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2010年 06月 30日

2010年8月のブログ記事 趣味は多様化から根本化に

b0061413_0481557.jpg おはようございます。マーヒー加藤です。生まれながら大柄。しかしながら時節柄、山雀が鳴き、頭のなかは花柄。日本の8月、さながらクシナガラ。いのちからがらナイアガラ。ひもすがら抜け殻。及ばずながら仕事柄、皆様のご健康を陰ながら祈念いたしております。恥ずかしながら、私の人生「ながら」でした。九州じゃんがらラーメンのダシ殻のような人生です。昔から。ラジオの深夜放送なんかを聞きながら受験勉強の真似事みたいなものをしてきたなんていうことは当たり前。読書だって高校生の頃から酒を飲みつつタバコを吸い、ウォークマン(SONY)から流れるレゲエを聴きながら三島由紀夫の『金閣寺』なんかを読んでいました。だから、あの作品のなかの観念の音楽がレゲエなのは私ぐらいでしょう。親をはじめ上の世代からは何かと批判の的だった「ながら」ですが、今でも弊害ばかりではないと思っています。というのは、大人になったら静かな書斎でじっくりと仕事をしたり勉強できる人なんかはホントに限られていて、多くの人はいろんな音が飛び交う場所で雑念に惑わされずに何とか仕事をしたり勉強したりしなくちゃいけないからです。「ながら人生」は、そのためのいい修養になっていました。

b0061413_1372229.jpg ウォークマン(SONY)などは5台も6台も聞き潰してきた私ですので、iPod(アップル)なんかもあることにはあるのですが従来の私からすれば信じられないほど使っていません。デジカメ写真データの保存先と、ポッドキャストという放送のようなものをたまに聴くことがメインで、昔の私からすれば信じられないのですがiPodでほとんど音楽を聴いたことがありません。しいていえばJポップや洋楽やヨーデル(すごい組み合わせだなぁ)が流れるスキー場の音を消すために、久しぶりに「スキーしながら」をしたぐらいでしょうか。ウォークマンの時代には「これさえあれば」という感覚があったですが、ウォークマンよりも何世代も進化しているはずのiPodに「これさえあれば感覚」は全く持てません。ツールよりも私が変わったのです。 車の運転中にはさすがにラジオを聴くなどの 「ながら」 を続けていますが、音楽の方は車の30GB入るHDがすぐに満杯になってしまい、「音楽の聴き方そのものが間違っているのではないか・・・」と思ってしまって以来、ほとんどラジオぐらいしか聴きません。今、「こんな曲は車のなかでは聴かなくていいな」ということでHDから曲をどんどん削除していく作業をしていますが、HDに入れるよりも選びといい操作といい数倍面倒です。ラジオさえ付いていないスーパーカーやクラシックカーに、魅力的なエンジン音を聴くという理由だけで乗りたいと思うことがあります。

b0061413_2164396.jpg そんな私が、この夏、息子(8才)といっしょに近くの海に釣りをしに行きました。中国に 「一日幸せになりたければ酒を飲め、一年幸せになりたければ結婚せよ、一生幸せになりたければ釣りをせよ」 ということわざがあります。その仰せにしたがって私は酒を飲み、結婚して「あとは釣りだけだな・・・」という思いはありました。ただ、私は坊主(僧侶)です。釣りをされる方は当然ご存じでしょうが、一匹も釣れないことをスラングでボウズといいます。私の知っている釣り好きで自宅や車のスピーカーがBOSEである人は一人もいません。私の頭のなかで中国の箴言にずっと対抗していたのは、この日本のダジャレだったのです。しかし、うちの坊主(8才)が昨年の夏以来釣りバカ息子になったので私も師匠(近所の酒屋のお兄ちゃん)と兄弟子(私の8才の息子)とともに釣りに行くことになりました。この世界、師匠は絶対的なココロのボスであり、一日でも入門が早ければたとえそれが自分の息子であろうと兄さんと呼ばなければいけません。

