらには司会進行を恐れ多くもフォークシンガーの楠木しんいちさんが努めてくださり、 楠木さんご本人の演奏も当然期待されてしかるべきでございましょう。 なぜでしょう、準備不足でアタフタとしていることは間違いないのですが、 昔のように下手なくせに妙な完璧主義というココロはほとんどなくなり、 「不安に立つ」っていうとカッコよすぎるのですが、 「ヘタクソがどう勢いをつけるか?」 とか、 「いい加減にやってどれだけ味を出せるのか?」とかを考えています。 ![]() マーヒー加藤 2012年 05月 04日
「寺を開こう」とか「寺を開放しよう」という方針をもつ仏教の宗派は少なからずある。ただ、考えてみればプロテスタントの教会がわざわざ「教会を開こう」などという言葉をキャッチフレーズにはしないと思う。もともと教えを開くために教会という場が建立されたというのが本筋であるからだ。だから「寺を開こう」というような言葉を聞くと、それに対して率直に思うことは「寺を閉鎖してきた歴史があるのだなぁ」ということである。私としては「開放よりも開放感」という方針である。「開放」の方は、穿った見方でもあるけれども寺院側の勝手な方針でもある。寺の開放に尽力している方々にとって失礼な表現であるかもしれないが、事実として勝手な理念ということにもなりうる。それに対して「開放感」は寺を訪れる人のそれぞれのアンテナが感知する率直な実感である。そして、その開放感にはさまざまな質があるだろう。「開放感」は人それぞれの感覚に任せることであり、寺側の努力だけでは成り立たず、機縁というのか「出会いの妙」というものに依るところも大きい。ひと言で表すなら「ディープな出会い系寺院」というあたりを目指していきたいと思う。これは己の力だけでは成り立たない、実にめんどうくさいところを目指すことになったなぁ。 ともかく、今の比叡山延暦寺は大人が550円、中高生は350円の拝観料をおさめれば季節によって時間帯はやや異なるが、朝の8時半頃から夕方の4時頃までは「有料で開かれている」ということになっている。AWAY比叡山延暦寺(2) 2012年 05月 01日
僧侶のカッコはせず、一般観光客として、ポケットに念珠だけを入れて拝観した。浄土真宗の僧侶である私が比叡山延暦寺を尋ねるということには一種のAWAY感覚があった。 それは、ただ単に「他宗派だから」ということではない。 また、天台宗や延暦寺に敵意をもっているわけではない。 ただ、私の自意識過剰といえばそれまでだが、 「浄土真宗の僧侶は延暦寺では敵意をもたれて当然」ぐらいのAWAY感覚を想定していた。 浄土真宗の開祖、親鸞はこの比叡山を29歳の時に意図的に去ったのである。 AWAY比叡山延暦寺 2012年 04月 29日
ちょっと前に、近所にいた「フクちゃん」というシーズ犬が寿命をまっとうした。フクちゃんがいなくなってしまって、私もちょっと寂しい。フクちゃんの写真が案外となくて、6年前の夏のものになってしまった。このフクちゃんは大人しい犬だったが、私の長女に「異様に」といっていいほどなついてくれたのだ。昔からお散歩中に私の長女を見かけると、激しく尻尾をプロペラのようにフリフリしながら「キュオーン」という甘え声を出し、長女が「わーいフクちゃんだぁ」と駆け寄ると、本当に嬉しそうにウサギのように飛び跳ねるのだった。フクちゃんは大人しい犬なのだが散歩の時にいつも家の前で座り込む。どうも長女に会いたいみたいなのだ。飼い主さんの「ほら、もう行くよ!イッちゃん(長女)は学校に行っているから今は居ないよ!」という声をドア越しに聞き、フクちゃんが家の前からズズッーと引きづられていく砂利の音を聞きながら私とシャラポア(妻・日本人)はいつもクスクス笑った。「しかし、こんなにうちの娘になついてくれて嬉しいよね」という言葉をいつも交わしていた。それがフクちゃんが生きている時の日常だった。フクちゃんとうちの娘(長女)との不思議な関係 2012年 04月 27日
寺のリアル掲示板は定期的に更新しているのだが、ブログの方の更新が滞ってしまった。金子大榮(栄)先生の言葉である。尊敬できる師に出会うことができた人の言葉なんだろうと思う。リアル掲示板の前の道を歩く人は「その人」に誰を思い浮かべるだろうか。「その人」という人を思い浮かべるからこそ迷ってしまう、ということもあるかもしれない。「その人」という言葉に、さまざまなものを背負った人、それぞれの関係性のなかでこの言葉を見つめる方々はいろんな「人」を想起されるようだ。 マーヒー加藤
2012年 04月 25日
