草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2009年 08月 04日

草仏教経済学(11)  人間の器

b0061413_23242097.jpg これは草仏教経済学のコラムであるとともに、半年以上続けている 「コッヘルシリーズ」 の中間報告のようなものでもある。 「食器」 というものについて、そんな高価なものは持ってはいないが思い入れのようなものはずっともってきた。磁器や陶器にも関心をもってきた。汁物などは、漆器や木のぬくもりのあるお椀という食器を愛してきた。 そんな私が、今年に入ってからずっとコッヘルで食事をしている。 7歳の息子はすぐにそれを真似し、10歳の娘も真似するようになり、シャラポア(妻・日本人)もその輪に加わり、今では3歳の末娘さえ 「こっふぇるぅで食べるぅ」 と言うまでになった。 洗い物は壊れるのを心配せずにガンガンいけて乾くのも早い。日帰りや泊まりがけのキャンプに出かける時にも、食器類の支度が実に早くなった。普段使っているものをただ収納することだけを考えればいいのだから。 けっこうメリットが多く、コッヘルシリーズの連載もまだ止めるつもりはないのだが、コッヘル以外の食器が 「すべて来客用」 みたいな生活を 「これでいいのだろうか?」 と立ち止まってみることもたまにある。



外食においては
器の値段と、その器に盛られた料理の値段というものは
ほぼ一致するのではないか?


という理論を発見 (ただし未だに仮説ではある) したのは
この草仏教経済学者のマーヒー加藤がかなり若き頃であった。

ただし、これは 「日本における外食」 の場合である。
諸外国の、特に高級店で食事をした経験は少ないが、
日本人のような器への思い入れは感じられず、この理論は
今のところ 「国内限定」 である。
そして、外食のなかでもハンバーガーショップはすぐに例外だ。

最初はいつだっただろうか?
牛丼なんかを盛るための丼を買いに行った時であろうか。
丼といってもいろいろあるが、その時出会った器は普通サイズで300円ほど。
それより少し大きめで400円ほどであって、
これは牛丼チェーン店の並盛りと大盛りの値段とほぼ一緒だなぁ・・・
と軽く感じたのが最初だったかもしれない。
結局、買ってきた300円の丼は牛丼チェーンの Y の丼とソックリなものだった。

横浜のラーメン博物館に行った時、あそこにはかなりの数のラーメン店の丼が
陳列されているが、その展示を見ていて
「うーん、ほとんどのラーメンの丼の値段は500円~800円の間といったところで、
これはほぼそのお店で出しているラーメンの値段と同じぐらいだぞ」
と漠然と感じたこともあった。
世の中には3000円以上のラーメンというものも存在はするだろうが、
多くはフカヒレの大きいのがのったり、スッポンエキスが入っていたり、
伊勢エビが佇んでいたりするような変則の高級ラーメンであり、
この法則には当てはまらないが、何ごとも例外のないルールはない。

大衆食ではなく、高級食の世界でも、「マーヒーの法則」 はある程度は
当てはまる。 (ただし、まだ仮説)

昔の私の同僚が、京都の老舗で、誰でもその名を知っている一流料亭で
2週間に及ぶ大きな研修会の打ち上げに講師の大学者先生を接待する
ことになったことがある。ただ、接待費で使えるワクはそんなにない。
ダメもとで交渉をしたところ 
「東本願寺さんの言われることやさかいに、その値段でおうけいたします。
ただ、器は普段のものよりもだいぶ・・・何ですけど、よろしゅう」
という答えだったそうだ。

銀座の Q (頭文字です) という寿司の超名店で、
亡くなられたが I さんという方に寿司をおごってもらったことがある。
その寿司屋は、北大路魯山人作の板皿に握り寿司を置く。
お勘定前に 「私にも払わせていただけますか」 と (一応) 言ったが、
I さんは 「割り勘でも、君の月給が吹っ飛ぶよ」 と言った。
というわけで、Q のお勘定がいくらだったのか未だに知らないが、
魯山人の板皿を思い浮かべると 「確かに吹っ飛ぶだろうな」 とは感じた。

