草仏教ブログ

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2010年 09月 25日

私は神様を雇うことにした

俺ってバッカだなぁ~と思う。
関西でいえばアホやな。
昔から試験期間ほど好きな本が読みたくなってしまい、
観たい映画を観たがる。
「お前はいったい何をやりたいのか?」 
という根元的問題を喚起してくれる意味で試験というものは
実に有意義だったな。

ブログ休養宣言中であり、忙しいお彼岸期間中ほど
何だかブログ記事も書きたくなってしょうがなくなる。
まあ、そういう気持ちもずっと貯めて充電するつもりの休養宣言であったが、
このままでは放電するかもしれないな。

今日もまた、時事問題に続いて TB (トラックバック) というものが
あるなぁ・・・と思ってしまった。

「月にブログ記事は当分1本のみ」 という己のルールを簡単に破る。
10月に入ってから TB用の記事を書いてTBしたのでは
「あんた今頃なにやってんの?」 ということになってしまう。

TBで異論や反論をするのではない。
議論をしようという目的でもない。

そのブログ記事を読みながら連想のように思ったこと、
それは今日書かなきゃ、消えてしまうだろうなぁというモチベーションだ。





TBしたくなった記事は、眞紀さん が書かれたものである。
歌舞伎を観に行かれて、マナーの悪いお客さんを嘆く趣旨である。

読んでいて、いろんなことを感じたというか、私の思想のノイズが
わき出てきた。

エンターテイナーの原則は 「お客さまは神様」 である。
消費者は王様であることと似ているが、王様より神様は格上だ。
作家のサガンがフェラーリを買いに来て、エンツォ・フェラーリが
彼女の細い腕をさわって 
「売れません」 
と言ったというエピソードを
聞いたことがある。
あるいは、今はなかなかないだろうが、怖い寿司屋に
「帰ぇんな!うちにはハナタレ小僧に喰わす寿司なんてねぇんだ!」
と言われた人がいたとかいなかったとか。
あるいはこだわりすぎのラーメン屋でも言われたとか言われなかったとか。
そして、これもまた今の京都のなかでは数えられるほどだろうが
「すんまへんなぁ、うちは一見さんはお断りしてますねん。
顔を覚えられる範囲だけで仕事してますよってに、かんにんしてや」
と言われた人がいたとかいなかったとか。
しかし上記は商品や飲食に関わることであり、
車や外食に娯楽性は多いにあるとはいえ、
エンターテナーの言った言葉ではない。


「あなたは歌舞伎を観ちゃだめよ」 
なんて言われた人は、市川猿之助へのストーカー行為によって
「もう猿之助さんの半径100メートル以内に近づいちゃダメだからね」
と裁判官から宣告された女性以外にほとんど知らない。
チケットを買えば、あるいは招待券をもらえば、
あるいは歌舞伎鑑賞がプログラムされたバスツアーに参加すれば、
誰でも観ることができる。
よっぽど常識を逸脱していない限り。
(その常識の境界線がファジーなことは確かだ)

まず私がこれから論じることの前提にしておきたことは
いかに歌舞伎の名役者であろうとも、
幼い頃から芸を仕込まれ、伝統を背負い、
時には新しい息吹を吹き込むためにその伝統と格闘し、
芸を磨き続けて絶頂期にあると言われる大役者でも
「客を選ぶことはできない」
のだ。

お客様が神様であるなら、
私は頭のなかにニーチェを思い浮かべてこう言いたい。
「お客様は死んだ。いや、われわれが殺したのだ」 と。

お客様が依然として神様であったなら、
音楽のジャンルを問わずにCDのライヴの名盤が
もっと出てきているはずだ。
(DVDのライヴはいっぱい出ているけど)

テレビのお笑い番組は、
ヒットラーの演説に巻き起こった歓声の音量レベルを上げて
放送していたように、疑似も含めて笑い声を増幅させている。

さて、これからが本題である。
「客が死んだ」 ということを悲しく嘆くことを中心に書くのではない。
これから書くことは私が楽しく楽しく妄想したことがほとんどである。
眞紀さんのブログを読んで、
「私には客が選べる」 という、今までまったく気がつかなかった幸せを
精一杯感じての妄想である。



(1) 落語家としての私 その1

私は落語の修行など一切したことがない。
ただ、ギターを抱えて高座にあがったヘボ落語家の落語を聞いて
憤慨したことがある。
二つ目ながらプロじゃないか。
ギターを手にして落語の合間に登場する 「なんでかフラメンコ」 で
有名な堺すすむ など、いわゆるプロのイロモノさんへのリスペクトが足りない。
あんまり伝統どうのこうのは言いたくないのだが、
落語家なら扇子一本でギターを表現し、裏方のギター演奏が入ってもいいので
「エアギター」 を見せてくれるならOKだ。
仮に、その落語家が凄いギター演奏ができたとしても、
落語家として音に思い入れをもつならば
三遊亭兼好(実在する落語家です) のように
自分の 語り口の音 というものを徹底的に追求して欲しい。

ともかく、プロの落語家のしょうもないギター芸に憤慨した私だが、
落語家としての私は背負うべきものや身につけるべきものから
完全にフリーな立場なので、ギターをもって落語をやりたい。
演目は、『寝床』 を私が改作した 『寝袋』 である。

あらすじは、ボーイスカウト部の怖い先輩といっしょにキャンプに出かけ、
テントのなかで延々と70年代フォークを聞かされるというもので、
オチは、ちょっとでも落語を知っている人であれば、もう見えているだろう。

