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2012年 11月 07日

草仏教掲示板(47) 重松清氏の言葉

b0061413_062359.jpg 永遠に降りつづく雨はない。しかし、ひとは、一度も雨に遭わずに生きていけるわけでもない。 重松清『その次の雨の日のために』より そうだよなぁ。明けない夜はないけれども、夜というものを知らずに夜明けを知るということもない。確か昨年出た重松清氏の小説に『峠うどん』という作品があり、斎場前のうどん屋を舞台にした人の生死についての連作短編なのである。「長寿庵」という評判の良かったうどん屋さんの前に斎場ができたために名前を変えなくては…ということから物語は始まっていくのだが、まさに明けない闇はないとしても、死を筆頭に誰もが闇の部分を知らずして生きていけるわけでもない。浦安斎場などはディズニーリゾートのすぐ近くにあるなぁ。舞浜駅がいちばん最寄りだと思っていたらディズニーリゾートライン(モノレール)でベイサイド・ステーションかディズニーシー駅で降りればすぐ近くだ。あっ、ディズニーシー駅はディズニーシーの敷地内だったか?もっとも喪服や礼服の人、僧侶などはリゾートラインには乗っていなかったが、地図などでそういうことは目に入ってくる習性だ。これがホンマのホーンテッド・マンションである。 私は傘を忘れることが多い。それらをどこに忘れたのかも思い出せなかったので失くしたということになる。美術館でマグリットの描いた青い空に白い雲の絵が描かれた傘を買って、雨の日に青空を広げるというシュールさとともに、これだけド派手な傘であれば失くすことはないだろうと思っていたら、それもまたどこに忘れたのかも思い出せない状態で失くした。大事な傘を失くすのは必ず晴れた時だ。雨の存在を忘れた時に傘も忘れるのだ。

文 マーヒー加藤
書 シャラポア(妻・日本人)
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by kaneniwa | 2012-11-07 00:41 | 草仏教


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