草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2009年 06月 17日

草仏教経済学(9) ポイント

エコポイントというのが2009年5月15日からスタートした。
たまったエコポイントは他のエコ商品などと交換ができるという。
この事業の正式名称を 「エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業」 という。

エコポイントというものは、国からもらえるポイントで、
量販店などが発行しているポイントとはまったくの別物なので、
そういうポイントとの合算などはできない。

今のところ、家電のなかでも消費電力が大きいとされる、エアコン、冷蔵庫、テレビの
3点についてのポイントだ。 そのなかで、テレビというのは地上デジタルへの対応も
含まれている気がするし、それから事業の目的の趣旨のなかにも正式に盛り込まれて
いたが、経済活性化の目的も盛り込まれている。

また新たなポイントが出現してしまった。





どうせポイントに関することを国がやるならば
「全ポイント一元化法案」 ぐらいのことを国会で審議してやって欲しかった。
量販店はもちろん、どんな小さな町の商店街のポイントもぜんぶまとめて
現金なり、公共サービスなり、マイルなりに還元してくれるものならよかった。
国がポイントに介入してくるのであれば、それぐらいやって欲しかった。
それぐらいのことをやる国ならば、
私は貯めてきたポイントをすべて国に捧げてもいい。

また新たな消費ポイントができたのか・・・・・・という気持ちだ。

従来のポイント制度で、ポイントカードやクレジット機能まであるカードを
たんまり作った。財布は現金ではなくその手のカードとスタンプを押してもらう
紙のカードでパンパンにふくれあがり、たまに整理するとほとんど
有効期限切れを前に実に中途半端なポイントの貯まり方をしている。
(一元化できんのか?)
自分のことながら、現金は少なくてカード類や紙のスタンプカードでパンパンに
膨れあがった財布を持ち歩くのは、いかにもシンプルな生活をしていない証左の
ようで実にダサいと思う。

「この場所は車でしか行かないだろうから、カードを財布のなかから車のなかに移そう」
と整理したとたん、まさにその店に何かのついでに友人の車に乗っている時に立ち寄ったりする。
昔なら、そういう何かのついでに財布がゆるむということは多かったが、
お得なポイントカードを持っていない時は、損をしたわけでもないのに
カードがないと損をした気持ちになってしまうのが嫌で、意地でも何も買わない。

もともと、買い物の時は 「どこが得か?」 というよりも
直感をはたらかせるために色々なところを見るのが行動パターンだった。
消費活動としたら、家電よりも外食の方がわかりやすいだろう。
ポイントを貯めるために特定のお店に出入りをするよりも、
その時の直感をはたらかせてうろつきつつ 「これだ!」 というものに
ぶち当たるのを待つ。

CDなんかは、かなりの系列のショップのポイントカードをもっていた。
ちと音楽を感じる心の部分の鮮度が年齢のせいで落ちたせいもあるが、
以前は、カーラジオから直感のアンテナにビンビン響く曲があったら、
そのまま車で最寄りのショップに直行してCDを買ったものだった。

ポイントカードというものを持ってから、直感で魅力的に思える曲を聴いても
「そのうちにこのカードのショップでCDを買ってポイントを貯めよう」
と思っているうちにクールダウンしてしまい、結局はCDを買わなくなった。

そのクールダウンによって衝動買いや浪費を避けられているという、
一見、ありがたい面はあるものの、
事実として私が愛聴しているCD、愛着のある服、愛用している道具、
そういったものは高いものも安いものも、直感で購入したものだ。
ポイントなどの損得をよく考えて購入したものでそういう愛着があるものは
まずないと言っていいぐらいだ。

そして気がつけば、いつの間にかポイントのないお店、
クレジットカードが使えないお店というものが好みとなり、
ポイントがあるところはむしろマイナスポイントになっちゃった。

商品を当てておいて何だが、混雑時のレジでくじ引きをさせるコンビニエンスストアの
期間限定かどうか知らんけど、ああいう付加価値も喜ばれているかどうか疑問だ。
急いでいる時にレジに長く並び、当っちゃったので店員は商品を倉庫に取りに行き、
列の後ろの人に申し訳なかった。

これもポイントの話ではないのだけれども、
あるアイスクリームチェーン店の前を通りかかった時に、久しぶりに
(私としては) 大量のアイスクリームを食べたくなり、
(私としては) 奮発して、(その時は) 和風のヤツが食べたいとう直感がはたらき、
「抹茶とあずきのダブルを下さい」 と言った時に、
「今はサービス期間ですので、ダブルをご注文された方は
同じ値段でトリプルとなりますが、もう一種類は何になさいますか?」
と言われた。
想定外とはこのことだ。
30種類以上のアイスクリームのなかから、抹茶とあずきの組み合わせを
直感で選び、久しぶりの甘いものの摂取に意気揚々としていた私は
10秒間、頭が真っ白になり・・・
今思えば  「甘いものを制限しているので」 などということを言って、
やんわりとその過剰サービスを拒否することが良かったのだろう。
(ただ、ダブルを注文しておいて上のセリフはやはり言いにくい)
10秒間、この予期せぬことに頭が真っ白になってしまった自分が
恥ずかしく、店員さんがまだアイスクリームを汲みに動いていないのを
確認し、 「やっぱり、全部やめます」 と言ってその場を立ち去ってしまったのだ。
立ち去るという、この行動自体が非常に恥ずかしかった。
寸前まで直感で迷いなく動いていた私が、アイスクリームのもうひと盛りだけで
こんなにも混乱してしまうことが恐ろしかった。
その日は一日中、わけのわからない敗北感に苛(さいな)まれた。
誰も得をせず、私も店員もアイスクリーム店も、みんなが傷ついたのだ。

いろんなポイント制度は、お得感を与えてくれる一方で、
お得感とはいっても基本は損得勘定という感情がはたらくわけで、
その損得の計算によって大事な直感や本能を阻害されてはたまらんという
意識がどうしてもはたらいてしまうようだ。

最後に、余計なことをもうひとつ書くと、これは一種の被害者意識なのかもしれないが、
多くのお店を飲み歩いていた頃、ボトルキープをしたとたんにそのお店が移転したり
なくなったり、別なお店になっていたりしたことが多くあった。
高い傘ほどよくなくすように、そういうところこそいいボトルを奮発したという思いが強い。
同じく、けっこうポイントが貯まったお店や施設がなくなっちゃった経験も、その喪失感も
あってけっこうあるのだ。

エコポイントという国家のポイントを持って、国家が破綻しなければいいが。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2009-06-17 02:05 | 草評


<< 草仏教経済学(10) エディー...      好きや  >>