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2011年 08月 30日

自由からの逃走は全力疾走で行け!

b0061413_23302110.jpg 自由ってヤツはそれほどいいものではないと最初に感じたのはいつの頃か?「好きにしていいよ」と言われた時には、制約のなかで精一杯何かをやっている時ほどの生命力はわき上がってこない。仕事柄、急用が入ることが多く、予約を急にキャンセルすることも多い教訓から「自由席」に乗ることが多い。自由席だからその範囲のなかでどこに座ろうと自由なのだが、混雑時には辛い。自由席に乗るという自由を行使した上で味わう苦難なので仕方ないが、この時の自由っていうのはそんなに素晴らしくない。プロスポーツ選手の「自由契約」というのはもっとキツイ自由だ。堂々とFA(フリーエージェント)宣言するようなトッププレイヤーならいいが、多くは「どこと契約するのも自由だからね」と言われてもその契約先が簡単に見つからないから大変だ。そしてまた「自らに由る」というこの言葉の語源自体が大乗仏教の伝統のなかではあんまりいい意味に昔から使われてないじゃないか・・・ということにも気がついてしまった。 



しかし、自分の子どもを見ていて「夏休みの自由研究、自由課題」なるものに
そういった自由という言葉がもつ負の部分の発露を見いだすことができる。
課題を自分自身で決めるまでがけっこう大変で
多くのお子さんたちが苦心していらっしゃる。

 うちの子どもたちはこの夏、比較的、自らに由って
早い時期に課題を決められたみたいだ。

まず中学生の長女はブラスバンドで使っているチューニングメーターで 
「いろんな音の音程を調べる」
 という実験に着手した。

これは理科の先生にも 「そりゃ面白い」 と言われたそうだ。
やっぱり 「面白い」 という言葉でほめられると子どもは活き活きする。
「夏休みの自由研究でノーベル賞を狙う」 と言って張り切っていた。

だが、持っているチューニングメーターで苦戦していたので
私の持つ和楽器のチューニングにも使えるSEIKOのアナログメーターの測定器を
貸してやった。
これで12音階の間の音まで測定することができ、研究が進んだみたいだ。
普段読経で使う鐘の音が音叉と同じA(ラ)の音で鳴り、
釣り鐘の梵鐘はわずかにB(シ)寄りのC(ド)の音で鳴ることが判明した。
(梵鐘の音はお盆中にサンプリングしてやった) B♯とかC♭という音階名は
西洋音楽では存在しないことになっているが、
そういう音であると娘の研究で分かった。

セミの声は計れたが野鳥の声はメーターが感知しない、という悩みを聞いたので
日本野鳥保護協会の47種類の野鳥の声を収めたCDを貸してやった。
季節柄、ウグイスのようなクッキリとした声で鳴く野鳥の声をサンプリングすることは難しい。

けっこう親父(私)がこの研究に熱中しそうになって妻(シャラポア・日本人)に止められた。
ただ、娘が本当にこの研究でノーベル賞を獲ったら賞金でシンセサイザーを買ってもらおう。
自然界の音ばかりをサンプリングしたもので、
たとえばベートーベンの交響曲鯛番の「田園」などを打ち込んでパソコンで演奏させたら、
こりゃそこそこファンタスティックではないだろうか?
ノーベル賞と同時にグラミー賞もアカデミー賞も日本レコード大賞も受賞して、
勢いで芥川賞と皐月賞と菊花賞も獲っちゃう。
(ちなみに皐月賞と菊花賞は3歳じゃないと獲れません)
(もしくは、いい馬のオーナーになるか、騎手や調教師にならなきゃ)

長女の話ばかりになっちゃったが、
小学校4年生の息子は幼い頃から懐中電灯やランタンという
携帯できる照明が大好きなので、
夏休みに実用品にもなるロウソクの行燈というかランタンを作った。
「自前の光りものを作る」 という自由を自然に行使したのだった。
(写真のもの)

ただ、サバの水煮の缶詰をロウソク立ての部分に使いたいと彼が言った時、
「ちょっと待て!」
とお父さん(私)は言った。

とっておきのカニ缶を開け、
「これを使え!」
と言った。

子どもらしく自由に工作をしようとした息子に対して、
私は見栄をはる自由を行使したのであった。
別な意味での「工作」かっ!


シスターの渡辺和子さんは言った。

だらしなくふるまう、だらしなく生きる自由というのもありますが、
礼儀正しくふるまう自由というものもあれば
あえて苦難に立ち向かう自由というものもあるのですよ


うわぁ、急に耳が痛くなったぞぉ



マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-08-30 00:59 | 雑草


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