草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2009年 07月 10日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(3) 由緒編(1) ジョン・ニュートン

アメイジング・グレイスという歌の歌詞は、
ジョン・ニュートン(John Newton 1725-1807) という人に
よって書かれている。

ジョン・ニュートンは元奴隷商人(といっていいと思う)の顔ももちつつ、
牧師へと転身し、最終的には18世紀の時代にあって
奴隷解放運動の先駆者的存在になっていく。

たった数行で何となく書いてしまったが、
万有引力の発見者(アイザック)と同姓のこの人は、
「私ごときの愚か者を救う存在」 を発見した。


実は、アメイジング・グレイス については4年以上前にも書いたことがあり
本田美奈子ちゃんの訃報に接した際にも少しだけふれたことがある

その時には、ネット上に限れば東京経済大学教授の渡辺潤教授の書いたものぐらいしか
この歌について日本語でその由緒が語られていた文章にはなかなかお目にかかれなかった。

今はアメイジング・グレイスに関する数多くの貴重な資料をネットから得ることができる。
特に 世界の民謡・童謡 worldfolksong.com というホームページの
ドナドナ研究室のアメイジング・グレイスの項目は、いくつか所有している文献でもまったく
わからなかったことが詳細に、かつ非常に整理されて記述されていた。

その記述にかなり寄りかかりつつ、ジョン・ニュートンの人生をあえて
箇条書きにしてみたい。



1 ジョン・ニュートン(John Newton) は 1725年7月24日にロンドンで生まれた。

2 ジョンの父はイギリス東インド会社の地中海貿易に携わる貿易船の船長だった。

3  ジョンの母親であるエリザベスは敬虔なクリスチャンであり、
  礼拝堂(非国教会)に通っており、幼い頃からジョンに聖書や賛美歌などの
  文化に触れさせていたといわれる。

4  しかしその母は肺病のためにジョンが7歳になろうとする頃に
  30歳の若さでこの世を去り、ジョンの父はその後再婚をする。

5 ジョンは8歳になると全寮制の学校に通うが、2年ほどで中退する。

6 11歳で貿易商であった父親の船に乗り込み、地中海への航海を数年間する。

7 17歳頃には父親が貿易業を止め、それ以後父親とともには航海しなかった。

8  ジョンの父はリバプールの商人で貿易船のオーナーであるジョセフ・マネスティ氏に
  息子(ジョン)の仕事をたのみ、ジャマイカにあるプランテーションの監督職を推奨される。

9   しかしジョンは自分より3歳年下のメアリー・カトレット(Mary Catlett 当時14歳)
   という女性に恋をしてしまい、いったんジャマイカに行けば数年間は帰ってこれない
   ためにズルズルとイギリスに居残り、ジャマイカ行きの船は出てしまった。

10  このことを知ったジョンの父親は激怒し、商船の水夫として一からたたき上げるために
   地中海貿易をする船の水夫として従事させる。

11  ジョンが19歳の時にフランスとの戦争などがあり、イギリス軍に徴兵される。
    海軍内で少尉候補生(midshipman)という階級になる。

12  ジョンが兵役につき、1745年の初頭に所属するハリッチ号(軍艦)が東インドへ展開
    することになり、4~5年は戻って来れずに彼女(メアリー)に会えないと彼は察すると、
    食料調達を命じられて船から降りたスキに大脱走を試みる。

13  でも2日間ですぐに捕まっちゃい、階級が最低ランクの三等兵(Ordinary Seaman)
    になってしまう。

14  ジョンが21歳の時、アフリカ南西の喜望峰(the Cape of Good Hope)行きの
    準備のため、ハリッチ号がアフリカ北西海岸沖カナリア(Canaries)諸島の北方の
    マデイラ(Madeira)島に停泊していた時、ハリッチ号の船員が
    ギアナの商船から二人の船員を強制徴兵したところ、商船の方も人がいないと死活問題
    であるということで、代わりの船員を二人とトレードすることになり、
    最低ランクの三等兵になっていたジョンは自分からその交換要員になることを
    申し出る。

15  そういう経緯で乗船することとなるギニアの船は三角貿易(the Triangular Trade)
    に携わる商船であり奴隷船であった。イギリスの製品を黒人たちと交換し、
    西インド諸島やアメリカ南部の植民地で黒人たちを砂糖やたばこなどと交換し、
    それをイギリスへ持ち帰った。

16  約半年間、ジョンはアフリカ南部から川の河口付近へ集められた黒人たちを
    船に乗せる仕事をする。

17  しかし、このアフリカでの状況に耐えられなくなったジョンは父親に助けを求める
   手紙を書く。行方がわからなくなっていた息子からのSOSに父親は、リバプールの
   マネスティ氏に依頼し、迎えの船を手配した。

