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草仏教ブログ

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2012年 12月 11日

中村勘三郎さんの法名(戒名?)演暢院釈明鏡大居士

私はとても歌舞伎のファンとは言えないが、
追悼番組で見た連獅子で
中村勘三郎さん(18代目)の毛先に渦が巻き起こりはじめるのを見た。
物理現象を超えた形でのトルネードが舞台に現れて
それがまずは共に演じる二人の息子を巻き込み、
さらには三味線方、唄方、大鼓、小鼓、笛など舞台上の
すべての音もまたリズムキープだのテンポだのそんなデジタル的な価値観を越えて、
すぐそばに居る演者の気持ちが憑依してきたかのような音が醸しだされ、
それはアクションと呼応の関係をもった。
さらにそのグルーヴはすぐに客席全員をも巻き込んで、
スタンディングオベーションという
メジャーリーガーを褒めたたえるかのような表現が観客側から巻き起こった。
(勘三郎さんは、かなりのメジャーリーグ通であり、
日本ではかなり珍しいアリゾナ・ダイヤモンドバックスの大ファンであった。)

つい先程、その中村勘九郎さんの出棺の様子が生放送で放映されていた。
喪主挨拶が代読であったのでテレビに注視していたら、
すぐにその理由が長男次男ともに京都の南座の舞台に出演中であるからだ
ということがわかった。
そしてこの中村家のお手次の寺院(菩提寺)が、
浄土真宗の、真宗佛光寺派である東京台東区にある西徳寺という寺院であることを知って、
正直言って嬉しいものを感じた。
中村家の家風(そこに封建制などを連想して家を安易に批判などもすることは簡単だが
背負う責務によって実父の出棺にも立ち会うことができない厳しい家風なのだ)
のなかに、その求道の高みゆえに尊重せざるを得ない
カリスマ的なもの、神秘的なもの、規律的なもの、順列的なものがあることも確かながら、
十八代目の中村勘三郎さんの気質、性格から垣間見えるものは
「大衆性、平等性をとても重んじる」
ということであり、それがファンを大事にしたり、
後進を育て上げたり、歌舞伎や演劇に関わる
裏方のひとりひとりをたいへん大切にしてきたエピソードとともに絶賛される。
その気風に、浄土真宗との接点があるとするならば嬉しいと、単純に感じたのだ。
葬儀が本派本願寺派の築地本願寺であるということも、
同じ浄土真宗でのつながりのほかに、
広くて公共交通機関での移動ができる場に
一人でも多くの方に列席していただきたいという、
おそらくはそういう配慮がはたらいているものだと感じることができる。

ただ、テレビに映った
演暢院釈明鏡大居士
という法名に、逆に違和感があった。
ちなみに浄土真宗では戒名と言わずに法名という。
帰敬式(ききょうしき)というものを受けられ
生前にその法名を授かられた方も多い。
「戒律を守るものになった」
という、受戒の意味合いが強いのが戒名である。
戒律よりも南無阿弥陀仏をとなえることが最優先である浄土真宗には、
どうも戒名という言葉はなじまない。
ところが、この法名(戒名?)は
釈尊(お釈迦様)の真仏弟子の名乗り、まさに法名としての「釈」の文字が
ある一方で、「大居士」という戒名の位である院殿号(いんでんごう)の
最高位のものがつけられている。
つまり、これは「法名でもあるし戒名でもある」という言い方もできるし、
「法名とも戒名とも言えない」という言い方もできると感じる。

十八代前(あるいはそれ以前)にさかのぼって中村家と仏光寺派の西徳寺さんとの関係や由緒や
慣例などを存知しないまま批判するつもりはない。
私が今所属している寺院も太平洋戦争中やその直後などの時期には
「遺骨さえなく、せめて法名だけでも立派なものを」
という切なる希望のもと、居士をつけた法名はいくつかあるのだ。
ただ、思ったままを書かせていただくならば
「大居士」
という院殿号は、できれば見なかったことにしたかった。
見なかったことにして「法名」としてその味わいを語りたかった。
これは論争の種にしようというような考えではなく私の願望である。

ちなみにこれは全体の違和感を語る上でのエクスキューズではなくて
釈明鏡
は、素晴らしい法名である。
日常的な文字ながら、いや、だからこそ
ゆえに「明」も「鏡」も大事な経典にもある文字であり、
鏡を通じて自分を見つめてこられた方にふさわしい名である。

院号(演暢院)の方に関しては、
「演」は演技者であることを示すものとして
「暢」の文字は「のびやかに通る」という意味である他に、
真宗(大谷派)の僧侶としては歴代の門首の名乗りとして
大事な文字でもあり少し驚いた。

とにかく、
十八代目中村勘三郎さんが
法名として私に名のってくる名前は、
釈明鏡
の三文字。
これは私の個人の受け止めです。

マーヒー加藤

by kaneniwa | 2012-12-11 15:03 | 草評


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