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2010年 03月 30日

コッヘル115番 鰆(さわら)のみそ漬け焼

b0061413_21214740.jpg シャラポア(妻・日本人)が鰆(さわら)の刺身を 「春の雪のよう」 と表現した直後、本当に春の雪が降ってきちゃった。新潟だけではなくて奈良県など、けっこう日本の広い範囲でこの季節としてはかなりの雪が降ったみたいだ。 その間、頂いた3本の鰆のうち、刺身にした以外のものは味噌漬けにして焼き魚とさせていただいた。 料理屋さん(もちろん日本料理店)での定番は西京味噌であるが、やはり新潟の海の鰆なので普段使っている合わせ味噌を使用した。繊細であることは同じだとしても、刺身とはまったく違う魚であるかのような印象が与えられる。味噌の成分が野菜ではないけれども繊維質の細部まで丸二日間かけて染みわたってくれていた。

b0061413_21224486.jpg 刺身にもできる鰆を新鮮なうちに切り身にする。食べる時の一人分という都合と容器(タッパー)に漬け込みのために収納する都合ばかりを考えながら切っていく。自分で切っておいて、さらに写真まで撮っておいて何だが、人間の都合でこうされちゃって哀れではある。せめてもの道はこの鰆を無駄なく美味しくさせること以外にはない。死んだ魚を素晴らしく美味しい味噌漬けとして生かすのだ。 しかしながら味噌漬けという手法ながらもこの切り身をワゴン車にキャンプ用品を押し込むように容器にすき間なく入れていく時には少し罪悪感を感じた。

b0061413_2123799.jpg 容器にキッチンペーパーを敷いて味噌を塗り、この上からもキッチンペーパーをかけてあとは48時間寝かせる。 魚を料理するには複雑なソースをかけるということもあるにはあるだろうが、普通に考えられるのは塩・醤油・味噌であろう。くしくもラーメンも基本になる味のほとんどがこの塩(ラーメン)、醤油(ラーメン)、味噌(ラーメン)である。鰆の 「刺身」 というところでも 「もしも醤油というものがなかったら」 ということに少しだけ言及したが、もしも大豆というものが存在しなかったら塩・醤油・味噌のなかで塩しか残らない。 醤油も味噌も、納豆、豆腐も枝豆も大豆というものがなければ存在しない。 鰆の話を書きつつも、その美味しさのあまり大豆というものの大事マンブラザースに目覚めた。 ♪ それがいちばん大豆  真面目な話、鮭などに「塩はこんなにうまいものだったのか」 「味噌はこんなに味わい深いものだったのか」 を感じさせられることがあるが、鰆は刺身では醤油、焼き魚では味噌の素晴らしさを改めて感じさせてくれた。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2010-03-30 22:14 | 草外道


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