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2012年 09月 23日

草仏教掲示板(44) 幸せはそれを感じる人にくる

b0061413_14171530.jpg 幸せはそれを感じる人にくる お盆前からこのお彼岸期間まで掲載した法語三つはいづれも川柳作品であった。この言葉は境内の掲示板に掲載した。同時期に寺の南側の道路に向けて掲載している さいわいは不幸中にもあるんやね(ヒヤケナス先生) の言葉とともに、私もしばらく毎日のようにこの言葉を目にして、大変に漠然としているが「幸せというのはいったい何だろう?」と考えた。「ハピネスとはいったい何か?」これは古今東西の哲学者や思想家はプロ・アマ問わずに問い続けた問題で、私にはハピネスの定義すら難しい。代わりに思い出したのは羽根台(具体的にいえばゼロタイガーあたりの時代)のパチンコに没頭した学生時代に、ひたすら目でパチンコ玉を追いながら(今のスロットを目で追うパチンコはもはや球技とは言えなくなったので足を洗った)長時間「いったいラッキーとは何だろうか?」という問題を自問した数日間のことであった。 学生時代のある日、中型のオートバイで京都の堀川通を走っていたら白バイに捕まった。違反切符をきられた上に多額の反則金を払わねばならない。当然落ち込んだ。そのままフラフラと烏丸七条付近のパチンコ屋に入った。すると、ポッケットに入っていた300円か400円ほどの小銭でまたたく間にまず一台を予定終了。さらにそれを現金に替えて続けて打っていたら何と3台を予定終了。反則金の倍ぐらいの額を2時間ちょっとで稼ぎだしちゃった。(今、書いて分かったのは大して急ぐ用事もなかったのにバイクですっ飛ばしていたバカだったんだなぁ)すごくアンラッキーな一日であったはずが、ラッキーを感じて終わる一日になった。 さらに、それからしばらく、空いた時間のすべてをパチンコに費やす数日間があった。羽根台時代は今のパチンコと違って一進一退。あっという間に2箱出したと思えばそれからジワジワと後退していき残り数発となり、そこからまた盛り返して2箱に戻したりする。その間にあっという間に数時間が経過していくのだが、その間に「時間とはいったい何か?ラッキーとはいったい何か?」ということについて、漠然とではあるが思考を巡らしていたのである。目を閉じての瞑想ではなく、パチンコ玉を見つめながらの深い瞑想であった。その時のパチンコ屋の店内には USA For Africa の We Are The World が30分に1回の割合のヘビロテで流れており、「またウィリー・ネルソンのパートの時に羽根台の羽根が動いた」などと、まさに出玉の状況と合わせてのデジャ・ブが止まらなかった。

今、その時の瞑想をもとに、ハピネスとラッキーについて考える。
しばらくやっていないパチンコで一日に10万円を手にするというのもいいが、
どうせなら宝くじで6億円を当ててみたい。
まあ当然ではあるが、6億円がポンと入れば、
どう考えても今から私が稼ぎだす生涯賃金の何倍もの額であることは確実で、
田園調布に家が建つどころか寺を建てることもできるかもしれない。
欲しいものは人並みか人並み以上にあるはずだが、
さすがに6億円以上のお金で買えるものは想像の範疇にすらない。
また、6億持っている安心感とともに貧乏生活に専念するというのも悪くない。

ともかく、日頃の心で考える範疇では、6億がポンと入るということは
これ以上ないほどのグレードでの「ラッキー」である。

しかし、それはワクのない夢想であるようであって、実は
「日頃の心で」 という条件つきなのである。

親鸞おじさんは「うぉほほほ、日頃のこころではなかなか念仏できませんぞぉ」
とおっしゃっているのであるが、
なるべく、その日頃の心を離れる夢想を続けてみよう。

私は病院の集中治療室に居るとする。
「あの患者さん、保ってあと半日かなぁ」
という、お医者さんと看護師さんの会話が耳に入り、
遠のく意識ではあるが、何となくそれが自分のことだと察する。
そんな状態のなか、新聞を持って集中治療室に駆け込んできた
シャラポア(妻・日本人)が

マーヒー!あなたが買った宝くじ、前後賞合わせて1等が当っているよ!」
と言われても…
少なくとも、今、日頃の心を軸にして夢想しているラッキーとは違い、
ハピネスとは程遠い。


水も氷も、雨も雪もH20であるはずなのに、同じものであるはずなのに、
置かれた環境が違えばあり方が違うように、
心が置かれた環境が違うだけで6億円が6億円ではない状況というものがある。
ラッキーもハピネスも、置かれた状況での心が決めている。
ラッキーであることがラッキーではない、ということはある。
躍り上がるほど嬉しいはずのことが、心の状態ではそうではないことがある。
ハピネスも感じられるか感じられないか、というところにある。
だから、定義すら難しいのだなぁ。

さて、その日だけは…
冷蔵庫のなかのヨーグルトの賞味期限を気にして生きるのは御免だし、
6億円の使い途に心迷わされて生きるのも嫌である。

さまざまな人やイベントに出会えたラッキー自体に感謝をし、
さまざまなプチハッピーの集合体をありがたく感じ、
身は頭も下げられず、両手も合わせることすら難しいなかで、
心の世界の方では、日頃の世界の心をひるがえして五体投地。
やって来てくれた幸せをそんな身にいっぱいに感じたい。

川柳(法語) 丁珍姉御
ブログ文 マーヒー加藤
書 シャラポア(妻・日本人)

 ※ なので、どうせ6億円当たるなら、日頃の心の今だね。
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by kaneniwa | 2012-09-23 15:39 | 草仏教


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