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2009年 12月 22日

コッヘル100番 シャラポアのおにぎり

b0061413_20245555.jpg このコッヘルナンバーシリーズは今年のお正月から始めた。 今年中に100番までいけるかどうかと思っていたが、何とか間に合った。(その代り年賀状は全然やっていない) いちおう、コッヘルナンバーはケッヘルナンバーのパロディであるのでモーツアルトのレクイエムのケッヘル番号である 「626番」 までは続けていきたいと思っている。 そして、やはりそれまでのキリ番となるもにには 「根本的」 なものをもってきたいとは思っていた。 というわけで100番は妻(シャラポア・日本人) の握った にぎりめし、屯食(とんじき)、まあ要するに 「おにぎり」 についての記事とすることにした。かなり根本的でしょ? 以前は おにぎり といえば母親の楕円形のものをイメージしていたが、今は三角形のシャラポア(妻・日本人)の作るものを連想するようになった。

b0061413_2025233.jpg 何でもかんでも小泉政権が悪かったというつもりはないが、北九州市で生活保護を拒否された人が 「おにぎりが食べたかった」 と書き残して亡くなられていたのはとても痛かった。なんだかそこでの 「おにぎり」 に私たちの生命の根幹を支えるものの象徴を感じた気がしたからだ。 これが同じく手から手へと渡る食べ物でも 「にぎり寿司が食べたかった」 というのとは痛さがまったく違う。 おにぎりには 「母なるものから育まれる」 という物語性が凝縮された固形物のように思える。 実際、おにぎりは父である私が作ろうとすると子どもたちから大ブーイングが起ってしまう。ピザを作る時は大声援なのに。 おにぎりは 「手から手へ食物を渡す」 という人を育むメカニズムの象徴だと思う。私が日本国憲法を書き換えることができるとすれば、憲法第一条で日本の象徴はおにぎりとする。

b0061413_20255134.jpg 千と千尋の神隠し のなかでも、失意の底の千尋を元気づけるための食べ物は おにぎり だった。 (あれは誰が握ったのだろう?やっぱハクなのか?) 上映時、映画館の売店で真っ白なおにぎりのオブジェを売っていたのには感心した。(糸井重里のアイディアだったらしい)  映画のタイトルは忘れたが、30年以上前に見た映画でサムライの三船敏郎が差し出すおにぎりをチャールズ・ブロンソンが食べたシーンが入っちょる映画があったなぁ。その映画(タイトルすら忘れた)で、そのシーンだけしか覚えておらん。ホントにそこだけしか覚えていないという映画があった。 これが民話・昔話の世界となれば、おにぎり というアイテム抜きには語れないような話はたくさんあり過ぎるぐらいだ。おにぎりなくしてはサルカニ合戦の最初のトレードすら成立しない。 アウトドアへの行楽にダッチオーブンやコッヘルをもっていくとする。 シャラポアのおにぎりは欠かせない。そこに、また特に子どもたちにとっての物語が生まれて育まれていく。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2009-12-22 21:39 | 草外道


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