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2013年 03月 25日

幸せって何だっけ?

昔、東本願寺(京都)で研修を担当していたことがあった。
東本願寺には清掃などの奉仕活動をしつつ二泊三日か一泊二日で
全国からいろんな団体が奉仕団としてやってこられ、
夜は座談が行われる。
その司会役のようなことをやりつつ
「あなたにとっての幸せとはどのようなものですか?」
という質問を投げかけることがあった。
これは別に浄土真宗における幸せの価値観を押しつけようとか、
私の考えで洗脳してやろうだとかいうことではない。
また、その質問の明確な答えが欲しいというわけでもない。
この質問に目的があるとすれば、人生を全力疾走で駆け抜けてきたような
真面目な方がとても多かったので
「そういえば幸せって何だろう?」
ということをちょっとの時間でいいから立ち止まって考えてみて欲しいということだった。

しかし、なかには実に具体的かつ明快な答えをくれる人がいた。

先日、妻が実家に子どもを連れて久しぶりの里帰りをしたのです。
日曜日に、朝からコタツに入りながら
春の選抜高校野球をずっとテレビで観ていました。
最初はコタツでみかんを食べながら観ていたのですが、
「そういえば妻も子どももいないから昼間から酒を飲んでも怒られないんだ」
と思ってスルメをおつまみに熱燗をチビチビと飲みながら野球を観て、
そのままコタツで寝た時にしみじみ幸せというものを感じました。


そのことを実に幸せそうなお顔で語られるものであるから
「わはは、それは幸せですねぇ…」
と思わず同意したりした。

それはまだ独身だった頃の昔の話なのであるけれども、
お彼岸ウィークが終わって、やれやれほっと一息だ!
という今頃の時期に春の選抜高校野球の試合をふと見たりすると、
コタツに入って見ているわけではないのに、
その時のことを思い出す。

「日本のプロ野球はずいぶんとレベルが低いなぁと思っていたら、
 ハイスクールベースボールだった。高校野球がテレビで中継されているなんて
 信じられないよ!」

と言ったアメリカ人がいた。
(わはは、元なんちゃってヤンキースの凝田ジム男選手だ)
地域の代表チームがゲームをやるという点だけが
メジャーリーグとの共通点のようなもので、レベルは段違いだ。
あっ、もう一つだけ共通点を見つけたが、それはこのブログ記事の要なので
後半の方で書きたい。
私としてはメジャーリーグも日本のプロ野球も社会人野球も大学野球も好きだし、
中南米の野球なんかもダイナミックで好きだ。
(まったく何で日本のテレビ局はドミニカとプエルトリコの
 WBCの決勝戦を衛星テレビも含めて中継をしないのだ!
 日本の勝敗だけに関心を持つファンだけ増えて野球ファンが減っちゃうぞ!)
暇さえあるなら自分の息子とか息子の友だちとかも関係ない少年野球の試合さえ
観戦することが大好きであるから、当然のように高校野球を見ることも好きである。

金属バットは規制が厳しくなって一昔前のような派手な音はしないけれども
夏の甲子園でのホームランは「カッキーン」という擬音がふさわしい音が
アルプススタンドに反響するけれども、
一昨日の盛岡大付属高校の望月選手が放ったソロもそうだったけれども
春のホームランは「コーン」という擬音がふさわしい音が響き、
それが何となく甲子園という場所の温度と湿度が春らしいのだと教えてくれる。

一昨日の遠軽(えんがる)高校(北海道)といわき海星高校との試合、
試合時間は春の選抜高校野球史上二番目に短い時間での決着であった。
1時間16分!
DVDビデオに残しても76分間の記録。
投手戦で3−0の試合ということもあったけれども、
実に早い試合。
レベルが違いすぎて書くのも恥ずかしいけれども、
草野球でいい球場を借りて試合をする時に
たいがいの球場やグランドはだいだい2時間単位で貸してくれるけれども
柔軟体操は駐車場で済ませておくとしてもキャッチボールぐらいは
必ずしなければいけないし試合が終わってからグランド整備をしなければ
いけないところも多いので、いい球場でやる時ほど
攻守の交代はキビキビいかなきゃいけない。
遠軽高校の選手も、いわき海星高校の選手も、
ふつうの考えであれば、なんせ甲子園という
高校生のあこがれの場所として比喩的にさえ使われるほどの球場それ自体でのゲームで
あるのだから、なるべく長い時間その場を踏みしめていたいというような考えは
ちょっとぐらいはあっただろうに、
「いや、そんな考え自体が妄想であって全力プレーの邪魔!」
と言っているかのような躍動感を随所に見ることができた。
勝った方の遠軽高校は次の試合で大阪桐蔭高校(もちろん大阪)と当たり、
常識的にはそこに勝つことは難し過ぎると思われるが、
投手の前田くんがまったくサインに首を振ることなく味方の守備を信頼しつつ
ちぎっては投げ、ちぎっては投げで「スピード決着」というような展開になれば
余計な妄想が生じるのは優勝候補の方であり、何が起こってくるかわからないぞ。

