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2012年 03月 24日

ムラムラ

大都会のなかで、たとえばロサンゼルスのリトルトーキョーや
サンパウロのリベルダーデなどをはっきりと「村だなぁ」と感じたことがある。
悪い意味ばかりではない。
知り合いが多い村のなかであるからこそ気を許し、ホッとできるという面もある。

ブラジルのサンパウロで葬儀の日程を決める時に
日本から取り寄せていたカレンダーをわざわざ持ってきて
「この日は友引になっているから葬儀はできない」
と言いはった日系人の方がいらっしゃった。
外国に居てもダジャレが元祖である因習に囚われるのはまっぴらごめんと、
そう感じた私はとっさに
「あ、時差があるからノンテンプロブレマ(ノー・プロブレム)」
と答えると、相談者はすぐに納得した。
今では、若き日のこのマーヒー加藤の「時差があるから大丈夫理論」が
外国の仏教寺院に日の良し悪しの因習を持ちこもうとする方々への
対応マニュアルになっているとかいないとか。

さて、その後東京に6年ちょっと住むことになるのだが、
東京にもまた無数の村があると感じた。
別に浅草や神田や深川などの下町だけを指すのではない。
極めて単純な話、常連ばかりがたむろす店があったとする。
紹介者なしに初めて訪れる時にはむしろ排他的でもある。
ただ、自分もそこの常連ということになれば都会のなかの一種の村である。
その店独特の場のルールというべきものも、常連になれば心地よかったりする。

さらに、会社のオフィスのひとつひとつが村のように思えたこともある。
そこにやって来るにあたって交通機関や道ですれ違うのは
ほとんどが二度と合わない名前を知らない人ばかりであるのだが、
自分が所属するオフィスに入れば知った人ばかりである。
名前はもちろん、誰が結婚していて誰が独身かということぐらいは知っている。
何らかの序列もあって、その場でのしきたりや掟のようなものがある。
何かの節目やプロジェクトのようなものが一段落したら
村祭り的な要素も含んだ「打ち上げ」などがあり、
その2次会や3次会に常連ばかりが集まる店に行ったりする。

さて、前置きが長くなりすぎたけれども昨年から
「原子力村」
という言葉をよく目にしたり耳にする。

どうもすでに1960年代から隠語として
東京電力の内部から生まれてきた言葉であるみたいだ。
原子力発電に関係する電力会社はもちろんその関連企業、
原子力技術に肯定的な研究者、プラントメーカー、
保安院のような経産省(当時は通産省)の監督官庁、
原子力を推進する立場の政治家、
ついでにいえば高速増殖炉に
文殊菩薩や普賢菩薩の名を命名した宗教者も含めて、
そういうメンバーで構成されてきた
「原子力村」
というものがある。

原子力村の政治家は、自民党のまさに「長老」であったのだが、
民主党に責任がないわけではない。
現に、つい1年ちょっと前まではCO2を減らす名目で
すぐにさらにあと4基が建設されて日本に58基の原発が
動くことになっていたかもしれないのだ。

今では、ほとんどの人が
原子力発電というものが オワコン(終わったコンテンツ)であるということを
直感的にも知っていると思う。

ただ、矛盾に満ちた大きな問題がある。
原子力村は過疎になっていくと考えられる。
すでに過疎になってきているのではないかと思う。
過疎になっていくなかで廃炉をしていかねばならない。
さらに、危険極まりない使用済核燃料というものの最終処分を
その方法も確立していないなかでしていかなければならない。

徹底的に大衆の立場に居るはずの
(しかし決して大衆に迎合する意見は言わない)
吉本隆明が原発に関して
「科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。
 どんなに危なく退廃的であっても否定することはできないのです。
 それ以上のものを作ったり考え出すしか道はない」

と言ったことに反発を感じていたが、
原子力村が無人になることもいけないとだけは思う。

しかし、原子力村には「後継者を育てる」という発想も
ほとんどなかったということだけは言わねばならない。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-03-24 18:08 | 草評


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