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2009年 03月 16日

コッヘル12番 葱鮪(ネギマ・ねぎま)鍋

b0061413_22375414.jpg 葱鮪(ネギマ)という江戸の庶民伝統の鍋料理がある。今みたいな冷凍技術がない頃の江戸や東京では、マグロのトロはマグロのなかでも腐りやすい部分だったので捨てるかもしくは捨てるも同然の値段で売られたそうだ。 それを醤油味でネギとともに葱鮪という鍋仕立てで昔の庶民は食べたそうだ。 今なら、庶民どころか相当なお金持ちでもトロでこんな鍋ができるかどうか?赤身部分でさえ、鍋でマグロを食べるというのは二つの勇気がいる。ひとつは金銭的なことに関する勇気であり、もう一つはマグロを煮てしまうということに関する勇気である。平成の時代、21世紀にまとまった分量のマグロが手に入ったとして、まずは刺身で食べることを考え次にあぶったり焼いたりすることを考えるのが普通だろう。トロを鍋にしている人がいたら、見ただけで気絶するかもしれない。というわけで、この葱鮪という鍋料理をやることはずっと夢だった。




b0061413_22374482.jpg 葱鮪を初めて知ったのは雑誌か何かで読んだ池波正太郎の対談だったと思う。江戸時代のトロは捨てる部分であり、池波正太郎も子どもの頃によく葱鮪を食べたという。対談で知っただけで、池波正太郎の書いた時代小説のなかに登場したものを読んで確認したわけではないが、きっと鬼平犯科帳なんかにすでに登場している鍋料理ではないかと思う。 そういうわけでけっこう前からそういう鍋料理があることだけは知っていたが、マグロは今やそれ自体がどの部分をとっても高級魚であり、なかなか葱鮪を作ってみる勇気はなかった。 しかし、先月、柏崎市までスケートをしに行った帰り、日本海フィッシャーマンズケープ という市場に立ち寄った。ご覧のようなサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフを意識したであろうシンボルが建っている。 

b0061413_22382116.jpg そこでマグロのカマの部分を買った。カマの部分は骨付きのエラの部分である。大きな魚市場のようなところでないとなかなか手に入らないが、この部分ならマグロのなかでも比較的に安い。安いだけでなく焼いて食べると実に美味しいところである。何だか肉のステーキと焼き魚の中間の味がする。グラムあたりで鶏の胸肉よりは安いという感じの値段で売られていた。そこでマグロのカマのステーキ用に購入し・・・まてよ、これは夢の葱鮪鍋をする最大のチャンスだぞ・・・と思い多目に買って帰ったのだった。 次の日、さっそくに積年の目標だった葱鮪鍋にとりかかる。大型のカマ(魚類でこれより大型のカマはホオジロザメしかないだろう)を鍋に入れ、煮込んでいくと骨部分からダシのようなものも期待でき、実際に鍋に向いているのはトロよりもカマだろうと思った。ものの価格を決めるのは仏様ではなくマーケットなのだと思った。

b0061413_22385699.jpg うろ覚えの池波正太郎の対談の言葉を思い出し、棒状に切ったネギを投入する。この熱々になったネギから芯が舌の上に飛び出てくるのを 「でやんでぃ、あちーな、ちくしょーめ」 とか言って(池波先生はこの言葉では表現していなかったとは思うが) 食べるのが江戸情緒というものらしいのでそれに習った。味付けも醤油とみりんのみで、関西系の私としては濃い目にした。 出来上がってほじくり出してコッヘルに盛る。(最初の写真) 江戸の庶民の味がチタン製のコッヘルとマッチしているかどうかは我ながら疑問ではある。 トロが一種の放るもん(ホルモンの語源とも言われる)だった時代、江戸の庶民のなかではこのマグロのカマで鍋をしている人を 「ぜいたくだなぁ」 と思って見ていた人もいたかもしれない。そう思うと、なかなかオツなもんでゲス。 カマの部分だったので思った通りにダシも出て、この後にやった 「マグロ雑炊」 というのもなかなか良かった。私と妻のシャラポア(日本人)は、そういう江戸情緒をたっぷりと堪能したが、夏に七輪でこのマグロのカマを焼いたのを食べたことがある長女と長男は 「焼いた方がいいのに鍋なんてもったいないよ」 と言った。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-03-16 23:21 | 草外道


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