草仏教ブログ

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2010年 12月 22日

歴史が変わった瞬間に立ち会う (2) 大手町のコンビニ





We shall overcome という歌がある。
元はイギリスの労働歌であったとかなかったとか。
今でもフォーク・ソングのスタンダードで、
かつて公民権運動のなかでは合衆国の各地で歌われた歌のようだ。

ネットで資料を探しているのだが、調べ方が悪いのか
なかなか詳しいことがわからないのだけれども、
こういう「事件」があったらしい。

キング牧師が存命の頃か、もしくは凶弾に倒れた後の頃か、
とにかく全米で公民権運動が盛り上がってきた頃に
アメリカのある銀行に強盗が入った。
拳銃をちらつかせて 「金を出せ」
という強盗に対して、誰ともなく 
We shall overcomeを歌う人がいた。
その歌声は銀行員とその場にいた客たちを巻き込んでの
大合唱となった。
強盗は思わず退散したとかしなかったとか。
(現在、ネットで調査中)

感動の場面であったに違いない。


私がこれから語る歴史は、このエピソードのように
カッコ良くもないし、後味も良くないかもしれない。
しかし、もしかしたら一人の女性の尊い犠牲の上に、
今の私たちの生活が豊かになった歴史的瞬間を
私は目撃したのかもしれない。

これは、前のブログ記事に書いた
「バックスクリーン3連発」 と違って日時は
特定できない。
1995年の地下鉄サリン事件以前のお話、と断定できる
のみで、94年だったか93年だったか、もしかしたら
92年だったかもしれない。

私の記憶のなかで、その女性はベージュのコートを羽織っていて
冷たい雨が降っていた。季節は晩秋か冬だと思う。

東京の営団地下鉄丸の内線の大手町駅の近くに私はいた。
仕事でその近くで深夜近くまで打ち合わせをして、
当時住んでいた練馬区のアパートまでそこからタクシーに乗ると高額なので、
地下鉄で池袋に行って終電近くの西武池袋線に乗り継ぐか、
もしくは逆方向に乗って東高円寺か南阿佐ヶ谷で降りてタクシーに
乗ろうと考えていた。
大手町駅からしばらく歩いてコンビニを探していたのは
駅のキオスクみたいなものは閉まっていた時間帯であり、
移動の地下鉄のなかで軽く読める雑誌かスポーツ紙を買おうと
思っていたのだと、思う。確か。

そのコンビニでどの雑誌を買おうかと思って見ていた時に、
コートを着た若い女性が自動ドアを開けるなり
「すみません、おトイレを貸してください」
と言って入ってきた。
店員は無表情に
「おトイレはお貸しできません」
と言い、バーコードを読み取るピッっという音だけが
店内に響いていた。
「おトイレを貸してください」
という若い女性の声はだんだんと大きくなっていった。

「貸せません、他をあたってください」
「この周辺、他のお店は閉まっているじゃないですか。
 大手町駅まで歩いてはとても持ちません。
 お願いです。お礼はしますから。
 商品もいっぱい買って帰りますから。
 トイレを貸してください。」

若い女性は両手を合掌して店員に懇願した。
その合掌して懇願をするという女性の姿に、
マーヒー加藤の心の奥底の仏教魂、
ホトケ心が燃え上がってしまった。

「トイレ、使わせてやったらいいじゃないですか!」
と、店員に向かって言った。

自分の心に正直になってその時をふり返ると、
その女性が合掌したことも事実であるが、
東京で暮らしていた頃の私は特にマニュアル主義というか、
ルール厳守主義というか、コンプライアンスとかなんとか言って
「ワタシにその権限はありません」
とか言って黙々としている風潮が大嫌いだったのだ。

もっと自分に正直になって書くと、
私の日本人の血の奥底に流れているラテン気質が
若い姉ちゃんにはとことん親切にしてやれ、
とささやき続けていたのだ。

もっともっと正直に書けば、
この出来事はシャラポア(妻・日本人)と知り合って
おつきあいする以前のことであり、
突然飛び込んで来たきれいな姉ちゃんと、
あわよくばこれをきっかけにお知り合いになっておきたい、
という気持ちも、あったような、なかったような。
あったさ。認めるさ。
ああ、そうだよ。彼女が合掌して懇願した姿は
都心のビルの森のなかの菩薩像だったさ。

女性はマーヒー加藤の声の援護射撃を受けて、
心強い気持ちになったようだ。
しかも、店内から
「そうだ、そうだ、便所ぐらい使わしてやれ」
という、複数の声もあがった。
この時、一時期のアメリカ合衆国での
We shall overcome のような
みんなで歌える歌があれば、それを合唱して、
合掌の彼女を救えたのかもしれない。

しかし、1985年の関西には「六甲おろし」があったが、
1990年代の都心のコンビニでは集団で歌える歌はなかった。
「君が代」もここでは何の意味ももたない。
「鳩ぽっぽ」では稚拙すぎる。
急速にマニュアル化社会が進みつつあった東京で、
そのマニュアル主義にプロテスト(反抗)すべき歌を
われわれはもたなかった。