仮面ライダー1号、2号の頃、われわれ48歳は子どもであった。 ホンモノのオートバイなどには乗ることができない鼻タレ小僧であった。 しかし、そんな子ども時代の私でも、ショッカーという組織はアホだと思った。 まず、何で仮面ライダーの目が届く首都圏ばかりに目を向けようとするのか。 なぜ首都圏(今、大人の目から見れば緑山スタジオ周辺)の花屋を占拠したり 通園バスを襲うようなセコくて卑劣な活動ばかりをしていたのか。 卑劣さは悪の組織としてのアイディンティティというか個性というか特徴だとしても、 そのセコさとヘボさは見ていられなかった。 ショッカーは地方に目を向け、地方から制圧していった方が よくわからないがその野望なり最終目標を達成するには良かったのではないか。 ショッカーが作り出す怪人 (今、大人の目から見ればショッカーではなく東映が作り出していたのだが) は、個々の能力としては仮面ライダーと拮抗した勝負を演じ、 時には仮面ライダーを絶体絶命の窮地にまで追い込む。 弱っちょろい戦闘員の数は大量投入してくるが、 これが弱っちょろくてFBIの秘密捜査官である滝和也(たき かずや)に 簡単にやられてしまうのはもちろんのこと、 時にはオートバイ用品店のオヤジさんの立花藤兵衛(たちばな とうべえ)にさえ 負けてしまうぐらいの弱っちょろさであり、いくら悪の秘密結社の末端とはいえ 数ばかり揃えていてもまったく意味がない。 改造人間の怪人が、単体でも仮面ライダーと戦闘能力が拮抗しているのだから、 この怪人を一度に10人、20人と送り込めば仮面ライダーを倒すことなど 簡単だったはずなのに、 「なぜそれをしないのですか?」 と言いたくなった。 それを言えば、ウルトラマンの怪獣が大量発生して地球の各地で暴れまわったり、 ウルトラセブンの星人が徒党を組んで地球征服にやってきたらどうなる? と反論されそうだが、少なくともウルトラマンの怪獣に組織はなかった。 野獣としての群れさえなかった。 ウルトラセブンの星人もそれぞれがインディペンダントな存在であり、 「地球征服のための星人組合」というものは組織されなかったのだ。 それに比べればショッカーははじめから意思をもった組織である。 組織である以上、最初から勝負にならない弱い戦闘員ばかり増やさずに ある程度勝負になる怪人をまとめて送り込むぐらいの考えはあって当然だった。 仮面ライダーは、ショッカーという組織がヘボばっかりやっていることを味わう 物語でもあったと思う。 そのヘボさ、マヌケさの極致は、畢竟、 「仮面ライダー自体ショッカーという組織が作り出した」 という経緯に尽きる。 自らの組織が総力をあげて作り出した仮面ライダーが歯向かってきたが、 その制圧のために打つ手がすべてことごとく失敗し、 ショッカーは短期的な結果も出せず、長期的な展望もなく、明確な目標もない。 自分が作り出したもので自分が苦しむ。 反省なき失敗を何度も何度もリフレインする。 そんな私もまたショッカーの一員なのだ。 マーヒー加藤 (仮面ライダー一合、二合) 2012年 04月 23日
昨年の今頃の話。場所は滋賀県長浜市の郊外の国道沿いにある「手造りの味レストランおりひめ」という食堂。色紙を発見したのはその時に12歳で中学1年生になったばかりの娘だった。天ぷら定食を食べている私に娘は「これ、親鸞聖人の言葉じゃない?」と言った。こう書くと、私がいかにも娘たちに英才教育を施しているように思われるかもしれないが、そんなわけではない。ただ、毎朝、本堂でのお勤めと礼拝の後、3分以内で読める文章をいくつか日替わりで音読することにしている。親鸞聖人の『教行信証』の冒頭に置かれている「総序」の文もそのなかのひとつなのだ。意味はいっさい説明しない。なぜかといえば私も認識が浅くて解説できないところもあるからだ。でも、たとえば「日本語であそぼ」の観点からしても「総序」はリズムと語調が整った、何度音読しても味わい深い名文であることを私は断言できる。 色紙に書かれている文字は、娘が言う通りに親鸞聖人の言葉に間違いなかった。ただ、珍しい抜粋の仕方である。これも断言したいと思うけれども「総序のなかから」という極めて限定的なリクエストがあったとしても浄土真宗の僧侶が100人いてもこの箇所だけを取り出して色紙に書く人はいないと思う。斬新というか、ユニークというか、エキセントリックな言葉の選びに私には思えた。そこで店の人を呼び止めて「この色紙を書いたのはどなたですか?」と尋ねてみたが、どうも店主でなければわからないようだった。そこでこの写真を撮らせてもらい、サインを1分間じっくりと眺めてみて頭の中に崩して書いてある文字の名前がクッキリと浮かび上がってきて誰が書いたかが分かった。さて、この色紙を誰が書いたかといえば…久しぶりにクイズにさせてもらおう。マーヒー加藤 |
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