2010年 12月 18日

歴史が変わった瞬間に立ち会う (1) 甲子園球場





歴史的瞬間に立ち会ったことはありますか?

これは難しい問題です。
その時は、異様な熱気のなかに居たということは分かっても、
それが果たして歴史というものに残るような瞬間であったかどうかは、
それこそ後の歴史が決めることだからです。

これから語る二つのエピソードのうち、最初のものは
ハッキリと私の記憶のなかだけではなく、
記録としても歴史に残っております。
2010年末の今でも、動画サイトへの投稿が絶えないような
プロ野球の名場面集に残る歴史的シーンです。

これは私の記憶のなかでも、1985年4月17日(水)の夜、
なぜ甲子園球場に居たかという経緯も含めて、
実によく覚えています。

1985年の4月17日は、私は関西の私立大学の4年生に
なったばかりでした。
その年の1月末の3年生(関西では3回生と言ったなぁ)
の後期試験が終わり、2月に入るとすぐに香港に行きました。
香港で、当時、中華人民共和国の団体ではなくて個人観光ビザが
30日間取得できるようになってからそんなに間もない時期でした。
この30日間のビザを中国国内で1回延長し、60日間中国に
滞在しておりました。

九龍鉄道で中国に入国し、広州からベトナム国境の南寧に滞在し、
そこでチベット自治区の北にある青海省というところが個人旅行者に
も訪問できるようになったという情報をそこで知り、
まったくの行き当たりばったりでしたが 
「これも何かのメッセージ」 だと思って青海省にひとり向かいました。
青海省は、それまでも登山隊や医療団体、学術調査隊や
NHKの「シルクロード」の取材スタッフ、さだまさしが大赤字を
抱えた映画の撮影隊などが団体で入ったことがありますが、
1985年の2月という時点で単独で青海省に入った日本人は、
河口慧海(川口ひろしではないよ)以来の歴史で、
特別に許可証を発行してもらって中国人ガイドとともに
取材のために訪れたという作家の小松左京の次ぐらいが
このマーヒー加藤だと思います。
まあ、60日間、コミュニケーションは紙に即興の七言絶句の
デタラメ漢詩を作詩しつつの筆談が中心だった無茶な放浪を
したわけですが、その話は中国の歴史を変えたわけでもないので省略します。

要するに3回生の後期試験を終えた後にずっと放浪生活モードに入り、
4月8日に再び香港から成田空港に帰り、
そこから4月10日の新4年生としての
取得単位登録のために京都に戻ってきました。

京都の下宿(学生アパート)に戻ると、異変に気がつきました。
麻雀仲間だった隣の部屋の他大学の先輩が、大手自動車メーカーに就職を
決めて下宿をひきはらったはずなのに、4月の9日にまだ学生下宿に居るのです。
聞けば、4年生の最後の後期試験で複数の単位を取得できずに留年が決まってしまい、
野球で言えば延長戦ともいえる5年生をやることになってしまったとのことでした。

1月中などに後期試験中だというのに麻雀にひっぱりこんだ麻雀仲間は
かなり罪悪感をもちました。
そして、4月の京都、桜がもっとも美しい時節だというのに暗い部屋で
ふさぎ込んでいる先輩を励ましたいというような思いをもちました。

その先輩は熱狂的な阪神タイガースのファンでした。
先輩を元気づけようと1週間後の4月17日水曜日の甲子園球場の
1塁側内野スタンドの席を麻雀仲間の後輩に確保させ、
麻雀仲間の4人で観戦に行ったのでした。

試合は阪神の工藤一彦と巨人の槇原寛己の投げ合いでした。
大の阪神ファンである留年した先輩は
「うーん、工藤は調子が悪い時はよだれを流しながら投球しよるな。
今日もよだれ出とるで。もしかしたらアカンのとちゃうか」
と予測していました。
その先輩の嫌な予感は的中し、クロマティにホームランを打たれて
7回裏を迎えた時点で1-3の劣勢。

先輩を励ますために京都からやってきた甲子園です。
タイガースに勝ってもらわなくては励ましにも景気づけにもなりません。
「この試合を勝ちたい」
という願いは、吉田監督にも
劣るとも勝らない、否、勝るとも劣らなかったと思います。

伝説の7回裏、ランナーを二人置いて打席に3番のランディ・バース選手が
入りました。
21歳のマーヒー加藤は、バースの大きな背中に
「ホームランを打て、打てば劇的な逆転3ランだ」
という念力をおくり続けていました。
私だけではなく、3万人ぐらいがそういう念力をおくっていたとは
思います。

低くて強い弾道の打球がセンター方向に伸びていって、
本当にホームランを打っちゃいました。
逆転3ラン。

私も先輩と同じく阪神ファンです。
しかも、小学校の途中で阪神ファンが多い土地から
巨人ファンが圧倒的に多い土地に転校したという
ルサンチマンをも背負った阪神ファンです。
特にバース選手というのはハレー彗星に乗ってやってきた
阪神タイガースの救世主であり、その打撃にはこの試合以前も
以後もずっと注目していたのでありますが、彼のガッツポーズというのは
他の場面で見たことがとうとうありませんでした。。
試合展開として最高の場面で出たホームランであったことと、
バース自身としてもあの打球は会心の一撃であったことがわかります。

