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2013年 01月 15日

立ち往生

b0061413_2593752.jpg1月15日の新聞、テレビ、ラジオ、ワイドショーは軒並みに首都圏を中心に関東地方の積雪のニュースを一日中伝えていた。そのなかで何度も「立ち往生」という言葉を耳にすることになった。「立ち往生」という言葉に違和感をもつ人というのは今では少ないと思うが、こう一日のうちに(ニュースなどで)何度も耳にすると「20年以上前にはそういう意味で往生という大事な言葉を使うなとマスコミ等に仏教系宗教団体や僧侶個人が抗議をするということがあったけれども今はそういうこともなくなったのだな」という感触をもつ。一時期は「他力本願」という言葉を棚から牡丹餅的な用語例で使われる際にも宗教団体の広報部や総務部にあたるとことが逐一抗議をしていたという時代もあったが、今では新聞にも「自力優勝の可能性は消えてあとは他力本願」などという文字を普通に見る。最近、その用語例に関する抗議で耳にしたのはある評論家が「親鸞聖人ではあるまいし他力本願ではダメだ」と発言した(これもまた15年ほど前の話)時と受験生グッズ(お守りのようなもの)の「これを置けば試験にパスする、他力本願寺のオクトパス」というタコのオブジェのプロダクツ(製品)に抗議した(これもまた10年ほど前の話)という事例。もともと「他力とは本願力のことである」という趣旨の用語例はあっても「他力本願」という言葉を私が読んだことがある浄土系の聖教で見た覚えはほとんどない。もし言うならば「本願他力」であって、「他力本願」という熟語自体が「他力」も「本願」もそれぞれが言葉の独り歩きをしつつ生み出され、普及してしまったものだ。独り歩きから群衆の行進になっていった言葉である。 なおさら、降雪によって交通機関などに支障が出ることを「立ち往生」と言うことに今さら逐一抗議などすることは難しいと思う。それならば機械や道具が壊れることを「オシャカになった」などということは、これは僧侶などでもよく使っていることを耳にしたことがあるが「役に立たないものになってしまった」という意味の「オシャカ」は、まず間違いなくお釈迦様からきていると考えられる。 さて、今回の太平洋側での降雪で経済的損失などの点、イベントの中止など予定が予定通りに行かなかったことに対する面から「立ち往生」の言葉は強調される。死者も出て500人以上のけが人が出たことは痛ましいと思うので書きにくが、立ち往生という日常語になったニセの往生であったとしても、予定が予定通りいかないことに我慢ができなくなってしまった現代人は年に1回は立ち往生してみたらいいと思う。行き詰まってみて久しぶりに日頃の生活を真剣に考えてみた、という人もいると思う。危機管理の問題も「こういう時に大地震が起きたらどうするか?」と思ってみるのが本当のリスクヘッジとかリスクマネジメントとかいうものであると思う。 東京に6年ちょっと住んでいたことがあり、冬の朝の凍結路で事故を起こしている車に国産・輸入車を問わずに四輪駆動の高級車が目立ったことをよく覚えている。ノーマルタイヤのままであるものも多く、四輪駆動であることでかえって間違った過信があること自体が危険なことであると思った。逆に、ウインタースポーツをやるわけでもないのに首都圏の厳しいガレージ事情のなかスタッドレスタイヤを持っている人を尊敬した。「置き場も含めて無駄なお金だと言う人も多いけれども、何かあった時の費用に比べたらこれを安いと思わなきゃいけないでしょ」という言葉にますます感心した。 知り合いの福島県の方は(福島県は山間部と太平洋側とで降雪量がまるで違う)除染しても除染してもなかなか下がらなかった放射線量が降雪で大きく下がったことに喜んでおられる方もいた。立ち往生も立ち位置でいろいろ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-01-15 23:59 | 草評


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