b0061413_2593867.jpg 釣りに行く前日、私は兄さん(息子)に引率されてマイ竿とマイリールを買いに行きました。初心者がいいギターを買えばいい演奏ができるなんてことはありませんが、いい演奏のきっかけにはなるかもしれないということと、「これで本当に一生幸せになれるなら安いもんだ」 とSHIMANOの竿とリールを奮発しました。SHIMANOは高級自転車などの優秀な部品メーカーですのでそのブランドイメージの良さが私にあります。そして今年の甲子園球場の右中間フェンスには、その「SHIMANO」の文字の広告が入っっていることでついつい買ってしまいました。兄弟子(息子)の竿とリールよりもいいものを使うことになりましたが、兄弟子もその竿が近い将来自分のものになるかもしれない予感でニンマリしていました。 釣り早朝の当日、その竿に仕掛けを付ける時、私は自然とクラシックギターのナイロン弦をブリッジに固定するのと同じ結び方を自己流でやっていました。「いい手つきじゃないですか、実は釣りの上級者でしょ?」と師匠に言われました。

b0061413_358013.jpg 師匠と兄弟子(息子)の薫陶の賜で、投げ釣りでキス(鱚)や未来のスズキ(鱸)であるセイゴがけっこう釣れました。そしていわゆる外道としてフグも釣りました。私はフグ調理師免許をもっていないのでリリースしてやろうとしたら、フグは怒って「ブーブー」と、ホントに豚みたいな鳴き声をあげました。フグを漢字で「河豚」と書く理由を左脳ではなくて右脳で学習しました。 そのフグの鳴き声がいちばん印象に残った音ですが、波の音をはじめいろんな現実の音を聴きました。それのみならず、クラシックギターの結び方をしたせいか海のなかの仕掛けとともに私の雑念も大海のなかを泳ぎ、いわば意識のノイズとして観念のなかで美しいクラシックギターの音を聞きました。「無心になる」とよくいいますが、お金の無心ならともかく、本来の意味での無心はなかなかないと思います。いろんな雑念の連続でした。しかし、1回釣りをしたぐらいで偉そうですが、その雑念に集中して雑念を楽しむような境地が「一生の幸せ」なのかもしれません。


マーヒー加藤



b0061413_42915.jpg しばらくブログ記事は月にひとつと決めているので、そのひとつの記事が長くなっちゃう。 三日前(これを書いているのは8月27日)の夕方にシャラポア(妻・日本人)「この近くに銭湯はありますか?」とM君とO君という二人組の自転車ツーリストに尋ねられて「うーん、日帰り温泉とかクアハウス系はあるけれど・・・じゃ今日は家に来てシャワーにするか?」と、ママチャリ乗りが本格的ロードバイクと本格的クロスバイクの二人の青年を寺の境内に誘導してきた。聞けば二人とも19才の大学生で山口県の下関から青森まで自転車での本州縦断中だという。シャラポアには常々、マーヒー19才の夏のオートバイ旅行の話をしていたのが寺に連れてくる伏線になっていたのだと思う。自然と「どうせならシャワーでなくて風呂に入れ」「どうせなら夕飯喰っていけ」「モンベルのムーンライトテント持っているみたいだけれども、どうせなら泊まっていけ」 という流れになった。二人のいちばんの魅力は 「この二人は今回の旅を通じて、確実にたったひと夏で変わっていくのだろうなぁ」 という可能性のようなものを感じさせてくれるところだった。もうすぐ目的地の青森に着く頃だろうが、彼らの無事を願う。彼らにひとつだけ頼んだことがある。写真左端に裏側が写っているこのブログでおなじみの法語掲示板であるが、ここに載せるいい言葉に旅先で出会ったらこのブログに送って欲しいということだった。草仏教掲示板はブログ上では半年間休載なのだが、いい言葉に出会って欲しいという意味もあって楽しみだ。見送るマーヒー、もうすぐ47才だ。

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by kaneniwa | 2010-06-30 05:40 | 雑草


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