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2009年 05月 06日

忌野清志郎さんと子どもの日

b0061413_032445.jpg 昨日は 「子どもの日」 だった。日頃はあまりねんごろに遊んでやれない罪滅ぼしもあって、新発田市の滝谷森林公園キャンプ場というところに日帰りキャンプに出かけ、3人の子どもたちと思いっきり遊んだ。 加治川の上流の、そういうところに出かけると子どもの姿も多く見かけた。これは3人がそれぞれ生まれた時に産院に行った時も思ったが、本当に日本は少子化なのか?と感じるぐらいだった。 そういうことは産院と対極にあるような葬儀の世界でもそうだ。葬儀を出して、初七日を終えたあたり、ようやく少し落ち着いたご遺族はかなりの確率で私に 「最近葬儀は多いのですか?」 と尋ねてこられる。確かに明治時代から昭和の中頃にかけての過去帳などをみると気候のせいで続けざまに亡くなられているのか?という推測ができうることもあるが、ほどんどの方が病院で亡くなられる今の時代は気候のせいで人が亡くなるということは思うほどないと言っていい。 「季節の変り目」というのは非常にトリッキーな言葉であり、真夏と真冬以外はすべて季節の変り目だと言っていい。そして真夏に人が亡くなると 「この暑さだから」 といい、真冬に亡くなると 「この寒さだから」 と言う。そして真夏も真冬も実は日々季節の変り目であり、気候は数多くある死因の数多くある条件のほんのひと筋でしかない。死因の根本は 「生まれた」 ということである。 親しい人を亡くされた人は、今まで見えなかった街角の忌中札が見えてくる。駆けつけた斎場で他の人の葬儀も自然と目に入ってくる。ちょうど、自分でジョギングをする人は、たとえ車の運転をしていても街のランナーが自然に目に入ってくるのと似ている。走っていない人は走る人が見えてこない。 そういう意味で、「最近お葬式は多いのですか」 という質問は、何でもないようで自分の親しい人の死を通して、漠然とながら 「こんなにも死ぬ人々がいるのか」 ということが見えてきているのだと解釈している。

前置きが長くなった。 私も妻が妊娠するまで、この世の中に妊婦さんがこんなにも
いらっしゃるのかということが、当時、人口の多い東京都に住んでいて見えていなかった。
都会のスクランブル交差点ですれ違う人は、二度と会わない人ばかりだと
人を風景にしか思っていなかった。
妻が妊娠して、初めて道行く妊婦さんたちの姿が目に入ってきたのだ。

しかし、事実としては少子化である。
少子化にはすでに語られているいろいろな社会への影響がある。
経済のことで語ると・・・小難しいことはよくわからないが、
長男と長女が結婚すると家一軒が不要になるので不動産をはじめとして
財産というものの価値は半減していく。 (シンプル理論すぎるだろうか?)

思想文化のことでの少子化の問題点を述べるならば、
中華風の霊魂不滅思想の持ち主であれば影響は少ないが、
インド・チベット型の輪廻転生、つまり生まれ変わりの思想の持ち主であれば、
日本人で生まれ変わりを信じる人は日本人に生まれ変われる確率が
かなり減るという問題点がある。

さて、前置きが長く、そしてちょっと変になった。

ともかく、忌野清志郎さんのことで思い出したことがあった。
どんな音楽雑誌で読んだのか思い出せない。
もしかしたら、それは音楽系の読み物やインタビューではなく、
自転車雑誌だったのかもしれないし、アウトドア雑誌だったのかもしれない。
ともかく、最初のお子さんが生まれる時に 「自分はダメになる」 と思い込んだ
というのだ。 アウトロー的な自分がパパになるということが信じられず、
パパになってしまったら今までの自分はなくなってしまうと思い、
子どもが生まれてくるまでの半年間、信じられないぐらいに曲を量産したという。
そして、子どもが生まれてみると 「可愛くて可愛くて・・・」 というパパになった。

なんだかわかる。
昨日の日帰りキャンプ、小型ワゴン車にいろんな荷物を積み込みながら
何だか自分で照れ笑いをしてしまった。
あれ、俺はこんなファミリー行楽系タープ(屋根だけテント)なんかを持つ人間だったのかと。

いわゆるアウトドアは昔から好きであったが、
それはオフロードバイクに乗っていた趣味からのバリエーションだった。
あるいはヒッピー文化からの流れだった。
あるいはムーミンでいうスナフキンの位置づけへの憧憬(しょうけい)だった。
持っているアウトドア用品もファミリー系とは対極のアーミー系だった。
オフロードバイクというものが象徴するように、荒野の孤高が目指すところだったのだ。

最初の子どもが生まれてくる直前、「自分はダメになる」 とまでは思わなかったが、
何か焦りのようなものが実感としてあった。
それは学生生活終了間際の 「何かやり残したことがあるのでは?」 という感覚にも
似ていたが、もっと体の芯にどんよりとあった焦りだった。

私の最初の子どもは女の子だった。
正味の話、嬉しかった。
自分が娘の父親になるということが照れくさかった。

そして、その照れ隠しのように、ずっと行っていなかったパチンコ屋さんに行って、
何だか呆然とパチンコをやった。

照れ隠しと書いてみたし、自分もずっとそう信じ込んでいたけれども、
今になってその時の自分を客観視してみれば、瞑想をしにパチンコ屋さんに
行ったのだと思う。

清志郎さんのようなスケールではないにせよ、
反骨、反逆ということを軸に自分を激化させ、エネルギーを出してきた。
子どもをもつということは、父親というものになるということは、
将来、成長した子どもの反骨心を根元としたエネルギーの最大の矛先になるのだ。
変えてもいい部分は柔軟に変えるにせよ、変えちゃいけない芯の部分は自分が自分のままで、
それを受け入れる覚悟があるのか? (そんな覚悟のことなんか考えたことがない)
ということを瞑想しに、パチンコ屋に行っていたのだ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-05-06 01:54 | 草評


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