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2013年 04月 20日

有田憂田 有宅憂宅 有核憂核

4月17日にフランスのシュルブール港から米・英・フランス軍による警備体制の中、
(といっても30人の程度の警備ではないかと言われている)
アレバ社は福島原発事故後初めて日本への
MOX燃料(危険なプルトニウムとウラニウムをたっぷり含んでいる)の搬出に踏み切った。
65日後の予定で、どこの港なのかはわからないが日本の港に着き
福島第一原発事故以来としては初めて核燃料が日本に入ってくる。
グリンピース
(反捕鯨運動については気に入らないが、核汚染の監視には大きな役割を果たしていると思う)
によれば10トンのMOX燃料のなかに
およそ650キロ〜800キロのプルトニウムが含まれており、
世界最大の放射能汚染物であるという。

有田憂田。有宅憂宅。(略)無田亦憂、欲有田。無宅亦憂、欲有宅。
(田あれば田を憂う。宅あれば宅を憂う。田なければまた憂えて田あらんと欲う。
 宅なければまた憂えて宅あらんと欲う。)


というのは仏説無量寿経(大無量寿経)のなかの言葉である。
田んぼがあれば、収穫、水、虫、天候、いろんなことが気になって仕方ない。
かといって田んぼがなければ田んぼが欲しくて仕方ない。
自宅、それも豪邸は多くの人が欲しいものの代表だが、
あったらあったで盗難、火災、などの心配を含めた維持管理への心配にきりがない。

1986(昭和61)年の1月21日に当時の国税庁が、
日本のなかで東京銀座の鳩居堂前の土地がいちばん高額であり
一坪が約2800万円であると発表した。
鳩居堂は画材、和紙、筆、お香などを扱う店であり私も京都店にはお世話になったが、
世の中の産業としてはどちらかといえば地味で堅実な業種という気がしていた。
マスコミには「日本一地価の高いところ」(ひょっとするとその当時なら世界一か?)
と銀座の鳩居堂は注目され、社長の熊谷道一氏は多くの人に羨ましがられたはずだ。
ところが、社長は新聞に鳩居堂前の地価が発表された三日後に
板橋区の高島平団地で飛降り自殺をした。
持っていた手帳に税金対策のメモがびっしり書き込んであったということを
新聞などで読んだ記憶がある。

車がなければ車が欲しいと心から思い、
車があればあったで新車の時ほど小さい傷が気になって仕方なくなり、
使いこなしてド中古になったらなったでメインテナンス費用がかさみ
車検時なんかには
「まったく車があるということは子どもがひとり増えたようなもんだなぁ」
なんて思ったりする。

1990年前後にロサンゼルスに住んでいた頃は、当時は地下鉄もなかったし
大都会のダウンタウンの中央部でありながら日本の片田舎以上に車がないと
生活が不便であった。
たとえば夜にコインランドリーに行くにも、車がないと世界有数の危険地帯を
歩いていかねばならない。
上司(東本願寺ロサンゼルス別院の輪番さん)のモンザを借りて夜の外出をしていたが、
さすがに昼間にケンカをした日に
「毎度申しわけありませんが、車のキーを貸していただけないでしょうか」
と声をかけに行くのは気まずくて困った。
昼間にお参りに来た知り合いのスーパーマーケット経営者のポルシェ911を借りたことも
あったが、それでダウンタウンのコインランドリーなんかに乗りつけたら
洗濯中も車が気になって気になって仕方なかった。

当時、ロサンゼルスの寺の真ん前、
サードストリートとセントラルアベニューの交差点で
「お前の車をきれいに洗うから2ドルくれよ!」
とバケツとモップを持っていつも声をかけてくる黒人がいた。
「1回でいいからたまには俺にお前の車を洗わせてくれよ!」
と言われた時に
「いや、実は私は自分の車というものを持っていないんだ」
と本当のことを言うと
「えっ?車なしでこのロサンゼルスに住んでいるのか…」
と軽く驚かれた後で、「かわいそうに」というニュアンスをたぶんに含んで
「…Poor!」
と言われたのだ。
「おおおおおお、お前なんかにプアと言われたくないわい!」
と心底腹が立ったと同時に、去っていく後ろ姿を見ながら
「お前ももちろん自分の車を持っていないし、たぶん家もないんだろうなぁ」
と思った。

さてさて、
大無量寿経の元の言葉の順序をパロディとしても入れ替えることになるが
核なければ憂えて核あらんと欲う。
核あれば核を憂う。

ということの重みが増してきている。
核(兵器)を持つことによって国際的な発言力を高め、
その破壊力をちらつかせることによって平和を維持しようという考え方がある。
たとえば将棋(これはゲームであるから愛している)の対戦をするなかで
持ち駒に「角」(本当は飛車に喩えたいのだが、語呂合わせで角を使う)
という強力な攻撃力をもった駒を持っているために相手もそれを恐れて
おいそれと攻撃的な手を打てないということが確かにある。
将棋というゲームのなかでは手駒が多いことは攻撃にも守備にもたいへんいいことだ。
ただ、現実の世の中では核兵器みたいなものも、
原子力発電(やっぱり核発電と呼ぶべきかもしれないなぁ…)もそうだけれども
それを持たない憂いよりも、これは持っている憂いの方が大きいことに気づく。

いろんな意味で、あらゆる角度から、百歩や千歩譲っても、
もう核兵器なんて要らない。
あるとたいへん憂うべきものである。
なぜなら、核兵器の保管場所なんかは当然、
軍事機密のなかのトップシークレットであるが、
何となくだけれどもGoogle Mapsを駆使したらある程度の見当ぐらいつきそうだし、
核兵器を持っている国は核発電(やっぱり原子力発電よりピッタリくる)も
やっていることがほとんど(例外?は今の北朝鮮か?)であるので、
その核や核廃棄物の保管場所、もしくは輸送中の乗り物を爆破すれば
核爆弾を爆破させたものと同じ効果をもつことになるからだ。
将棋で自陣の王将を守るために使っていた「角」の駒が相手の手に渡り、
それを相手に攻撃にさっそく使われてしまう。

それにしても、今までよく輸送中の事故がなかったものだ。
いや、あった。
1999年9月30日に起きた東海村JCO臨界事故の恐怖などは
忘れてはならなったのだ。

いや、それ以前から、
チェルノブイリの事故のもっともっと以前から有核憂核の声を上げていなければならなかった。
でも、それどころか銀座鳩居堂前が高い地価をつけたのと同じ1986年に起こった
チェルノブイリの核爆発事故から見ても日本の核発電所の数はほぼ倍増してしまった。
むしろ浮かれたバブル期といわれるおかしな時代に突入してしまった。

圧力鍋を改造した爆弾一個で、私たちは滅びてしまう可能性があるのではないか?
そんな杞憂がまた増えてしまった。
杞憂という言葉のもとになった「空が落ちてくるのではないか?」という
そんな心配よりはずっと具体的かつ身近なのが、この有核憂核だ。

マーヒー加藤

by kaneniwa | 2013-04-20 23:59 | 草仏教


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