草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2011年 03月 19日

2011年 沈黙の春彼岸

そもそも、日本の東北地方沿岸部の大震災、大津波からの復興に
全力で立ち向かい、全世界からも大きな支援を受けなければいけないという時に、
これだけ原子力発電所に注意がいってしまっているということ自体が
非常にいけないことなのだろうとは思う。
「いつが最悪で、いつになったら最悪をそこに決めて踏み出せるか?」
に悶々する。
もちろん、悶々としつつもやることはやらなきゃ。

老眼にもなって勘はにぶっていても英文はじっくり時間さえかけかけりゃある
程度なら読める。
(書く時のスペルは間違いだらけだ)

合衆国にはお世話になったこともあるので
合衆国が今の日本をどう見ているかに悶々としていたけれども、
昨夜のテレビで広い体育館でのおびただしい数の白木の棺桶が並べられての
葬儀の様子を見て吹っ切れた。

あれだけの棺桶を、この非常時に、いったい誰が苦労して用意してくれたのか?
その数多くの棺桶に、一輪づつの花。

黙祷だけの儀式であっても、ベトナム戦争などで死体を黒いゴミ袋に
詰めていた国と何と人間としての品格が違うのかと私は感動した。
日本に原爆を2回落とし、水爆実験や核実験を繰り返し、
さらに核兵器を所有する国が何を言うのか。

チェルノブイリ級の大事故になったとしても
(たぶんスリーマイル以上チェルノブイリ以下の大事故)
少なくとも軍事目的で投下された核爆弾よりはずっとましなはずだ。
核爆弾の事故だったら、軍事機密ばっかりで情報公開なんてものは
そもそもない。

あの極限にいる人々が、体育館で死んだ人々に人間としての尊厳を与えている。
生の世界と死の世界との境界線を越えて尊厳を与えている。
それだけで、六法全書にも「死体遺棄」が罪であることが記されていることも、
厚生衛生からの見解もあるが「埋葬法」というものがあるように、
冷たく杓子定規に見える法律というもののなかにも、はっきりと仏教文化が
生きているのだということを思う。
これはけっこう大事なことだと思っている。

日本の自衛隊も中国の四川省大地震で、死んだ人に手を合わせ頭を下げた。
その姿が、ずっと仏教を忘れていたはずの中国人の心を動かした。
その結果が、今回史上初めて中国の救援隊を招きひくことになったのだと
思う。

この草仏教ブログのテーマのひとつが「原子力より原始力」であるように、
原子力発電そのものには反対であったが、それを徹底しなかったことと、
今まで自分が担ってきた葬儀に、今まで一人一人に尊厳を感じてきたのか、
ということについては素直に反省するしかない。
私の職業はアコーステックでアンプラグドなので、
電気がまったくなくなっても精一杯やる。

マーヒー加藤


[PR]

by kaneniwa | 2011-03-19 21:37 | 雑草


<< ドクター・ヒルルク      私には夢がある >>