例外のないルールはないので、キャバクラのフルーツ盛り合わせとか
高級ナイトクラブの クラッシュアイスの上のレーズンバターまでを
ひきあいに出されて反論されるとタジタジになってしまうが、
私の理論を 「スパゲッティ カルボナーラ」 をもって証明してみよう。

「カルボナーラ」 を思いついたのは我ながら草仏教学者らしい判断だ。
カルボナーラの材料はパスタ(スパゲティ)、卵、ベーコン、塩、黒コショウといったところで、
ここにはフカヒレやスッポンや伊勢エビをトッピングして金を取ろうという仕事ができない。 
ただ、ここにも 「トリュフ」 というものがあったが、例外のないルールはないのだ。 
「使いたきゃ使え」 という気持ちだ。

さて、イニシャルトークにも疲れたのでぶっちゃけた話、
サイゼリアでカルボナーラはいくらするのかと言えば499円である。(今現在)
サイゼリアでカルボナーラが盛られてくる、絵柄がついた皿は
多くの人に 「これはいくらでしょう?」 と見せるなら、500円前後の数字を
言う人がほとんどではないだろうか。
まずは法則が当てはまる。

カルボナーラを800円で出す 梅 クラスのところは梅クラスのお皿
カルボナーラを1380円で出す 竹 クラスのところは竹クラスのお皿
カルボナーラを1800円で出す 松 クラスのところは松クラスのお皿

が、何となく想像できる。 トリュフはトッピングされていない。
想像だけでなくて、カルボナーラを食べまくって証明してみたい課題だ。
カルボナーラの話から離れて恐縮だが、松・竹・梅で思い出した。
昨年、東京の合羽橋商店街で 「寿司桶」 の値段を調べてみたら、
見事に 「その手の寿司桶を使うお店」 の 10貫盛り合わせセットの
お値段とだいたい一致する気がした。

さて、話をカルボナーラに戻して、
首都圏の高級ホテルではカルボナーラで
これ以上の値段を取るところがあるだろう
(トリュフのトッピングはなしで)
と容易に想像した。

こんなところにひきあいに出して何だが、
ザ・リッツ・カールトン東京 の45階にある ザ・ロビー&バー
でカルボナーラをいくらで出しているのかを調べてみた。

 カルボナーラ 3,000円

この3,000円 には 「45階」 の付加価値もあるのかもしれないが、
そしてお皿の写真は発見できずに残念だったが、
想像で語れば (たぶん当っている気がする)
ウエッジウッドの白だ。
そういうお皿で提供しているに違いない。

ウエッジウッドの皿でカルボナーラを盛る大きさなら
5000円近くするのじゃないの?
という反論があるかもしれないが、ホテルのように大量に皿を購入する
ところだから3割はひいてもいいのではないか?
(なんちゅー理論だ?)

というわけで、 「外食」 というと うちでは アウトドアクッキングも 「外食」 と
呼んでいるので、非常に紛らわしい話になってしまうが、
室内で食べるには 「非日常的」 なコッヘルという器を多用している。
ある意味、その 「非日常」 を繰りかえすことから漠然と見えていたものを
凝視してみた経済理論である。

たとえば 「刺身」 などをコッヘルに盛ってみて 「シュールだなぁ」 などと
つぶやくような日々であるが、それで食べてみると 「漁師さんの食事」 に
なったような気分を味わったりする。
意外な開放感だ。

商品としてコッヘルを見ると、チタンのものは値段が同じ大きさのウエッジウッドにも
確かに匹敵する。

しかし、コッヘルで食べていると自らが構築した経済理論から遊離でき、
それもまた快感なのだ。

何度も書いたが 「例外のないルールはない」 
この鉄則には例外はない。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2009-08-04 01:10 | 草評


<< 草仏教経済学(12)  ATM...      コッヘル58番 蒸し茄子の冷やし中華 >>