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草仏教ブログ

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2013年 03月 31日

草煩悩(1) 北星鉛筆の「大人の鉛筆」

草煩悩(1) 北星鉛筆の「大人の鉛筆」_b0061413_0332631.jpg 性懲りもなく新しいシリーズ連載を書いていくことにする。連載の趣旨は「自分はどんなモノをもつ者か?」というものだ。己の煩悩を見極めることは難しい。除夜の鐘を108回鳴らして煩悩を消えることを願っても、だいたい煩悩というのは不可算名詞で数えられるものではないのでは?なんて思っちゃう。(うちの寺院も大晦日にセルフサービスの除夜の鐘をやっていますけれど…)けれど、ふと「物欲という種類の煩悩に限れば、モノは認識できる物体として存在しているから数えることも可能じぇないか?」なんて思った。というわけで、細かい解説は追々綴っていくとして5年半後に迎える予定である55歳の誕生日までを目標に自分の持ち物(だと思っているもの)を108つあげてみようと思う。そして、できれば「私はこれひとつで勝負しています」なんていう方がカッコいいとは一応思っているので、108つあげた後は、できればそれら108つの品々をだんだんと絞っていくような人生でありたいと思っている。自分でも予測はつきにくいけれども、たぶんアウトドアグッズ、文房具、スポーツ用品、楽器・オーディオ、などの分野が多くなると思う。イメルダ夫人なら靴だけで軽く108つを超えるだろうけれども、そこまででかないもののなかなかゴチャゴチャしている自分の煩悩を連載を通じて整理しちゃおうと思う。このブログに書いてみなくならないようなものは、結局要らないものなのかなぁ…なんて具合に整理できれば望ましいなぁ。

さて、この前置きをいずれは整理した文章にするとして
第1回目は北星鉛筆の「大人の鉛筆」を取り上げることとする。
東京都葛飾区の北星鉛筆が2011年に創業60周年記念の発案文具として売りだしたものだ。
子どもたちの新学期用の文具を買い揃えたシャラポア(妻・日本人)が
「これ使ってみれば?」
と私にくれたものである。

このブログはほとんど下書きはしないし、
したとしてもメモ程度である。
ただ、先日も10人ぐらいに注視されるなかで
「いやーん、そんなに見つめないでよぉ」
という心の叫びを発しつつ毛筆でDEATH NOTE(過去帳)に法名を書いた。
パソコンを使っていても手で書くことを日頃からおろそかにしてはいけないなぁと
感じている。

ただ、私自身は中学生時代からずっとボールペンの愛用者であった。
(この連載に200円前後の市販ボールペンが5種類は出てくる予感がする)
中学生がボールペンでノートをとっていると
(教科書への落書きもボールペンでやっていたなぁ)
学校の先生からは怒られたりたしなめられたりしたけれども、
私としては書き直しができない真剣勝負のようなものへのあこがれがあった。
消しゴムで消せる鉛筆やシャープペンシルは子どもの道具であると思っていた。
そして一本のボールペンを最後まで使い切った時の満足感がとても大きく、何だか
「成仏させてやった」
という気持ちになって爽快だった。

であるから鉛筆を持って何かを書くということは実に小学生以来という感じであった。
正確には鉛筆のような2ミリの芯をもつ六角形の木製シャープペンシルである。
芯の硬さがBという柔らかさであり、もう小学生時代に帰ってしまった。
改めてヘキサゴン(六角形)のデザインの完成度の高さに感心した。
背伸びして大人の真剣勝負に憧れたボールペン中学生が中年になってみれば、
「間違ってもいいさ、やり直せばいいさ」
をむしろポリシーとしていたとは…
鉛筆、すげえなぁ、フリクションボール(パイロットの消せるボールペン)でもないのに
消しゴムで簡単に字や図が消せるよ!

ちょっと良かったのが、
「加工段階で出た『おがくず』を再利用しています!」
と記された商品の紙パッケージに記されていた言葉であった。





最近鉛筆を使っていますか?
日本の鉛筆の生産量は年々低下し、四十年前の三分の一になりました。
文字を書かない時代に入り、もっともっと自分の手で文字を書いてほしい…。
そんな思いから、鉛筆屋による「大人の鉛筆」を考え、
販売することになりました。
鉛筆と同じ温もりを感じられる木軸。
鉛筆用高級国産の2ミリ芯を使用。
ガシガシ書いて、さらさら書いて、
書くことの喜びを再認識して下さい。
北星鉛筆には家訓があります。
「鉛筆は我が身を削って人の為になる立派な仕事。利益などは考えず、家業として続けるように。」
鉛筆を使用してくださった皆様のおかげで、今の私たちがいます。
これからも一緒に年を重ね、それぞれの方の手の中の愛されてほしいと願います。
鉛筆ファンの皆様へ感謝を込めて、
「大人の鉛筆」をお届けいたします。


製造業であっても、これが本当のサービスである。
サービスの語源は「身を捧げる」ということ。
だから、単なる経済用語に転化してしまったサービスよりも、
全身を使って相手コートに打ち込んでゲームを開始するという
テニスやバレーボールのサービスの方が原意に近い。
今、サービスで元々の意味を残しているのは「キャンドルサービス」ぐらいか?

モーニングサービスといえば、
コーヒーとトーストとサラダのセットのようなものを連想する人が多いと思うが、
英語圏でのモーニングサービスは「朝の礼拝」のことであり、
仏教寺院ではお朝仕である。
ご本尊の前にお参りと読経という形で身を捧げるのがホンマのモーニングサービスだ。

そんなサービス業として、
第1回目に我が身を削ってくれる鉛筆というモノを取り上げさせてもらった。

マーヒー加藤

by kaneniwa | 2013-03-31 02:17 | 物草


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