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2010年 05月 06日

なんじゃこりゃ~! の 歴史

b0061413_23352757.jpg 松田優作演じるジーパン刑事が 「なんじゃこりゃ~!」 と言いながら殉職していくシーンは、その頃、まだ子どもといっていい年頃でありつつも 「なんじゃその演技は?」 と感じつつもいつまでも頭から離れなかった。 その後の数年間で、人生の 「なんじゃこりゃ~!」 が立て続けにやってきた。 夏休み中の寝苦しかった夜に図書館から借りてきたスティーヴンソンの 『ジキル博士とハイド氏』 (今思えば直訳ではなく子供用の手加減訳本であったとは思うが) を蚊帳のなかで一気に読み 「なんじゃこりゃ~!なんじゃこの物語は!」 と思った。 喜納昌吉&チャンプルーズ の 「ハイサイおじさん」 を初めて耳にし、「なんじゃこりゃ~!なんじゃこの音楽は!」 と思った。 「トレンチタウンロック」 で初めてボブ・マーリー&ウェイラーズの音楽に接した時も 「なんじゃこりゃ~!なんじゃこのリズムは!」 と感じた。それから、その時の 「なんじゃこりゃ~!」 の正体が知りたくてレゲエにはのめり込んでいった。 レゲエほどパンクロックにはのめり込まなかったがセックス・ピストルズの 「Anarchy In the U.K.」 も初めてリアルタイムで聴いた時には、歌詞や社会状況など理解していなかったが 「なんじゃこりゃ~!」 と思った。 トルコ音楽の 「チェデン・デデン」 を聴いた時には口に出して 「なんじゃこりゃ~!」 と言ったし、ドヴォルザークのバイオリンとピアノのためのソナチネ・ト長調 「インディアンの子守唄」 を聴いた時にも声には出さなかったが、しみじみと 「なんじゃこりゃ」 と思った。




さらに時を経て、20歳を過ぎるようになると、
音楽や絵画、映画や演劇などで人並みかどうかはわからないが
大きく感動したり心揺り動かされることは多くあったとは思うが
「なんじゃこりゃ~!」 と叫びたくなるほどのなんじゃこりゃ体験は
どんどんと少なくなっていった。

そんな 「なんじゃこりゃ倦怠期」 に入った21歳の時、もう26年前なのだが、
今ほど情報がなかった中国に春休みいっぱいの2ヶ月間行ってみた時には
「なんじゃこりゃ~!」 であった。
さすがに 「異文化との接触」 は 「なんじゃこりゃ~!」 の大きな要素である。

生春巻きも、トムヤンクンも初めて食べた時には 「なんじゃこりゃ~!」 と
思ったし。

ただ、異文化にしても異文化への情報量が多くなったせいもあると思うし、
異文化への免疫のようなものを作っていくのが国際化というものであるように
思わせてくれていた教育や文化の背景もあったと思うが、
だんだんと、なんじゃこりゃ体験そのものは少なくなっていったように思う。

「こいつはいいや!」
「やっぱりこれだね!」
というあたりが感動というものの中核に居座り、
「なんじゃこりゃ~!」 は隅においやられてしまった。

その程度ならまだマシなのかもしれない。
自分をマシといってはおこがましいが、
「なんじゃこりゃ」 を否定の言葉だけでしか使わなくなった同年代も
たくさんいるような気がしてきているので。

蓮如上人を尊敬していた人に法敬さんという人がいる。
89歳(満年齢)まで生きた人だ。
その人が
「仏法をきけば驚きやすくなる」
という気になるセリフを残している。
法敬さんは、その晩年近くになって非常に
気になるセリフをいくつも残しておられる方なのだが、
「驚きにくくなった私は仏法をきいていないということなのかなぁ?」
という妙な反省の日々に入った矢先、
不意に

「なんだコレ?」

という言葉を背後から聴いた。

ふり返ると4歳になったばかりの末娘がいたのだ。
4歳の娘はまだ心の鮮度が非常によく、
日々、いろんなものに驚きやすいのだった。

しばらく4歳の娘を 「ココロのボス」 というか、
「新鮮な心の師匠」 と位置づける日々を送ってみた。

楽しい。

チューリップが咲いているのを見つけただけで
「あっ!何だアレ?」
と驚いている娘といっしょになって
「うわぁ!」 
と驚いていると、何より師匠(娘)にものすごく喜んでいただけるのだ。

そして、そんな師匠(娘)と接しているうちに、
松田優作の口から 「なんじゃこりゃ~!」 というセリフが出る以前の、
私自身の子どもの頃のなんじゃこりゃ体験をいろいろと思い出している。

そこで思ったのが、今も残るモニュメントの 「太陽の塔」 である。
思えば、タモリの 「今夜は最高!」 に出演した時も
岡本太郎の口癖は 「何だこれは!」 だった。

年をとってからの岡本太郎のスキー体験は、転んだ後で
「何だこれは! 地球に殴られたぞ!」
と夢中になり、直滑降しかしなかったストレート人生だったそうだ。
仏法をきいていたかどうかは別にして
(法隆寺は燃えていい、みんなが法隆寺になればいい とは言っていた)
晩年まで驚きやすかった人物であることは確かだ。

1970年、私が7歳ぐらいの頃は関西に住んでいたということもあって
日本万国博覧会には4回行った。
7歳だったので各国のパビリオンについてもけっこう覚えているのだが、
圧倒的な 「なんじゃこりゃ!」 はやはり 太陽の塔だった。
「何だコレは?」 という言葉が口癖だった岡本太郎のことなどまるで知らなかった
子どもたち(かつての私も一員)が 「何だコレは?」 といっせいに言った。

各国のパビリオンや丹下健三が設計した万博広場の屋根は
日本万国博覧会が終わると撤去され、
公式のシンボルであったはずのエキスポタワーも2003年に
完全に解体された。
(携帯電話の電波塔など実用にも使われていたそうだ)

役に立っていたものや公式のものは撤去されたのに、
少なくとも実用のものではない 太陽の塔 は残った。
岡本太郎の呪いが怖いからというわけではないと思う。
いまだに 「何だコレは?」 というものなので、
何だかよくわからないから撤去できないのだと思う。

理解や合理性などは超えたものなのに、縄文時代からのDNDに訴えかけてくる何かがあり、
そしてその本能が新鮮な子どもには 「何だこれは?」 と驚かせるものがあるのだろう。

上海の街は、ものすごく久しぶりに再訪したいとは思っているが
上海万博にはまったく興味がない。
「行かなくちゃわからない」 ということもあるにしても
「何じゃこりゃ!」 の要素が乏しいからだ。

それよりは、今4歳の末娘(心の師匠)が7歳になるまでには
大阪の吹田に連れて行って
太陽の塔の前で
「これは何だ!?」
という言葉を耳にしてみたい。


※ 今回、 太陽の塔 の画像は 
無料画像の 街画ガイド 
というところからお借りしてきました。

本当は この写真を使いたかったのですが、
ずっと前にダウンロードさせていただいた写真なので
撮影された方がわからなくなったしまったのです。

b0061413_295216.jpg


どうか、写真の使用許可をいただきたいので撮影者をご存じの方は
教えていただきたいと存じます。
(巧みな引用?)


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2010-05-06 23:35 | 草評


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