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2010年 06月 30日

2010年9月のブログ記事 The order

b0061413_3382447.jpg サンマの価格と価値、上がりましたね。「お、世間でいうほど高くないじゃないか・・・」と思えば、それは去年の冷凍物だった。写真は昨年のものから。昨年の新モノ。 さて、深夜のバラエティ番組を観ていて、元広島カープの主砲であり打撃コーチであり監督であった 山本浩二氏に 「焼き魚でオーダーを組んで欲しいというオーダー」があった。 この場合、前者のオーダーは「打順」 という意味であり、後者のオーダーは「指令」 というような意味である。 野球選手としての山本浩二を覚えている人は、赤いヘルメットでの不動の4番バッターのイメージをもっている方が多いと思う。それが山本浩二の選手像の中核であることには違いないが、マーヒー加藤は大変に古い野球ファンなので広島カープが黒ヘルの時代も知っている。森永監督時代あたり、カープの投手陣でいえば外木場(そとこば)あたりがバリバリの速球派で絶対的なエースであった頃に法政大学からやって来て、セントラルリーグ屈指のリードオフマン(1番バッター)として活躍していた頃から野球中継を観ていた。この「オーダー」は、仕事?としては監督もしくは打撃コーチとしての野球センス?が問われる作業ということになろうが、さっそく1番バッターにどの焼き魚をチョイスするのか興味津々で久しぶりに深夜のバラエティなんかにかじりつくことになった。 それでは山本浩二氏が組んだ焼き魚による見事なスターティングラインナップを発表します。

1番 サケ
2番 アジ
3番 金目鯛の開き
4番 ノドグロ
5番 サバ
6番 ホッケの開き
7番 太刀魚
8番 タラコ
9番 サンマ (DH)
  

これはお見事だ。野球と焼き魚を熟知する者がのみが組み得る打順である。
1番アジで2番がサケではないか、ということも思ったが、
考えてみれば(すごい妄想を刺激された)、実際の野球でも打順を
入れ替える際にいちばん考えるのは1番バッターと2番バッターの交換だ。
さらに、チーム事情(焼き魚チームのどんな事情だ?)によっては
いざという時に1番バッターは3番も打てる人材(魚ですけれど)でなくてはならない。
そういう意味で1番サケ、2番アジが定型として納得できる打順である。

3番 金目鯛の開き  4番 ノドグロ には 「不動」 の香りが漂う。
特に 4番 ノドグロ についてはテレビ局が用意した色々な焼き魚の
リスト(メニューか?)をじっくりと凝視しながら
「俺のいちばん好きな焼き魚が入っとらんぞ」 と一喝し、
監督自らが日本海からスカウトしてきたような逸材である。
4番には 「モノが違う」 と世間に言わしめるほどのカリスマ性を帯びた
人材(魚)を起用しなければならない、という信念を感じた。

5番 サバ にも即座に万人をして納得せしめるチョイスを感じる。
そしてサバの調子が落ちてきた時(?)、スランプに陥った時(?)には
すぐさま 6番 ホッケの開き か 7番 太刀魚 と打順の入れ替えだ。

8番 タラコ にもっとも 「山本浩二監督らしさ」 を感じた。
実際のプロ野球にたとえれば (このオーダー自体、何かの譬えです)
海のものとも山のものとも知れない (海のものです)
高卒ルーキーを起用する感じだろうか。
しかも、投手である高卒ルーキーを野手として起用するような、
そんな意外性を込めた選択である。
意表をつきつつ、このタラコという卵は実戦(?)を通じて
すぐにタラに大化けし、チーム全体(?)を魚市場のように
活気づかせる可能性を秘めている。

打順の最後、お茶会の客でいえば 「お詰め」 にあたるところに
サンマ をもってきた。
しかも、打順を組むことは委託されてもポジション(守備位置)の
ことについては何も要求されていないのに サンマはDH(指名打者)の
指定までしてきた。
山本浩二監督の頭のなかでどうも
「サンマはこのオーダーに欠かすことはできないが、
どうもサンマに守備は難しいか・・・」
という深すぎてわからない思索が密かに展開していたようだ。
焼き魚たちは何を守っているというのだろうか・・・

まさか、DHというのが、サンマの脂分に多く含まれているという
DHA(ドコサヘキサエン酸)からの連想か?とも思ったが、
たぶん山本氏は頼まれてもいないのに守備位置まで考慮しながら
この打順を組んでいったのだ。
これはマーヒー加藤の深読みであるが、焼き魚でオーダーを組んで
いった山本氏の深層心理のなかに、
1975年シーズンに 9番でDH という起用をされていた
太平洋クラブライオンズの江藤慎一選手の面影があったのでないだろうか。
9番にDHの強打者を置くことにより、相手投手はまさに気が抜けない。
DHの強打者、サンマが9番に控えていることで、さらにつながっていく
1番サケの、チャンスメーカーのみならずポイントゲッターとしての
ポテンシャルも引き出されるのだ。

1975年、それは山本浩二選手が、それまで俊足の中距離打者として
脇を固めていた存在から、3割と30本を打って不動の4番打者へと
なっていった重要な年である。

つまり、サケがノドグロになった年である。






b0061413_3394050.jpg  さて、野球といえば先日の9月10日、妻(日本人・シャラポア)の前で、結婚後初めて見せる「特技」を披露することになった。シャラポアは、15年ぐらい前から私が野球をやるところを見てくれた。初めてゲームを観にきてくれたのは東京の杉並区の哲学堂の野球グランドのナイターだったと思う。哲学堂という公園を造ってくれた井上円了先生に感謝しなきゃ。その試合、投手としてなかなかいい投球ができ、打者としてフェンス直撃弾を放った。もしもその時の試合で投手としてヘロヘロで打者としてもヘッポコだったら、今頃運命はどう転んでいたのだろうか?(てなことを考えつつ三人の子どもの寝顔をしみじみ眺める) この9月10日に見せることができた「特技」は、石灰を使ってネックストバッターズサークルなどの円を正確に描くことと、長く真っ直ぐなラインを引くという「プレー」である。実は私、この「プレー」が好きでたまらないのだ。なんちゃってヤンキース(草野球チーム)関連では若手に任せたり、多くの人に関わってもらうために手を出さなかったり、そもそも専門のグランドキーパーさんがいて封印してきたのだ。 こんな「プレー」の自慢をブログに書くとは私も人間が小さいが、この日は試合ではなくエントリーしたナイター大会の「係役担当ゲーム」として、その役割が回ってきた。試合前の私の「プレー」に、これから試合をする両チームベンチから「よくそんなに真っ直ぐなラインを引けますね」とか「すごいスピードで何も参照しないで、よく正確な円が描けますね」という声を上げてくれて、ちょっと得意気になってしまった。これは野球というよりも、学生時代に滋賀県教育委員会の発掘のバイトをさせてもらった経験が大きかったと思っている。昼は野洲周辺の発掘をし、夜はJAZZ喫茶でバイトという生活をしていた時期があった。考古学では、石灰でひかれた丸いサークルは「ここ掘れワンワン」のサインであり、ちょうどネックストバッターズサークルの大きさの円になることも多かった。そして境界線として長く真っ直ぐなラインを引くことも多かったのだ。ライン引きと整備が終わると、そのまま三塁の塁審になった。ファウルかフェアか、けっこう際どい打球もあったけれど、自分で引いたラインなのでジャッジに迷いはまったくなかった。

フェア イズ ファール
ファール イズ フェア
(綺麗は汚い 汚いは綺麗)

シェークスピアの 『マクベス』 冒頭より




マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2010-06-30 05:41 | 雑草


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