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2013年 02月 13日

失われた時を求めるラーメン(4) 春木屋(東京・荻窪)

失われた時を求めるラーメン(4) 春木屋(東京・荻窪)_b0061413_015348.jpg まずは表題の春木屋さんとはまるで関係ない写真を投稿。京都北山元町ラーメンが、現在の地下鉄・四条烏丸駅の近くの路地ではなくまさに北山元町(北山新町)にあった頃の貴重な写真である。ともに何度もここに足を運んだ久次郎さんが、琵琶湖一周を皮切りにその旅を共にしてきたママチャリを撮影するために1980年代に撮った一枚であったが、ここには懐かしく思い返す情報がたくさん詰まっている。まずはここを「ラーメン小屋」と表現したことが間違いではなかったと思っていただけるだろう。そうだ、写真の左にある赤ちょうちんの灯火を遠くから見て、それが点いていれば喜び勇んで駆け寄り、消えていれば意気消沈していた日々であった。ブロック塀があった。そして隙間を埋めるブルーシートがあった。外に赤い椅子があり、小屋の中が満員の時にはここでラーメン丼を持ちつつ食べたものだった。この扉を開けると、そこには廃車となったトラックを改造した調理場があり、椅子とテーブルがあったのであった。今現在、ティッシュの箱にマグネットなどを差し込んで壁や柱に取り付けるグッズをスーパーやホームセンターや百円ショップなどで普通に売っているが、この小屋が柱にティッシュを固定して取りやすくするシステムを最初にやっていた場所ではないか?なんてこともこの写真が忘れかけていた記憶をどんどんと呼び覚まさしてくれる。今の時期などはこのドアを開けて中に入った途端にメガネが曇り、それを柱からティッシュを取りつつ拭いている間、たとえ2週間ぶりであってもライダーっぽい(SMの女王様っぽくもあった)レザーの上下を着た女将さんが「あら久しぶりやなぁ、どうしとったん?」と迎えてくれたその声までが何だか蘇ってきて、この連載をやって良かったなぁと思う。久次郎さん、貴重な写真をありがとう。

失われた時を求めるラーメン(4) 春木屋(東京・荻窪)_b0061413_0161116.jpg さて「失われた時を求めるラーメン」は、私にとってはどうしても京都が中心となってしまうのであるが、今回は東京である。「激戦区」という言葉は選挙報道以外ではラーメン(ま、家電量販店などその用語例は色々と波及はしましたが)の用語といってもいいと思うのであるが、元祖ラーメン激戦区ともいえる東京・荻窪のなかでも、昭和24年創業の「春木屋」さんを取り上げたい。現在のご主人は四代目である。そりゃ京都の南禅寺前の老舗料亭「瓢亭」のご主人の髙橋義弘さんは十五代目であり、もう400年以上の歴史があって十五代目ということは「15世」とでも表記したくなり、それには比較できないけれどもラーメン界で四代目ぐらいになると初代を振り返る時に「ご先祖様感覚」というべきものが出てくるようになり「歴史」という言葉も比喩的ではなくなってくる経年である。そしてその長い年月、ほとんどずっと行列店であり続けている吸引力は凄いと思う。私も最初は「行列に並んでまではなぁ…」という思いは持ちつつも、食べた時から「ザ・東京ラーメン」いや、もっといえば「ザ・ラーメン」というべきその味に忽然となってしまったのだ。今では魚介系スープなど当たり前となったラーメン界ではあるが、日本蕎麦屋さんをその発祥としつつ煮干しや鰹節をラーメンスープに取り入れた創成期からの名店である。ラーメンに海苔が入っているのもこの春木屋さんなどの「元は日本蕎麦屋であった」というお店の名残りであり、同時に醤油ラーメンのスタンダードとなっていったものではないかと思われる。現在、普通のラーメンが800円、そしてチャーシュー麺は1200円!ラーメンの世界では老舗であるとともに高級店であるとも言える。しかし、私はその価値があると思う。けっこう春木屋さんに通っている人でも知らない人も多いのだが、普通のラーメンとチャーシュー麺では豚肉のまったく違う部位を使用されているのである。まず最初に行かれた時に普通のラーメンを食べ、2回目に行かれた時にはチャーシュー麺を試すというのがいいと思う。と言っても、私も10年以上春木屋さんのラーメンを口にしていない。中央線沿いには何度も行っているが「時代は変わっても行列は絶えないのだろうなぁ」と思ってしまって充分な時間がないとなかなか立ち寄れない。5年ぐらい前に荻窪で降りたこともあった。その時には春木屋さんもチラッと覗いてあの煮干しと醤油のいい感じのスープの香りをたんまり吸ってお腹が鳴ったのであるがお昼時ということもあって長い行列ができていた。荻窪駅北口の屋台でウナギの肝の串を食べていった(まあこれも好物なんですが)のであるが、ああ、6年ちょっと東京に住んでいた時には月に1回ペースで食べていた失われた時を求めて、東京実践編も今年中に書かなきゃいけないな。


マーヒー加藤

by kaneniwa | 2013-02-13 00:17 | 七草


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