このしょーもない噺を、実際にテントのなかで初演したい。
アルフィー・坂崎の優れたお笑いギター芸である
「どうしても半音高く歌ってしまう人」 と、
「どうしても半音低く歌ってしまう人」 は難しいがマスターしておきたい。

ピルツ15 のように詰めれば10人ぐらいというテントのなかで
初演したい。

そして、いちばん大事なことは、今まで出会った知り合いのなかで
とびきりの笑い上戸をお客さんとして10人そろえておきたい。


(2) 落語家としての私  その2

さて、とびきりの笑い上戸を10人そろえられた『寝袋』 の初演が成功したら、
次は千葉県に行きたい。
有名な 『芝浜』 を私が改作した 『舞浜』 という落語を初演したい。
『舞浜』 はギター抜き。衣装も和服に羽織でビシッと決めていく。
今回のお客さんは、前回のテントの笑い上戸の10人に、
「演技で泣くことができる劇団員の皆さん23人」 をエキストラで追加したい。
会場は、ディズニーランドのなかの 「クラブ33」 を貸し切って、
そこに、そのお客さん33名に入ってもらう。

私の 『舞浜』 のあらすじは、まあどーでもいいのだけれど、
倒産した水産会社の社長が一家心中をする前に幼い子どもたちに
東京ディズニーリゾートを満喫させようとやって来て、
ホテルミラコスタに住んでいるという 「謎のご隠居」 と出会い、
その勧めにしたがって3時間並びでスプラッシュマウンテンに乗り込み、
頂点から落下する恐怖と、それを乗り越えた後の子どもたちの安心からくる
心からの笑顔とはしゃぎぶりに接して、次の日に決行しようとしていた
車ごと東京湾に突っ込む一家心中計画をやめるという噺。

「これが夢になっちゃあお終めぇよ」 というオチは 『芝浜』 と同じ。

このオチに入る直前に、エキストラの皆さんには泣いてもらう。
その泣きの演技の良さに誘われて、
私もオチのところは泣きながら語る。
その後、深々とおじきをしたまま立ち上がれない私を
エキストラの皆さんが取り囲んでスタンディング・オベイション。
「よっ、師匠!」
「夢の国だねぇ」
などの、賞賛の言葉を泣きながらかけてもらう。

ちなみに、出囃子もプロを雇って 『星に願いを』 なんかを三味線と太鼓で
やってもらいたい。

(3) 野球選手としての私

やはり 「野球ができる劇団員の皆さん」 を20名公募する。
両チームはもちろん、審判も野球ができる劇団員。
私は投手としてマウンドに上がる。
投球練習の時から、私が投げるたびに相手ベンチのエキストラに
「すっげぇ!」 とか
「速い!」 とか
言ってもらう。
対戦し、スローカーブを投げたら
「これが噂のナイアガラか、こりゃ魔球だぜ」
と言って唸ってもらう。
うーん、でもこれはあんまり面白くないな。
やっぱ野球は脚本抜きの真剣勝負じゃないと面白くないな。
せめて監督を映画監督にして 「いい絵を撮る試合」 ということに
しておこう。

(4) ミュージシャンとしての私

京都だと蔵を改造したライブハウスの拾得あたり、
東京だと高円寺のジロキチあたりの規模のハコを貸し切る。
これ自体はハコの規模は同じぐらいでもクラブ33を貸し切った時の
苦労を考えたら簡単だ。

問題は、やはりお客さんだ。
若い女の子のエキストラの皆さんにキャーキャー言ってもらうのもいいが、
やっぱりせっかく今回も劇団員を雇うとすれば、
やる曲目(まだまったく未定だな) を聞き込んで、
絶妙の反応をしてくれるエキストラの皆さんがいいな。
貸し切ったハコに詰め込むお客さんを40人とすれば、
200人集めてオーディションだな。
普通のオーディションとは逆で、私が歌い演奏し、
その聞く様子を審査する。
派手に反応する役者がいいとは限らない。
静かに聴く役者にむしろダイヤモンドがいそうだ。

スタンダードをやる場合、そのスタンダード曲をどれぐらい
聞き込んでいるかはその審査の重要なポイントだ。

40人が決まったら、事前にやる予定の曲の私のデモ・テープを
十二分に聞き込んでもらう。

本番では曲の間奏などに絶妙の合いの手を入れてもらい、
世に出たはずがない私のオリジナル曲のサビを合唱するという
珍事が起きる。

(5) 小説家としての私

私の書いた小説を読んでみたいという奇特な方が実在した。
小説なんかまだ一作も世に出していないのに。
私も何もないところからは小説など書けないので
場所、車、食べ物、小道具、音楽などの項目で
頭に浮かんだキーワードを出して欲しいとお願いした。

それらのキーワードがメールで送られてきた時、
私にとっては意外なものばっかりだったのでとまどったが、
そのキーワードたちをじっと見つめていたら、
ものすごく映像的なラストシーンが頭に浮かんできて、
「あっ、これは何とかそこにもっていく物語が書きたいな」
と強く思っちゃった。
私一人では絶対に出てこないラストシーンだ。

お客さんも一人だけなら、私にも小説というものが書けそうです。

年内には書きかけでも送ります。



お客さんを選べない。
神様を選べないのがプロというものです。

アマチュアの趣味の世界は
「お客さんを選べる」
ということがあるのだなぁと思いました。

ほとんどは妄念妄想ですけれども。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2010-09-25 04:30 | 雑草


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