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2011年 06月 19日

ムッシュ(Monsieur)になる方法

阪神タイガースの元遊撃手、元監督の
吉田義男は、現役時代は 「牛若丸」 と呼ばれていたが、
(「おーい!牛若丸」とは呼びにくいが・・・)
若くなくなってからは 「ムッシュ」 と呼ばれている。
1989年から1996年まで、
フランスの野球チームの代表監督を務めていたからだ。

ダイアナ妃が亡くなった時もテレビに出てきたムッシュ(吉田)は
「確かにあの道は見通しは悪くて危ないポイントですね」
とパリに詳しいところをご披露されていた。

ふと、「自分がムッシュと言われる場合はどんな場合?」
ということを考えてみた。
野球好きであっても、フランス代表監督の座はとても遠い。

独りで「ムッシュと呼ばれるようになるには・・・」ということを
考えても、考え自体がちょっとバカなので、なかなか答えはない。

というわけで、数日前ミクシィとツイッターに
「ムッシュと呼ばれるためには私は何をしたらいいですか」
という公開質問状(大げさな言い方だなぁ)を出してみた。
親切なみなさんからいろいろなアドバイスをいただいた。

(1) かまやつひろし に変装する

でも、完璧な変装ができてギターを持ったとしても、
「ムッシュ」 とは呼ばれずに 「かまやつ!」 と呼ばれる
だけだと思う。

(2) 立派なお髭をたくわえる

立派なお髭とは、おそらく東洋の長老風でもなく、西部の荒くれ男風でもなく、
ましてやチョビ髭なんかではなく、口髭で先端がカールしている「アレ」だと思う。
しかし、固いお髭の私には、あの立派な「アレ」は難しい。

(3) いかにもムッシュとマダムが住んでいそうな素敵な豪邸を建てる

これはてっとり早いようでいて、その実現のための財力を蓄えることを
考えたら、もっとも実現が遠い。

(4) 香水でムッシュの香りをかもし出す

香りの方面からのアプローチでムッシュに近づくというアドバイスは
なかなか有り難かったが、香水の知識に疎い私にはムッシュの香りなるものが
まったくイメージできなかった

(5) インドに行けばマダムと声をかけられることが多い

問題はマダムではなくてムッシュだからなぁ。それにこの目的だけのためなら
インドではなくてフランスに行くのが筋だ。

(6) 思い切って改名する。ムッシュ、夢愁、夢終などの名前にする。

なかなかネット上のハンドルネームとしても、気恥ずかしいものがあります。
もともと、「ムッシュと呼ばれたい」ということ自体が恥ずかしい希望で
あるということに気がつきました。

などの、貴重なアドバイスを次々といただいた。
ありがたい。

しかし、私はある方法で 今日、「ムッシュ」と自然に呼んでもらえることに
成功している。


はいはいとうなずくばかり百合の花 (俳句、臨済宗の高僧の最後の句らしい)
上燗屋 へいへいへいと 逆らわず(西田當百という人の古川柳)

というように、もともと私の家では、
主にシャラポア(妻・母・日本人)を司令塔とする
家事のお手伝いのご依頼に対しては、
某ファミリー・レストランの店員のように
「よろこんで!」
と答えなければならない鉄の掟(おきて)がある。
娘や息子などは、ブーたれたふてくされ顔をしつつも
「よろこんで!」
と答えている。
私も時には精気のない顔で
「よろこんで、あとで」
などと答えることもある。

そして、シャラポアや私から
「ごくろうさん」や「でかした」や「ありがとう」などの、
ねぎらいの言葉や御礼の言葉があった時には
大きな声で
「マイ・プレジャー!(my pleasure)」
と答えなければならない家風になっている。
命令されたからやったのではなく、私が好きでお手伝いさせて
いただいたことでございます、ということを態度と言葉で
示さなければならない掟なのだ。
この習慣は定着してからけっこう長い家風、
永井荷風なのである。

二日前から、私はシャラポア(妻・日本人)の度重なる
家事手伝いなどのご依頼に対して
「ウィ、マダム!」
とうなずきながら、いつもより迅速に作業をこなした。
「まぁ、メルシー・ボクちゃん!ボクちゃんいい子!」
とシャラポアに言われ続け、
今朝になって初めて
「メルシー・ムッシュ!」
と言われた。

強要することなしにムッシュと言われることができた。
かまやつに変装することなく、
カールした口髭を生やすことなく、
エスプリの利いた豪邸を設計することなく、
一滴の香水も使わず、
言葉の力だけで実現することができた。

ムッシュと呼ばれるためには、マダムと呼べばいい。
簡単なことだった。
阿弥陀仏の存在を認めるには、まず南無することだった。

自分はまったく変わることなしに、
世界(社会)を変えようとしてきた人々は暗い。
賢い消費者、上手なクレーマー、辛口評論家になれることが限度である。

いくら税制、財政に密接なつながりがあるとはいっても
消費者感覚で民主主義の主体である一票を投じてはいかんな、と思った。

たとえば原発に対して、単なるクレーマーではいかんと思った。
ずっと前から原発に反対していたとしても、2011年3月までに、
あの大惨事が起こる前に原発を止める力が足りなかった事実を自覚しながら
自分が変わっていかなきゃいけない。

どう変わっていくべきか、模索さえ難しい問題は数多くある。
でも、世界が変われば自分が変わるように、
自分が変われば世界は違った光を放つ。


ムッシュ・マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-06-19 13:03 | 雑草


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