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2012年 09月 19日

草仏教掲示板(43) さいわいは不幸中にもあるんやね

草仏教掲示板(43) さいわいは不幸中にもあるんやね_b0061413_23232253.jpg さいわいは不幸中にもあるんやね ヒヤケナス先生の川柳だ。私とヒヤケナス先生との関係は、まったく不思議としかいいようがない。まず、実際にお会いしたことが一度もない。知ろうと思えばすぐ分かるが、私はヒヤケナス先生の本名を知らない。ヒヤケナス先生はお亡くなりになられているので、これからも直接にお目にかかってお話するということはない。それでは私はヒヤケナス先生と出会っていないのか?と言われると「いいえ、出会っています」と答えたい。先月、ヒヤケナス先生の川柳仲間であり親友であった河童猿さんがお亡くなりになられた。その河童猿さんが「毎日新聞の万能川柳のファンサイト」という形で運営されていた ゆかい模様 というホームページに12年ほど前は毎日のようにお邪魔し、まさにオモシロイ人たちが集まることでは日本有数だったそのホームページの掲示板で常連だったヒヤケナス先生とはたびたび交流していた。その掲示板のことを思い出すと、天才的毒舌家であるヒヤケナス先生の言動には正直言って軽く緊張していたのだが、その交流は心から楽しかった。そして、なぜかヒヤケナス先生は私に好意的であった感触がずっと残っている。 河童猿さんとは1回だけだが直接お目にかかれたことがあった。私だけではないと思うが、会ったら好きにならずにいられないような素晴らしい方だった。追悼のために河童猿さんの川柳を法語掲示板に掲げようかとも思った。ただ、私が大好きな河童猿さんの作品は「ナンパした駅に今じゃあ娘(こ)を迎え」他多数のように五七五の文字だけで時間を越えるユーモラスな作品群である。そこで、河童猿さんが大好きだったヒヤケナス先生の川柳作品を掲げることにした。誰が作ったものかということは当然大切なことであるが、誰が愛した言葉か、ということもまた言葉のなかに新たな生命のようなものが吹きこまれているように思ったのだ。 思えば不思議なことであったがふと思い立って ヒヤケナス先生のブルース というものを作ったら亡くなられる3ヶ月前の河童猿さんがそれを大いに気に入ってくださり(五七五の川柳の定形を崩した曲なので、私はヒヤケナス先生をよく知る人からは怒られるのではないかとヒヤヒヤしていました)facebookでつながることができた。そしてその直後に河童猿さんが余命を宣告されているような大変な状況であると知った。ソフトボールのチームを運営し、スキーの愛好家であった河童猿さんが…と信じがたい思いだった。

草仏教掲示板(43) さいわいは不幸中にもあるんやね_b0061413_23233456.jpg facebookの「友達」のところには本名の河童猿さんがいる。mixiも含めて、SNS(ショーシャル・ネットワーク・システム)でつながった人で亡くなられたというのは河童猿さんが初めてであった。偉大な人格者の先輩に対して「友達」というのは不遜なのであるが、ちょっとカッコつけさせていただくならば、生きていようと亡くなられていようと、そんな生死の別を越えて河童猿さんは存在感のある「友達」として、その穏やかな笑顔でfacebookの画面からずっと見つめてくださっているのだ。そのfacebookのメッセージ交換欄を開くと、胸がいっぱいになってしまう。「まひとさん、僕が言うのも変だけど、ナスさんの言葉をブルースにしてくれて、ありがとう!!ナスさんもミュージシャンを目指していた音楽好きだったよ。手を怪我してギターを置いたナスさんの分まで、ギターを弾いてきてね」というメッセージには、泣いた。いちばんありがとうを言いたい人からありがとうを言われてしまったのだ。河童猿さんほど、私をいろんな素晴らしい人達に引きあわせてくださった方はいないのに。 お盆前からお彼岸明けまで、通学の中・高校生もよく通る道沿いの掲示板にヒヤケナス先生の2作品を並べさせてもらった。昨日、その言葉の前で足を止めてくれる高校生の姿を目にした。また、言葉に新しい生命のようなものが吹きこまれた気がした。


マーヒー加藤

書 シャラポア(妻・日本人)

by kaneniwa | 2012-09-19 23:41 | 草仏教


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