四死球が多かったこともあってスピード試合というわけにはいかなかったが
昨日の土佐高校(高知県)と浦和学院(埼玉県)の試合を観て、
ものすごく久しぶりに土佐高校のゲームに接して嬉しくなった。
私は土佐高校が強かった中学生の頃にいちばん高校野球を観ていた。
甲子園への登場自体が、たぶんものすごく久しぶりだ。
このチーム、攻守交代の時にキビキビしているどころではない
とんでもない全力疾走で守備位置につき、とんでもない全力疾走でベンチに帰る。
バッターで三振をしたりバントを失敗した時も、
とんでもない全力疾走でベンチに戻る光景は、時々、ちょっとコミカルだ。
しかし、ちょっとコミカルに感じても高校生の全力疾走というものは
意味の必然性を超えた迫力があってそのコミカルな感じを打ち消してしまう。
失笑を疾走が打ち消しちゃうんだよなぁ。

土佐高校のユニフォームは「白を基調としている」なんてもんじゃなく、
マーク以外は真っ白。
帽子も白にTのマークがあるだけ。
しかも、アンダーシャツまで真っ白。
アンダーシャツの素材はどうも時代を経てUNDER ARMOURに進化しているみたいだったが、
相変わらずスパイク以外は全身真っ白。
三人の外野手がそれぞれの守備位置に全力疾走でつく場面なんかは、
白鳥がV字飛行で飛び立っていくようで、無条件に美しいと思った。
スポーツ科学でいえば、ピンチを抑えてちょっと息が上がっているピッチャーなどは
歩いてベンチに戻るか、小走りぐらいがいいのだろうけれども
土佐高校の野球選手に小走りは絶対に似合わないんだぁ。
この全力疾走に意味があるとすれば、心理的に相手への威嚇にはなっている。
(浦和学院に負けたけれども…)
土佐高校の野球選手の全力疾走を見ながら、
軍隊的であるとか「体罰」ということを連想しにくいのは、
走っている選手たちの表情が活き活きしているからだ。

土佐高校は負けてしまったので土佐高校の校歌は聞けなかったが、
その作曲者は平井康三郎(ひらい こうざぶろう)さんだ。
自身が土佐高校の出身であるのだが、
私が大好きでたまらない「衆会」(しゅうえ)という仏教讃歌の作曲者でもある。
また土佐高校が甲子園にやってきて勝った時の楽しみにとっておきたい。

さて、これまたやや古い話であるが
現在、横浜DeNAベイスターズの藤井秀悟投手がヤクルトスワローズ時代、
ヤクルトが8-1と大量リードして迎えた9回表2死3塁の場面で遊ゴロを打ち全力疾走した。
9回裏のマウンドに上がった藤井は巨人ベンチから
「高校野球かよ!」
などの心ない野次を浴び涙ぐんだ。
この後3連続死四球を与えるなどして降板してヒーローインタビューも拒否した。
この件について大学(早稲田)時代からの友人である乙武洋匡に
涙ながらに相談したこともあるという。

何でもメジャー・リーグが最高峰で、
何でもメジャー・リーグを見習わなきゃいけないわけではないけれども、
メジャー・リーグの方が打った後の全力疾走は徹底しているように思う。
それは併殺打になることを防ぐ場面はもちろんのこと、
ランナーがいない時のピッチャーゴロでも全力疾走している場合がほとんどだ。
プレースタイルは変則フォームの選手が多くとも、
闘争心むき出しに全力で走ることによって相手を威嚇したり慌てさせるという
野球の基本中の基本には実に忠実であると思う。

さて、長いブログ記事になったけれども最後に本題に戻って
「幸せって何だっけ?」
あれこれ思案をめぐらして幸せに近づくということもあるとは思うけれども、
どうも何も考えずに活き活きとした顔で全力疾走するということが、
どうも幸せに近いと感じる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-03-25 02:14 | 草評


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