阪神甲子園球場が最大級の大歓声に包まれた。
まさか、ここからさらにさらにボルテージが上がっていくとは。

続いて4番の掛布雅之選手、やってくれました。
のちに 「球史に残るバックスクリーン3連発」として
語り継がれるものの2発目ですが、正確にはバックスクリーンの
レフト寄り、バックスクリーンのカネボウの広告の看板の左側の
外野スタンドに飛び込んでいます。
ホームランボールを拾い上げた人もいるでしょう。
実際に、掛布選手はバックスクリーンホームラン賞の景品を
もらっていないとかいう話も聞きました。
でも、この伝説の場面では3メートルぐらいの距離の差は
誤差というか許容範囲に入るでしょう。
のちに社会人になってから行った祇園のバーのママさんが
「関東の人は好かんけど、千葉出身の掛布さんだけは好きやわぁ」
と言っていましたが、彼が新潟県の三条市生まれであるという事実は
あまり浸透していないようです。
新潟県人で阪神ファンの方々は、この事実をもっと大事にしましょう。
三条市生まれのいちばんの有名人が、かつて巨人の投手でもあった
ジャイアント馬場だとすれば、その次はミスタータイガースの
掛布雅之選手です。

さて、続く岡田彰布のバッターボックス、この時にスタンドに居た人々、
テレビ中継を見ていた野球ファンの多くが、
「もしも岡田もホームランを打ったら・・・
 しかもバックスクリーンに打てば・・・」
とちらっとは思ったはずです。
数秒後、それは現実となりました。
しかも文句なしのバックスクリーンへの特大ホームランでした。

興奮と大声を出し過ぎてビールが飲みたいと思いました。
せめてコーラが飲みたいと思いました。
でも、しばらくの間、売り子はやってきませんでした。
甲子園全体のざわめきがとまりませんでした。
7回裏の攻撃が終わって8回表の巨人の攻撃中もずっと
甲子園全体のざわめきは止まらなかったのです。
「すごいものを見たぞ」
というざわめきです。
この雰囲気は、テレビではわからない空気感です。

楽天イーグルスの現役選手である中村紀洋選手はこの時、
レフトスタンドでこの試合を見ていたそうです。
当時の彼は11歳の少年でした。
その彼がのちに、やはり抜群の破壊力をもった
「近鉄バッファローズいてまえ打線」の中核を担ったこともまた
感慨深いことです。

9回表の巨人の攻撃で原辰徳とクロマティがホームランを放ち、
さらに中畑清があわや同点ホームランか?という大ファールを放ち、
歓声と悲鳴とが交錯する展開でしたが阪神が3連発での
得点を守って勝ちました。
6-5でした。
この6-5というスコアも、
1番の真弓明信を斬り込み隊長に破壊的な打線を組み、
投手陣は絶対的なエースこそいなかったものの
中継ぎの福間投手がフル回転して抑えの山本和行投手に
つなぐというこのシーズンのタイガースを象徴していた気がします。

阪神タイガースは、この年、1985年(昭和60年)
ご存じのように優勝します。日本シリーズも制覇します。

大阪の道頓堀ではカーネル・サンダースの人形が
「バース!バース!」のコールとともに胴上げされて
道頓堀川に投げ込まれました。
今年、2010年の初めだったでしょうか、
「ミロのヴィーナス以来の大発見」 として久しぶりに
引き上げられました。
大阪はもちろんすごい騒ぎになっていましたが、
京都の繁華街、河原町周辺もすごいことになっていました。
カラオケのあるお店では延々と 「六甲おろし」 ばかりが
ヘビロテでリプレイされ、カラオケがない店でも
無伴奏での同曲ばかりのリフレインが止まりませんでした。

河原町周辺に何台か出動していたパトカーは、
いつの間にかスプレーをかけられて黒と白の縦縞に
なっていました。

4月17日のバックスクリーン3連発は、
さまざまなところに奇跡を呼び続けます。
バカ息子可愛さのような、猫のような虎を可愛がっていた気質が
あった阪神ファンが、ダイナマイト打線以来の牙をよみがえらせた
阪神タイガースの奇跡を目の当たりにして、奇跡を信じるようになったのです。
そのダイナマイトの導火線となった試合が、この4月17日のナイターです。
この日から、阪神ファンには奇跡を信じる力が芽生えたのです。
この試合の帰り、我々は満員で興奮が冷めぬ阪神電車に乗り、
梅田駅前の「百番」という体育館のような巨大居酒屋に行きましたが、
何とそこは水曜日の夜だというのに満員になっていて入ることが
できませんでした。
甲子園球場から流れてきた人やテレビで見ていた人が、
その奇跡を語らずにはいられなくなったのでしょう。

留年して一年間の延長戦に入った隣の部屋の先輩は、
その年の就職戦線で奇跡を起こします。
麻雀をしながら(留年しても相変わらず私と遊んでいる)
涙ながらに語ってくれた話なのですが、
何と先輩は昨年と同じ大手自動車メーカーの面接を受けます。
そこで土下座して
「僕は昨年、せっかく内定をいただきながらも留年でそれを
フイにしてしまったドアホです。身を粉にして尽くしますので、
どうかここで働かせてください」
と言ったそうです。
人事部長が駆け寄って涙を流しながら
「わかったから頭を上げてくれ。
 君のような男に会えて嬉しいよ」
と言ったそうです。再び同じ会社の内定を得たのでした。
先輩もまた、逆転ホームランを放ったのでした。
この年の阪神タイガース優勝での経済波及効果は何千億円だとか
いわれていますが、お金にも代えられない効果が波及しまくったのでした。


マーヒー加藤


※ もうひとつの 歴史的瞬間は、これに比べると地味ですが
  現在の生活にはより密接に関係している歴史です。
  また改めてもうひとつの歴史的瞬間を書きたいと思います。 
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by kaneniwa | 2010-12-18 23:16 | 草評


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