18  マネスティ氏がジョンのために手配したグレイ・ハウンド号(Greyhound)は、
    奴隷船ではなく普通の商船であった。
    グレイハウンド号は積んでいた商品の取引を終え、
    1748年1月にイギリスへ向けて出発する。

19  イギリスに向けて出発してから2ヶ月が経過していた3月の初め頃、
    グレイハウンド号の航路を激しい西風が猛威を振るい、船は沈みかけ、
    9時間に及ぶ排水作業をする。

20  沈没の危機を辛うじて回避したものの、食料や家畜等は海に投げだされ、
    わずかに残った塩漬けのタラと水の入った樽をたよりに、船体の一部を破壊された
    まま、グレイハウンド号は漂流状態でアイルランド西方沖にあった。

21  イングランド沖を漂い、食料飲料水も底をつきかけ、乗組員もなかば諦めかけていた
    状態で突然風向きが変わり、グレイハウンド号を陸の方へ導いた。
    至徳の風は静に壊れかけた船をいたわるかのように船を港へと近づけ、
    グレイハウンド号は嵐の日から約1ヶ月後の1748年4月8日、
    アイルランド北部のドニゴール州スウィリー湾(Lough Swilly Donegal)
    に着く。

22  23歳のジョンは九死に一生を得てリバプールのマネスティ氏を尋ねる。
    そのマネスティ氏に気に入られ、彼のもとで働くことを推奨される。
    マネスティ氏は、ジョンをハーディー船長(Captain Hardy)の
    ブラウンロー号(the Brownlow)に一等航海士として乗船させる。
    ブラウンロー号は、奴隷貿易船であった。

23  奴隷貿易船だったブラウンロー号は西アフリカへ向かった。
    乗組員や黒人たちは熱病で次々に倒れ、黒人たちの暴動で死傷者も
    出たという。

24  アフリカでの航海を終えてリバプールへ帰ると、ジョンはマネスティ氏から
    船長の地位を与えられた。

25  船長になり、次の航海までの期間に、初恋の相手に7年越しの思いを3回の
    懸命のプロポーズで実らせ、1750年2月12日、チャタムの聖マーガレット教会で
    結婚する。

26   1750年8月、25歳の船長としてアーガイル号(The Duke of Argyll)の
    30人の船員の指揮をとる。このアーガイル号も奴隷貿易船である。

27  1754年の航海を最後に貿易船の仕事から身をひく。

28  その後マネスティ氏の紹介を受けて、リバプールの潮流調査官を
    1755年から5年間務める。

29  その時期、福音伝道家であり英国教会の執事であった
    ジョージ・ホイットフィールド(George Whitefield 1714-1770)と出会い、
    弟子となる。

30  その後、聖職者としての道の歩みの希望をヨークの大司教に
    いったんは拒絶されるが、イングランド東部のリンカーンの司祭から聖職位を授かり、
    イングランド中南東部バッキンガムシア州のオルニー教会の牧師となる。

31  詩人ウィリアム・クーパー( William Cowper)がオルニーに住みジョンと親友になる。
    彼はジョンと行動を共にし、礼拝のための賛美歌を共同で書き上げた。
    それはジョンが54歳の時の1779年 『オルニー賛美歌集』 として発表される。

32  そのなかの詩にいつしかメロディが付けられ、
    「アメイジング・グレイス」 という歌として広まっていく。

33  1780年にジョン・ニュートン牧師はオルニーを去り、
    ロンドンの聖メリーウールノース教会(St. Mary Woolnoth, London)の
   司祭となって晩年までキリスト教の布教を続ける。
   後にイギリスの奴隷制度廃止運動の指導者となっていく
   ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce)も、
   ジョン・ニュートン牧師の影響を強く受けていくことになる。


34  そのジョン・ニュートン牧師(元奴隷貿易船船長)が晩年、
    語った言葉が次のものである。

    "My memory is nearly gone, but I remember two things,
     that I am a great sinner, and that Christ is a great Saviour."

    もうすぐ忘却のかなたへ行ってしまう私の意識だけれども、
    二つだけ頭から離れないものがある。
    ひとつは私がとんでもない罪人であるということ。
    そしてもうひとつは、キリストが偉大な救い主であるということ。 


以上、アメイジング・グレースの作詞者といえるジョン・ニュートンの人生を
34項目で箇条書き。


マーヒー加藤

   
[PR]

by kaneniwa | 2009-07-10 00:21 | 草仏教


<< 南無阿弥陀仏とアメイジング・グ...      COME ON IN MY K... >>