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草仏教ブログ

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2009年 09月 11日

なんちゃってヤンキースが最高の野球チームです

なんちゃってヤンキースが最高の野球チームです_b0061413_2364027.jpg 日付は変ったばかりだが、今夜はファンタステックな夜だ。 ナイトゲームの激戦を終え、まるでドラマのようにゲームセットの瞬間から降り出した雨のなか車を運転し、笑顔で帰宅した私にシャラポア(妻・日本人)は 「おめでとう!」 と声をかけてくれた。帽子をとって 「ありがとう、シャラポア!」 と妻に感謝した。 なんちゃってヤンキースが初参戦した胎内市野球連盟会長杯、準々決勝である昨日の相手は平均年齢が23歳という若さで、今大会の優勝候補であるクルーズさんだった。試合前の素振りを見ているだけで、相手の中心打者陣はけっこう最近まで高校野球などハイ・アマチュアの選手であったことがわかる。先発投手の投球練習を見るだけで、「こんな球、打てるのか?」 と、試合前から弱気になんてなっちゃいけないが、そういう若い好投手が先発してきた。 なんちゃってヤンキースは前回の試合でとてもいい内容で勝ち上がってきたとはいえ、下馬評のようなものはクルーズさんの圧勝というようなものではなかったであろうか?



先制点はなんちゃってヤンキースが奪った。
「こんな球打てるか?」 の若い相手ピッチャーにオッサンらが張りきって立ち向かい、
ヤンキースのなかの若手選手もそれに鼓舞(こぶ)されながらボールに食らいついていく。
結成当初はピッチャーゴロなどの凡打をすると、ちんたら走る選手もいないではなかったが、
今のなんちゃってヤンキースは全員が凡打でも全力疾走する。
本来は陸上選手のライス大森(背番号10)や
本来はバスケットボール選手の南場蛮(背番号45)らの迫力ある全力疾走が、
本来は非常に堅実であるはずのクルーズさんの
守備陣の悪送球を誘った。初回の攻撃で1点が入る。

なんちゃってヤンキースの先発投手はカーネル・サンダース (日本人・背番号20) 。
彼がチームに入ってきたばかりの頃、五十公野野球場のブルペンで彼の投球を
受けていたら、高めだけでなく低めの速球も非常に伸びてくる彼の素質に気がついた。
「いいかカーネル、車のナンバープレートの高さに続けて投げ込め!」
と指示してみたが、けっこう高めに投げ込んできた。
車種は忘れたが、球場から帰る彼の車の後ろ姿は
けっこう高い位置にナンバープレートが付いていたので笑った。
とにかく、低めの速球も伸びてくるのが彼の持ち味であり才能だ。

前回の試合で、彼は味方がエラーをした時ほど低めへの配球を心がけ、
その味方にエラーがあった時ほどを自分がカヴァーしようとする姿勢が見えて嬉しかった。
打ち損じまで含めて、野球ほど失策が多いスポーツはない。
それをお互いがカヴァーする能力が、チーム力というものだ。
味方のミスを何とかしようとする意図が見えるカーネル・サンダースには、
すでにしてヤンキースの若きエースの風格が今大会を通じて生まれてきた。

客観的に見ていて、カーネルの投球は前回の試合よりもさらに良かったと思う。
しかし、クルーズさんの打撃能力は頭抜けていた。
特に3番と4番バッターはホームラン性の当たりを飛ばし、
草野球では珍しいエンタイトル2ベースと被本塁打(ランニング)などで4点を失った。

しかし、1-4のスコアで試合の前半は膠着(こうちゃく)し、ゲームは進んでいった。
膠着したのは、カーネルが歯をくいしばってもちこたえ、守備陣もそれに応えたのだ。
ひとつづつのアウトをたいへんに丁寧にとっていく様子がうかがえて、胸が熱くなった。
 