彼女は、コンビニのなかで
「おトイレを使わせてください」 を連呼し、
その語尾はだんだんと震えていった。
そして、しまいには叫び声のようなものを上げた。

深夜といっていい時間のことである。
対応していた店員はフランチャイズの本部の人間ではないことは
もちろん店長ですらなく、見たところ学生のアルバイトであったと思う。
頭が堅すぎるとは今でも思うものの、彼は商品のバーコードを読み取り、
おつりを間違えないようにして、「らっしゃいませぇ」 と
「ぇりがとうございましたぁ」 さえ言っていれば良かったのだ。

泣き叫ぶ女性に
「外に出て話し合いましょうか」
と店員は言った。
「おいおい、それならまずトイレを貸してやれよ!」
とマーヒーは言った。
「ああ、外で話してやる。天下の公道の前で討議してやる」
と、女性は叫んだ。
店員とその女性は本当に外に出た。
なりゆきで、私は
「まずトイレを貸してやれよ」と何度も言いながら
その二人に付いていった。

文民統制の問題がある。
他国の攻撃ということばかりが文民統制の問題では語られるが、、
たとえば原子力発電所の事故、たとえば大震災、たとえば洪水、
津波、こういう場合に、いくら最高決定機関であるとはいっても
国会で議論しているヒマもない。
そんなことしているうちに津波がきてしまうではないか。

この時起こったことは、生きるか死ぬかの問題ではないが
彼女の人間としての尊厳には関わる事象ではあった。
それにしても、自動ドアを開けて店内に入った瞬間に
貧血や脳梗塞で倒れたお客さんがいたらどうするのだろうか?
ただ 「らっしゃいませー」 とマニュアル的に言うだけなのか?

とにかく、二人はまるで痴話喧嘩のようにコンビニの外で
激しく罵倒しあい、その合間にマーヒー加藤が
「まずトイレだってばぁ」
という言葉を合いの手のように入れる変な光景があった。
私はオウムのような弁護士になった。
野次馬のような人だかりもできてしまった。

女性は私を指さして
「みんなも私が正しいって言っているでしょう!」
と、金切り声を上げた。
私だけを指さされて「みんな」と言われても困ったのだが、
次の瞬間、女性は
「あっ!」
とだけ叫んで恍惚の表情で身を震わせ、
突然、野次馬の群衆をかき分けて雨のなか走り出した。

後を追うか追うまいか迷ったが、追わないのが彼女のためだと思った。

高校生の時、スキーをしていたら
スキー場の茂みのなかから突如美人スキーヤーが
飛び出してきてびっくりしたことがある。
おそらく、スキーを履いたまま茂みのなかで
座りションベンをしてうっかり滑り出してしまったのだと思う。
お尻を丸出しにして、ものすごいスピードでゲレンデを
滑り降りていった。
ダウンヒル(滑降)の女子選手が腰を落とすシーンを見ると、
今もなおその時のことを思い出す。
遙か彼方の雪壁に激突して止まっているところを見て、
助けに行くべきか行くべきでないか・・・迷った末に行かなかった。
高校生でも私は大人だった。
白い雪の上には二本のシュプール、そして間に一本の黄色い線。


とにかく、コンビニの店員が 「やれやれ」 という表情で店内に
戻ろうとした時、私は彼に
「それでも君は人間か?」 という言葉を浴びせた。
そしてコンビニに愛用の傘を置いたまま、
踵をかえして雨のなかを歩いてその場を去った。

今でも読経の合間の思考の空白などに、この言葉を反省することがある。
いくらなんでも明らかにヒューマン・ビーイングのコンビニのバイトくんに
「それでも君は人間か?」 という言葉は重すぎ、厳しすぎた。
私がその店員の立場だったら、まずはそんな騒ぎになる前にトイレを貸して
やったとは思うが、見ず知らずの男から
「それでも君は人間か?」 なんて言葉を浴びせられたら激怒するだろう。
しかも、その言葉はどっかの小説かテレビドラマ、それも上等ではない
ものからの受け売りのような恥ずかしさを含んでいる。

「それでいいのか?」
「もっと柔軟に対応してあげようよ!」
「困っている人は助けるべきだよ」
ぐらいが適切なところだったような気がする。

さて、歴史が変わったという話だった。
その歴史的事件から2ヶ月は経過していなかった時期だと思う。

「どうぞおトイレをお使いください」 という雑誌広告と、
もしかしたら東京都下だけの限定だったかもしれないが
TVCMが流れたのだ。
広告主が、その合掌美女事件があった大手町の店舗の
フランチャイズであったことで、どうも時期的なことと併せて
私がその場に居合わせた事件が無関係だったとは思えないのだ。
そして、それにならって他のコンビニチェーンもおトイレが
使えるように徐々になっていった。

どうも、あの事件でコンビニの歴史が変わったみたいなのだ。

2010年、今、全国に信号機の数と同じぐらい存在する
コンビニエンスストアのおトイレは、一部の治安上や構造上の
問題があるほんの少しの例外を除いて、ほとんど利用できるはずだ。
なかには 「店員に声をかけてからご使用ください」 という
システムのところもあるが、ほとんど使用可能である。
15年ちょっと前は、こうではなかった。

最近も、コンビニのおトイレが借りられて助かった。
まさに小用をしつつ、つくづくあの合掌美人の犠牲の上に
今日があることを忘れてはならないと思うと同時に、
あの時、私は店内の群衆を巻き込んで、
ベルリンの壁を崩すような行動をとってコンビニのトイレという
牙城を攻略していくことはできなかったのかと反省する。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2010-12-22 06:10 | 草評


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