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2009年 02月 21日

草仏教経済学(3) 自動車

b0061413_23522553.jpg T型フォードという初の量産車ができてから100年。これが産業ではなくて宗教の話だとしたら、100年というのは新興宗教が伝統宗教とか既成宗教とか、呼び方は難しいけれども、ともかく新興とは呼ばれなくなるまでの過渡期であり境目なのではないだろうか。 その100年前、伊藤さんという新潟県の大地主がそのT型フォードをさっそく輸入したが、当時の新潟県には走れる道がほとんどなかったそうだ。 田中角栄という政治家は、その功罪をまとめて 「日本を自動車社会に改造した」 とひとくくりにできるような気がする。新幹線を通した人というのでは地域的な話にとどまってしまうのだ。田中角栄は自動車の人だったので、飛行機(ロッキード)で失敗した。 



普通ならパイにたとえるのだろうけれども、
自動車産業というもののビスケットは実に巨大だなぁと
いろんな機会に再認識させられる。
今年に入ってから、3日に1度は新聞の一面に名だたる大企業が
大規模な赤字転落により人員削減を行なうというニュースを見る。
それらの企業に 「うちは車産業とはまったく関係ありません」 という
企業が少ないぐらいに、自動車産業と自動車関連産業のビスケットは大きい。
衣・食・住・車といっていいぐらいで、産業の大きさ順に勘で並べれば
車・住・食・衣といってもいいのではないだろうか。

車関連ビスケットを単純に連想しても、製鉄、タイヤ、精密機械、オーディオ、ガラス、
保険、エネルギーなどなど様々な巨大ビスケットが次々と出てくるが、
たとえば 「道路建設」 というのも関連産業に加えたらとてつもなく巨大だ。
わざわざオーディオなんて書いてみたが、音楽だって今は車のなかで
聴かれることが多いことを想定されて作られているものも少なくはないはずだ。
(高速のパーキングエリアでよく売っている綾小路きみまろのCDほど極端でなくても)

ある仏壇屋さんが廃業し、その高度な木工加工技術を活かして
国産高級車の内装を手がける会社に転じ、1980年代後半から
1990年代前半には大活躍した。
この頃に高級国産車は数多く出て、それがよく売れた。
不動産が高騰し、生涯賃金を費やしてもマイホームには届かないという
ことでヤケクソ気味に高級車を求めた人も多かったのではないかと思う。

仏壇と自動車というのは、普及品から高級品まで、そのグレードのそろえ方と
そのグレードに応じた価格帯が似ている気がずっと以前からしていた。
(これはあくまでご本尊の観念を抜いた商品としての仏壇の話です)

仏壇と自動車との共通点は 
「家族が同一方向を見つめ、道を歩んでいくためのもの」 
といえるのではないだろうか。
どちらも家族の相談抜きに搬入したらたいへんなことになる。

高級仏壇(商品)を買う人が少なくなり、
高級車を買う人が増えたのがバブル時代だった。

そして、再び高級車が売れなくなった時代であるのはもちろん、
どうも 「普及車も?」 という時代になっちゃったみたいだ。

この前、加入している保険屋さんが更新のために来たのだが、
お茶を出して話をしていると、
「若い人が自動車離れを起こしている兆しが見える」
という不安を口にされていた。
安心を買うための保険屋さんから不安を口にされると何だか怖いのだが、
その不安に首肯(しゅこう)できうる要素をいくつも感じた。

いい車に乗っているというのがステイタスシンボルの時代があったけれども、
車を持たないのがステイタスになる時代が来るのではないかという予兆がある。

これが極端でわかりにくいなら、いい車に乗るよりも車がなくてもいい場所に
住むことがステイタスである・・・と言い替えれば、今でもかなり通用するステイタス
なのではないだろうか。

「運転免許取得のための費用」
「年間に予測されるガソリン代」
「駐車料金」
「税金」
「車検費用」
などなどの関連費用の総計から、
一定期間(とりあえず車検期間にしましょう)に使用する
公共交通機関とタクシー代を差し引いて
(深夜に酔ってタクシーで帰る料金は、これはどっちみち酔っては運転できないので計算しない)
余りが出るならけっこうな都市にお住みだということができる。

ただし、車で 「ウキウキ」 出かけるとか、「運転すること自体の楽しさ」 とか、
そういう車のエンターテイメントの部分は、これはなかなか数値化できないので
省略しているし、
「物語を買う」 (これについては大事なことだと思うのだが後日、詳細に論じたい) 
という部分にも言及はしていない。

それでも、車離れはどうもジワジワと進行しているようだ。
車の関連で払う税金の多さというものも、ガソリン税を含めて相当なものだ。

みんながタバコをやめ、酒をやめ、車をやめるすると、
それはとても健全な世の中になる部分もあるけれども、
税金を集める方の立場になれば、ものすごく困ったことになる。

法律にはまったく触れず (むしろ喜ばれるか?)
いろんなものをやめて国家を困らせてやりたい気持ちもあるが、
そうなったら国家はどこから税金を取ろうとするのだろうか。
金がないところからむりやりに絞り取ろうとするのだから、当然、
消費税を大幅に上げてくることは政権がどこでも簡単に想像できる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-02-21 01:27 | 草評


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