2011年 02月 03日

コッヘル130番 湯豆腐(池波正太郎風)

b0061413_23503728.jpg 相撲界が八百長騒動で揺れている。でも、そもそもプロレス界にはそんな騒動はなかった。おもしろければ良かった。エキサイトできれば良かった。昭和の時代の天覧相撲には昭和天皇好みだと言われた麒麟児VS富士桜戦の取り組みがよくプログラミングされた。二人とも変な立ち会いはせずに思い切り突っ張り合う激闘になった。これなどは八百長というより演出だ。醍醐味が出るならやればやるほどいいさ。富士桜の息子は別の世界でツッパリになり、やがてGat's TKB Showというバンドを率いるミュージシャンになった。東京・高円寺のジロキチというライヴハウスでそのサウンドに接したが、父である富士桜の張り手を想起せしめた。 貴乃花や舞の海が引退した後にすでに相撲は相当おもしろくなくなっていてテレビ観戦などからも離れた。相撲はまったくファンとはいえなくなってからもちゃんこ鍋のファンではあったが、2年ちょっと前に 博多風鶏鍋 というものを覚えた時に、いろいろな具材を混ぜて野菜をたっぷりと食べる鍋はこれだけがとびぬけて家での定番になった。(博多風鶏鍋はまだコッヘルシリーズには未登場) その代わりに具材(薬味は除く)が2種類とか3種類のシンプルな鍋物が主流になってきて、相撲部屋のちゃんこ鍋のようなものからも離れてしまった。そのシンプル鍋の基本形のようなものになるのが 湯豆腐 である。 池波正太郎の、特に江戸を舞台とした小説には食べ物が物語のなかの薬味以上のはたらきをしているのだが、「湯豆腐に薄く削いだ大根を入れると豆腐がふんわりとする」なんてぇ記述があったんでぃ。そいつぁてぇへんでぇ、池波せんせいの言うこたぁたいてい正太郎よぉ。さっそく大根と豆腐をしょっぴぃてぇくるかぁ。 というわけで、早速に作ってみた。確かにふんわりしている。ブラインドテストで、池波先生から与えられた予備知識なしにこの湯豆腐の豆腐の「ふんわり」が看破できたかどうか?はいささか自信がない。が、ふんわりコンシャスでこの湯豆腐と対峙する限りはふんわりである。湯豆腐は、これも鍋料理のジャンルに入るならばシンプルの極みである。大根が入ってもまだまだシンプルである。池波先生のおかげで江戸文化には近づいたものの、どんどんと相撲界や相撲文化とは離れていく。中学生や高校生の頃は、相撲中継の同時刻にNHKのFMでやっていた湯川れい子さんなどがDJを務めていた「軽音楽をあなたに」という番組の音声(主にロック、ポップス)にのせて、テレビの方のボリュームは落としてよく観戦していた。「うーん、やっぱり麒麟児や富士桜のような押し相撲にはディープ・パープルが合うなぁ」というような感じで。ちなみに栃赤城の相撲には、栃赤城本人が大ファンだったせいもあって、イタリアのバロック音楽が非常にマッチした。何の話なんだか。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2011-02-03 23:50 | 草外道


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