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2009年 07月 12日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(5) 由緒編(3) 聖書の非神話化

ルドルフ・カール・ブルトマン
(Rudolf Karl Bultmann, 1884年8月20日 - 1976年7月30日)
という、ドイツの新約聖書の非神話論化という聖書解釈の方法論を
提唱した学者の名前を知ったのは、このマーヒー加藤にとっては
ほとんど偶然、もしくはハプニングに近いことからだった。

西谷啓治という、京都学派四天王の一人である哲学者がいる。
自慢になるのかならないのかわからないが、
このマーヒー加藤はこの西谷啓治という人から直接講義を
受けた者のなかで最年少かもしれない。
いや、正確にいえば
「このおじいちゃんスゲエぜ、他の授業なんかいいから
聴きに行こうぜ」
という私の誘いにのってきた、当時大学生になりたての18歳だった
岩崎くん (このブログにも時々コメントをくれる) が、おそらく
直接講義を聴いた者のなかの最年少だ。

1900年生まれのこの哲学者の授業のなかで、ある偶然によって
ブルトマンの名前は私に刻まれることになった。



西谷啓治先生は、講義をしてくださっていた時にすでに85歳ぐらいに
なられていたと思うのだが、とにかくご講義の内容が縦横無尽であり、
よくわからなかった。ニーチェの話をされているなぁと思ってしばらく油断していると
松尾芭蕉の話になっていて、ユングが出てきたかと思うと鈴木大拙を論じている。
いや、もう何と言うか、わかったとかわからないとか越えたところで
お話をされているような雰囲気があった。(すんません、雰囲気しか書けません)

さらにスゴイのは、このおじいちゃんは講義を始めると止まらなかった。
大学の授業というのは一コマ90分であるが、2時間以上超過は当たり前。
今考えると、あの細身のご老体のどこにそんなパワーがあったのだろうか?
西谷啓治先生の授業を受けている学生のなかには、その哲学の講義のすぐ後に
別な単位の授業をとっている者もいたが、しかし、この大先生の講義の途中で
教室から抜け出す勇気をもっている者はいなかった。
また、そんな雰囲気を (すんません、雰囲気しか書けません) もたれていた。

ある時、そのご講義は何と3時間を超過した。
休憩もほとんど抜きにである。

西谷先生の時間超過癖を大学側も知っていたのか、
西谷先生の授業の後の教室のコマは空けてあった。
しかしながら3時間を超えると次の次の授業のために教室の前に
学生が並びはじめたのだった。

西谷先生のお付きの助手が遠慮がちに3回進言した。

「・・・先生、次の授業のために学生が教室の前で並んでおりますので・・・」

「・・・先生、お体にも障りますので・・・」

「・・・先生、そろそろ今日のところは・・・」

仏の顔も三度まで。
まさに菩薩像のように温厚だった西谷啓治先生の顔が鬼の形相になり

大馬鹿者!
と声を張り上げ、体の支えにしておられた杖を振り回し、
机の上にバシンと叩きつけた。

ひぇえええええ~ という声とともに、助手の先生の立ちながらの土下座というのを
初めて見た。

西谷先生は、追い打ちをかけるようにこう言った。

「いいか、ワシがハイデッカー先生の授業を受けていた時はなぁ、
ハイデッカー先生は学生に疑問がある限り、ずっとずっと講義を
続けてくれたんだ」


怖かった。夢にまでも出てきた。
ハイデッカーの名前まで出てきて、そしてその薫陶(くんとう)を直接受けたことを
叫ばれてはひれ伏すしかない。

そのシーンが起こる5分前、その講義に出てきていた名前が
ルドルフ・カール・ブルトマン
だったのである。

これはずっと後になって私にはわかったのだが、
学問分野は交差しつつ若干違うものの、ドイツのマールブルグ大学で
ブルトマンはハイデッカーの数年先輩であった。
もしかしたら、その関連で ブルトマンについて語ろうとされたら
助手に邪魔をされた (っていっても当然なんですけれどね) その怒りで
とっさにハイデッカーの名前が西谷先生の口から飛び出たのかもしれない。

そのブルトマンが提唱した 「聖書の非神話化」 という話が、
まさかずっと経ってから アメイジング・グレイス の歌詞との関連で
結びつくとは思いもしなかった。

今日はここまで。

もしかしたら、「聖書の非神話化」 のお話は、
「アメイジング・グレイス 試訳編」 まで持ち越すかもしれません。

ああ、怖かったなぁ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-07-12 00:59 | 草仏教


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