試合中盤、下位打線が作ったチャンスに、腰痛のためにこの試合は欠場する予定だった
スコッティ・クリネックス(日本人・背番号16)を代打に告げると、スコッティは
腰痛の痛みをこらえて 「ガッテン承知!」 と笑顔でバットを振り始めた。
そのバットが火を噴いて2-4と追い上げる。
スコッティは腰痛をおして、守備機会の多いセンターにそのまま入ってくれた。

その後、試合は2-5 となるが、オッサンも若手も相手エースに食らいつき、
4-5まで猛追を見せる。 怒濤(どとう)の猛追で、相手のエースをマウンドから降ろした。
スゴイことだ。
6回の表に、スリークォーターから速球を投げ込む、これまた凄い2番手が登場した。
ワンアウトを取られ、アドレナリンが分泌してきた。
そのかすかなアドレナリンの分泌を本能でかぎとったのか
先発出場のドン・ブラコ(まだ仮称・日本人・背番号34)が
「加藤さん、私の代りに行ってください!」 と声をかけてくれた。
満を持して主審に

「代打、オレ!」 
を告げる。

代打オレ! というのは監督兼任選手にしか言えない特権的な言葉だ。
プロ野球では、たいへん古い時代の野村克也と最近の古田敦也ぐらいしか
言ったことがない。

ケアレ・スミス(加藤)は、初球の内角への速球を空振りした後、
次のアウトコースへの変化球を打たされてピッチャーゴロだった。
打席内容としては、打ったのではなく打たされたので、やや悔いが残る。
打たされる前に強く打たねば。生かされる前に強く生きねば。

そのまま、6回の裏のマウンドにケアレ・スミスは上がった。
カーネルの投球内容は特に2回以降、とても良かったのだが
3日前も4イニング力投していて、5回の裏のピッチャーゴロの処理に
彼の疲れが見えた。

「炎の敗戦処理」 になる気持ちなどは毛頭なくなっていた。
強敵相手に予想外の好ゲームを演じている。
速球派のカーネルの後だけに、
「相手打線の調子を狂わせてやるピッチングをしよう」
という、「闘魂あふれるイタズラ心」 でマウンドに上がった。

受ける捕手のケーシー与那嶺(日本人・背番号3)は
なんちゃってヤンキース創設発起人の仲間だ。
かつては高校野球の名捕手であり、ピッチャーに自由に自分のリズムで
投げさせるためにノー・サインでも受けることができる優秀なキャッチャーだ。

ノーサインなのに、今まで5年間、バッテリーとしてコンビを組むことが
もっとも多かったケーシーが要求する球種がわかるような
充実感があった。
以心伝心などという言葉を持ち出すのは傲慢かもしれないが、
スポーツで感動するのは、こういう無言の会話ができた時なので、
私はその会話を非常に楽しんだ。

私は30歳になってから、東京での草野球でピッチャーを初めてやった。
新宿区の戸山球場という人工芝の野球場で草野球をやっている頃、
私は腕の強さを活かした速球派ピッチャーであった。
ただしコントロールが全然なかった。
戸山球場は新宿区の職安の近くにある球場であるので、
ナイターで試合をやる時には、職にあぶれたオッサンたちが大勢で
ワンカップを飲みながら草野球を観戦していた。
その場で4連続フォアボールを出した時には大勢の酔っぱらいに
大声で 「ノーコンのヘボピッチャー」 と野次られた。

46歳の今、直球のスピードは30歳の時の2割減である。
ただし、高低と両コースへのコントロールは長い時間をかけて身に
付けることができた。

おもしろいもんだ。
とってもおもしろいもんだ。
2ストライクノーボールのカウントでも 
「打ち損じをさせて調子を狂わせてやろう」
という気持ちを徹底できた時は三振が取れる。
リリーフ登板して、いきなり強打者二人を連続三振。
コントロールというのは、気持ちのコントロールでもある。
先輩ぶってエラソウなことを書くが、
若きエースのカーネルにも、いつかマウンド上で
味わって欲しい感覚だ。

