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2010年 06月 30日

2010年10月のブログ記事  光の教会 影の庫裏

b0061413_23542660.jpg 光の教会というのは大阪の茨木市春日丘にあるプロテスタントの教会で、コンクリートを大きく十字に切ったところから差し込む光が十字架である。バブル期に8000万円の見積もりに対して3000万円という超低予算で建った。設計は安藤忠雄。 影の庫裏、まずは庫裏(クリ)という言葉から解説しよう。庫裏は庫裡とも書くが同じ意味だ。寺院生活者の住居を指す。 影の庫裏 は別名 「びっ庫裏トレビ庵」 とも言う。 設計はマーヒー加藤&シャラポア(妻・日本人)と言いたいのだが、一級建築士の資格をもつ なんちゃってヤンキース の背番号6、ラヴⅣ世 がマーヒー&シャラポアの描く幼稚な図面をCAD(PCソフト)を駆使してくれて正式な設計図にしてくれ、一昨年に本堂を大改修したばかりでご門徒からの寄付はなかなか募れないという事情のなか、低予算で影の庫裏(びっ庫裏トレビ庵)の施工を受けてくれた。(低予算といってもストックしておいたマーヒーの退職金などの貯金は吹っ飛んだけどね) 写真はラブⅣ世ではなく、現場の大棟梁である。シルエットではもったいないイケメン大棟梁なのであるが、この人が名人であることは音でわかる。作業をされている時の音が実にリズミカルであり、いいサウンドを鳴らしている。夕暮れ時に、そのいい音がしてきたので望遠レンズでこっそりと撮影させてもらった。




b0061413_23553883.jpg 影の庫裏が制作なかばにできたシルエット写真を、夕暮れ時の望遠で手ぶれがあるもののシャラポアは 「これはいい、さっそく大棟梁にプレゼントしよう」 と私のデジカメからSDカードを抜き取ってプリントしに行った。額に入れ、翌日、さっそく3時のおやつの休憩時にプレゼントした。大棟梁は照れながら受け取ったのだが、嬉しかったのは、そのご家族のなかの小学生の男の子が 「すげえカッコいい!俺も大工になる」 と言ったらしいことだ。影の庫裡構想は間違っていなかったと思った。男の子はこの写真のシルエットに大棟梁の存在(リアル)を感じ取ってくれたのだ。 ラヴⅣ世にも感謝しなければ。ラヴⅣ世は、優れた一級建築士であるがけっして杓子定規なところはなく、自宅にブルペンを作ってしまうようなバカ(もちろんほめ言葉)である。今年、新潟大学に見事合格したご長男はその成果あって法学部とともに野球部に入った。誤算だったのはブルペンでの特訓でピッチャーとして育成しようとしていたのに優秀なキャッチャーになってしまったことぐらいだろうか。 そういうラヴⅣ世なので他の一級建築士が聞いたら 「こいつらまともじゃない」 と思われても仕方ないマーヒー&シャラポアの構想をおもしろがり、かつ真面目に取り組んでくれたのだ。 

b0061413_23555738.jpg 私のところはブルペンは作らなかった。影の庫裡、びっ庫裏トレビ庵の中核になるのがキッチンである。尊敬する先輩住職から 「あんたは本堂で言っていることと台所で言っていることが違う」 と言われた。キッチンで語る仏教が草仏教というものでありたい。(もちろん、本堂で語ることを軽視するつもりはない) その中核となるキッチンの中心に、はるばるバーモント州からVIGILANTという薪ストーブがやってきた。合衆国で1200ドルぐらいのものが日本では35万円もしてしまうのは昨今の円高ドル安も勘案するとバカらしいといえばバカらしいが、今のところ薪も炭も石炭も焚ける多燃料式のストーブはこれしかないのだ。これしかないとはいっても、元々、SLのボディを思わせる鋳鉄の質感とこのストーブのスタイルには惚れていた。かえって一世一代の買い物に迷いがなくて良かった。値段のこともあるが、なんせ215キロの重量なので車よりもはるかに買い換えは難しい。VIGILANTという名は 「寝ずの番」 (マーヒー流訳) という意味だ。私はこのVIGILANTの文字に、合衆国のある看護士さんの書いた、確か 「ヨブとオレンジ」 というタイトルでのブログ記事が思い浮かぶ(保存もしていないのでうろ覚え)のだが、それはまた別の機会に。とにかく 「寝ず」 → 「根津甚八」 → 「甚八」 ということで、このVIGILANTのことは 「甚八」 と呼びたい。 甚八が置いてある台所のテーブルや椅子はすべてキャンプ用品である。調理器具も食器もキャンプ用品が多い。多いというか、ほとんどか。キッチンとしては 「なんじゃこりゃ?」 であろう。キッチンではなくて 「もしもこれがテントのなかだったら」 というイメージをはたらかせてくれる人にとっては 「びっくりトレビアン!」 と言ってくださるスペースであろう。 このキッチンの照明を消して、甚八の耐熱ガラスの炎だけの状態にすれば、そこにいる人(定員10名程度)はみなシルエットになるはずである。その影はよりリアルに人の存在というものを互いに感じさせてくれることだろう。そのことが、今の世の中でいちばん大切なことだと感じたので多少の無理と無茶をした。 



追記

境内の木々だけでは薪の分量はまかなえないと、炭も焚ける甚八にしました。
もともと炭火も好きですし、クッキングでの利点も大いにあってストーブを甚八に決めて
そこに迷いはないのですが、試運転もしていない (完成間近ですが・・・)のに、
薪に関して嬉しいことがありました。

何人かのご門徒(檀家)さんが、薪になる木を寄付してくださるのです。
なかには、
「丹誠こめて手入れとして育てた木の大枝を苦労して落とすのに、
それに金をかけてゴミとして処理しなければならなかった心の痛みがあって、
もう庭の木なんかやめようかと思っていたら、薪木として乾かして使ってくれるなんて
本当にありがとう」
と言ってくださった方もいらっしゃったのです。
差し出す方が 「ありがとう」 という世界に出会えました。

暑かった今年の夏、まだ計画だけだった時期から、
少しずつ薪も集まり、ぬくもりというか暖かさを真夏に感じるような
経験をいたしました。

薪小屋が宝箱になりつつあります。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2010-06-30 05:44 | 草仏教


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