2012年 05月 04日

AWAY比叡山延暦寺(2)

b0061413_2311829.jpg 「寺を開こう」とか「寺を開放しよう」という方針をもつ仏教の宗派は少なからずある。ただ、考えてみればプロテスタントの教会がわざわざ「教会を開こう」などという言葉をキャッチフレーズにはしないと思う。もともと教えを開くために教会という場が建立されたというのが本筋であるからだ。だから「寺を開こう」というような言葉を聞くと、それに対して率直に思うことは「寺を閉鎖してきた歴史があるのだなぁ」ということである。私としては「開放よりも開放感」という方針である。「開放」の方は、穿った見方でもあるけれども寺院側の勝手な方針でもある。寺の開放に尽力している方々にとって失礼な表現であるかもしれないが、事実として勝手な理念ということにもなりうる。それに対して「開放感」は寺を訪れる人のそれぞれのアンテナが感知する率直な実感である。そして、その開放感にはさまざまな質があるだろう。「開放感」は人それぞれの感覚に任せることであり、寺側の努力だけでは成り立たず、機縁というのか「出会いの妙」というものに依るところも大きい。ひと言で表すなら「ディープな出会い系寺院」というあたりを目指していきたいと思う。これは己の力だけでは成り立たない、実にめんどうくさいところを目指すことになったなぁ。 ともかく、今の比叡山延暦寺は大人が550円、中高生は350円の拝観料をおさめれば季節によって時間帯はやや異なるが、朝の8時半頃から夕方の4時頃までは「有料で開かれている」ということになっている。



比叡山延暦寺の根本中堂(国宝)の堂内では、
ややベテランとおぼしき僧侶がマイクをもって説明をしてくれた。
こなれている。
基本は同じお話を何度も繰り返しているとはいえ、
滑舌よく、テンポよく、全体の構成や間のとり方なども申し分ない。
素晴らしい。
素晴らしいが、薬師寺で修学旅行生を含む観光客へのお話を通じて
仏教のアプローチをはじめられた高田好胤(たかだこういん)さんの
影響を非常に強く感じた。
高田好胤さんがされたことの意義は大きいが、
みんなが高田好胤さんになることはないのに、という個人的な感想をもった。
そして、どうもマイクを持つ左手に念珠よりも輝く(金色)腕時計が気になった。
先月、ロシア正教会トップのキリル総主教が、
高級腕時計(ブレゲ製で約250万円相当)を着用していながら、
その事実を隠そうとしていたことが発覚し、ロシア国民の批判を浴びた。
黄金に輝くその腕時計は、高級なものかあるいは偽物などの安価なものなのか、
私には見分けがつかなかった。
それをどうこう論じようなどとは思わないのだが、
ずっと気になっちゃったんだから仕方ない。

根本中堂以外を説明してくれたのが、
若い僧侶である。
この方が実にフランクでおおらかな方だったので、
以前から質問してみたいことを尋ねてみた。
それは
「比叡山延暦寺の除夜の鐘は、2年に1回か3年に1回は
 NHKの『紅白歌合戦』の直後の『ゆく年くる年』に
 登場するけれども、あれって放送のためのリハーサルはやるんですか?」

というものだった。

 「はい、やります。
  マイクでの音量チェックなどを入念にするということはもちろん、
  実際に鐘を打つ場面でも、現場のディレクターのキューサインを見て
  それにタイミングを合わせているんです。
  リハーサルで、タイミングが合わないとそのディレクターに
  こっぴどく怒られます。
  本番はもちろん多くの人が見る生放送ということになりますから、
  ディレクターをよく見て、緊張しながら鐘を打ちますよ」

と、大変に正直に答えてくれた。
なんだか、暴露話系ブログの香りが漂ってきたかなぁ?
まあ、若い僧侶はたいへん実直に素直に答えてくれたので、
これは私以外にも不特定多数の人が聞いた話である。

そういえば、鐘をはじめ、ブログ記事の題材としての大切な写真を
何枚も撮り忘れてきたなぁ。

参道に掲げられた大きな看板に掲げられたいくつかの絵に間違いがあると思う。
それらは宝物や歴史的資料ではなくてカジュアルな観光案内に準じるような
看板絵であるのだが、ひとつには
『親鸞聖人の蕎麦食い木像』というものがあり、
これは「全寮制の国立・立教大学」(ひとつ前のブログ記事を参照してください)
の寮をこっそり抜け出して京都の街中の六角堂に参籠していた親鸞聖人の
「代返」を木像がしてくれたばかりか、寮生に出された蕎麦までを代わりに
食べてくれたという逸話が残っている。
私は、これを非神話化した伝承として解釈するならば
「比叡山延暦寺のなかにも当時の親鸞聖人の行動を密かに応援し、
 かばう者がいたということ」
だと受け止めたいと思っているのだが、
木像はともかく、挿絵としてイメージされているのが現在の細長い蕎麦である。
確かに比叡山の麓、門前町の坂本には創業290年になる「鶴喜」(つるき)という
超美味しい蕎麦屋さんがある。(ホントに美味いよ!)
ただ、現在の細切りの長い蕎麦というものが誕生して普及したのが、
関西でも江戸でも、その鶴喜の創業のちょっと前ぐらいの江戸時代であると思う。
鎌倉時代の蕎麦はどう考えても「そばがき」が主流であり、
かろうじて麺類っぽい形があったとしてもパスタでいえば
フェットチーネよりも太い、ラザニア状ぐらいのものであっただろう。
どうも挿絵としては現在も広く普及している「細麺としての蕎麦」を連想させる
掲示が目立った。

そして、これはとても大きな看板絵であるのだが、
親鸞聖人を慕う民衆が集まった絵がある。
民衆は皆、正座をしている。
これは間違いであろう。
日本人に正座の習慣が広まるのも江戸時代の中期以降のはずであり、
鎌倉時代の正座は、罪人しかしないポーズとしてむしろ嫌われていたことだろう。

この二つのことについても、フランクな若手僧侶に質問したくて
仕方なくなってしまったが、まあいい。
私が質問して指摘をしなくても、
いつの日か、放送局のなかでは大河ドラマをはじめとして
歴史考証に重きを置き、戦国時代の武将に正座をさせず
千利休がお茶を立てるシーンでも正座はさせない
NHKのディレクターが、
除夜の鐘を打つタイミングが悪い僧侶を叱りつける要領で
きっと指摘をしてくれることであろう。

マーヒー加藤


 
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by kaneniwa | 2012-05-04 00:47 | 草評


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