ただ、柄にもなく連続三振を取って気持ちの方のコントロールが乱れた。
次の打者にきわどいところを見極められたとはいえフォアボール。
そして、今になって思えばフォアボールの後の初球に気をつけるというのは
定石中の定石なのだが、次打者にライト線を破られる2塁打を浴びて
スコアが4-6となってしまった。
次打者の放った強烈なファーストゴロを 
奥野細道(背番号22)が身を挺しておさえてくれてチェンジ。
素晴らしい守備だった。

7回の表、最終回のなんちゃってヤンキースの攻撃。
依然として接戦であるので、相手の3番手、リリーフエースをひきずりだした。
この4-6の時点でも好ゲームであったが、この7回の表が素晴らしかった。
リリーフエースまでを登場させ、食い下がるなんちゃってヤンキースは
メンタル面では相手を追い込んでいたのだ。
なんと土壇場でノーアウト満塁の大チャンスを作ったのだ。
ノーアウト満塁になった時点で、別の守備位置にいた2番手投手が再登板。
アウトを重ねられたものの、依然としてメンタル面では追い込んでいたのだ。
予想外のワイルドピッチでランナーが帰ってきて 6-6 の同点に追いつく。

新宿の戸山球場とは違ってシラフの善良な観客たちが、
この 「あきらめずに目の色を変えて強敵に立ち向かっていく」 という
なんちゃってヤンキースの姿勢に拍手を送ってくれた。

7回の裏、1点でも取られたらサヨナラ負けをするという場面のマウンドに、
ケアレ・スミスは向った。
ピッチャーをやっていれば、野球というゲーム形式のなかで
もっとも緊張するシーンであるはずなのに、プレッシャーは感じなかった。
「ここまでやればすでに満足」 ということもあるが、自分でも不思議なほどに
クールな感情でマウンドに上がった。
そのクールな感情の根底からこみ上げてくるものは、
自分でも意外なものだった。
感謝。

「みんなよくこんなチームに入ってくれたな」

という気持ちがどうしようもなく押し寄せてきた。
守っている全員を見渡した。
守備位置のいちばん深いセンターを守っているスコッティは腰痛を我慢している。

この日の出場選手以外も、転勤していった選手も、
背番号1番(バリー・サンバイス・日本人・強打者です)から
99番(ボー・コーエン・日本人・今大会でものすごい俊足を見せつけてくれた)
までの、30名以上のすべてのメンバーの顔が思い浮かんだ。

都合上、ブログという場にはニックネームでも記することができないが、
もうすぐ海外に転勤していく予定の選手がいる。
彼の送別会がもうすぐ催されるが、彼は野球経験があまりないのに
スポーツマンらしいガッツと積極性をプレーの随所に見せてくれ、
少しマンネリ化してきた時期のチームに活力を与えてくれた。

今大会に出場しなかった選手も多忙な本業のなか連絡網をつなぎ、
とりまとめをし、熱いメッセージもそのなかで寄せてくれた。

そして、グランドにいるなんちゃってヤンキースの戦士たちから
「今回の大会に参戦して本当に良かった」 と誰からの顔にも出ている
雰囲気を察して、そういう思いで胸をいっぱいにしながら、
しかしなぜか頭だけは異様にクールな状態で、
マウンドで至福の時を過ごしたからだ。

この長いブログ記事をトリッキーな文章で書き始めたのだが、
ケアレ・スミスは生まれて初めてサヨナラ・ゲームでの負け投手になった。

でも、充足感、満足感でいっぱいだ。

最後にサヨナラ打を打たれたボールは、
ケーシー与那嶺のかまえたキャッチャーミットに
寸分違わぬところに投げ込んだカーブだったから。


マーヒー加藤 (ケアレ・スミス)


 

by kaneniwa | 2009-09-11 00:38 | 草野球


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