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2011年 06月 09日

コッヘル141番 水無月(みなづき)

b0061413_013445.jpg 自分で作ったものではなく、栄太郎さん作の和菓子をコッヘルにのせただけ。水無月である。右側は氷室(ひむろ)と呼ばれる天然冷蔵庫のなかの氷をイメージした、かなり昔からの原型(レシピ)を保ったままで現代にも存在しているもの。左側の抹茶バージョンは伝統を背負ったような顔つきはしているけれども案外と新参者というか右の息の長さに比べればけっこうニューウェーブ。「宇治金時」というかき氷デザートは私が子どもの頃からあったけれども、ハーゲンダッツあたりのアイスクリームが「グリーンティー」のバージョンを出す以前は、生八ッ橋(バリエーションとしてのおたべ、聖なども含む)なんかでも抹茶バージョンというものはそんなになかったと思う。「こいつは正統派ではないな」と言いつつも、食べてみれば美味いので困る。 とにかく京都では、この水無月を6月30日に食べることになっている。昔はこういう数多くある京都ルールが好きではなかった。んなもん、アイスクリームのような冷たいものを食べるのならわかるけど氷室の氷をイメージしているったってベタベタしているし、眺めていたってちっとも涼しくならん、と思っていた。でも最近はちょっと考え方が変わった。

b0061413_013576.jpg 京都の夏は過酷である。冬も過酷であるが、夏は湿度の高さと盆地特有の風通しの悪さで体感温度や不快指数が非常に高い。実際にインドやタイやスリランカなどの国からの留学生も「あっつい、あっつい」(形容詞を連続して言うのは京都の言葉の特徴である)と言っていた。鎌倉時代の京都の詳しい気象などはわからないが、元祖ブロガー(だと私は思っている)吉田兼好法師も「家を建てるなら夏を基準にすべきだよ」と、けっこう強く主張している。京都は、昔から「暑くてたまらん街」だったし、今でもあの埼玉県熊谷市にだって(体感では)決してひけをとらない灼熱の街である。そのたまらん暑さがはじまる頃に水無月を食べる。 日本料理全般がだいたいそうだが、特に和菓子から季節感をとったらつまらないものになってしまうだろう。たとえるならば、フォーシーズンズホテルがただのビジネスホテルになっちゃうようなものだろう。来日したイ・ムジチ合奏団の演奏プログラムからビバルディの「四季」を取っちゃうようなものだろう。(ただ、イ・ムジチのメンバーは来日すると必ずプログラムに「四季」を入れることをリクエストされ、難曲であることもあってけっこう嫌がっているという話も耳にしたことがある) 和菓子は、その味が魅力的であることと同時に「季節の話題を提供して場を和ませる」という役割が大きいと思う。水無月を6月30日に食べるということは、ちょうど一年の折り返し点の時の会話の場を提供するという意味があると思った。めんどうな遺言で遺族を泣かせる人も少なからずいるなか、「6月30日には水無月を食べよう」というぐらいの家訓というか家風は、罪がなくていいものかもしれない。うちでは、6月30日に限定したら縛りというか制約がきつくなってしまうので「6月中のどこかで水無月を食べながら一年の上半期をふり返ろう」というぐらいの家風にしたい。ただ、今年の上半期というのはとてつもなく重い。重いけれども、折り返していかなきゃ。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2011-06-09 01:14 | 草外道


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