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2012年 07月 03日

追悼記事(24) 塚越孝アナウンサー

「お休みの日は、ちょいと上野の銭湯で熱い風呂につかった後、
 鈴本演芸場に行ってごらんなさい。極楽ですよ」


ということを常々おっしゃっていた塚越孝アナウンサーが
遺書があったらしいが、自ら命を断ったということが
信じられない気持ちである。
おそらく非常にプライベートなことに踏み込まれていることが理由だとしても、
その遺書の内容についてフジサンケイグループはもちろんのこと、
あらゆるマスメディアなどでひとこともふれられていないということに
「何かある」
としか思えない気がしてくる。
生前のご本人がたびたび口にしていた
「2006年のライブドア買収問題の影響でラジオのニッポン放送から
 フジテレビに転勤してまいりました」
ということが関係していたのかどうか。
少なくとも長年ラジオのアナウンサーとして活躍されていた塚越さんにとって
テレビの世界は本人しかわからない違和感がいつまでも残っていたのではないか
ということは思ってしまう。
Podcastのお台場寄席(DOUGA)の動画配信の案内役ということはあったが、
地上波の放送で塚越アナウンサーが本領発揮できうる場があったかといえば、
苦しかったのではないかと思う。

ともかく、淀川長治さんや荻昌弘さんの解説で映画が好きになった人が多いように
塚越孝アナウンサーという人がいてくれたおかげで、私は落語が好きになった。
イロモノも含めて古今の寄席芸人への思い入れや造詣が非常に深かった塚越さんが、
高田文夫さん(日大芸術学部の先輩)とともに落語を演じられたことがあったと聞く。
それはおそらく見事なものであったに違いない。

その全部が嫌いなものではないが、今、テレビでやっているお笑いと
塚越さんが「いいねぇ」と言ってきたお笑いとのギャップがあった。
もっと言えば、関西テレビ(フジテレビ系列)が1970年代の終わり頃から
1990年までやっていた「花王名人劇場」における花王のように、
お笑いに思い入れがあるスポンサーたちが、
お笑いに数字(視聴率)と成果を求めるようになった変貌を肌で感じていた
マスコミ人の最前線に塚越さんはいらっしゃったのかもしれない。

亡くなられたことが痛々しいのであるが、
フジテレビのなかで自ら命を絶たれるのなら、
すべてを放り出し、すべてをやめて
57歳で異色の落語家としてデビューして
「感じてきた落語による極楽の世界」の布教につとめて欲しかった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-07-03 07:50 | 草評


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