2013年 05月 10日

岡田久次郎さんとその子孫とそのまた未来の子孫に捧ぐ

b0061413_1163368.jpg 江戸初期に干ばつに苦しむ香川県丸亀市綾歌町の岡田地区の救済のため、私財を投じて亀越池(まんのういけ)を築いた岡田久次郎さんという人がいる。私の大学時代の後輩はその人を讃えるために「久次郎さん」というゆるキャラを製作し、自らその着ぐるみのなかに身を投げ入れて裏千家流の茶道のお点前やマーヒー加藤直伝のレゲエダンスなどを行って広報に努め、その盛会を期して着々と準備を行なってきた「岡田久次郎まつり」がこの5月12日(日曜日)に行われる。ほんの気持ちではあったが、その熱い気持ちに圧倒されてこのマーヒー加藤も満濃池を1回訪れたことがあるだけのご縁ではあったが協賛者の一人とさせていただいた。協賛者となるとそのプログラムに広告を出すことができるのだが香川県丸亀市のお祭りに「新潟県の善良寺」の広告を出すのも何なので、ブログのアドレスとブログタイトルを記してもらってこの草仏教ブログの広告を出していただくことにした。思いもよらぬ方々とそれを通じて交流を持つということがあれば、それは私にとっての大きな財産である。 最近知ったこととして、加ト吉(テーブルマーク)新潟魚沼工場 というものがあるが、全国の水質調査をして新潟県の魚沼地方の水が香川県の中讃岐地方の水質と非常に近く、讃岐うどんの名店の店主も「新潟では讃岐うどんを作るのは無理でしょう」と言っていたがその水に接して「これは!」と唸ったという話などを加えて コッヘル200番 で言及させてもらっていた「水」や「治水」の話をさせてもらうつもりであった。しかし、つい最近、5月に入ってから11歳の長男の愛読書である『ヒカルの碁』(原作ほったゆみ・漫画小畑健)を読んで気が変わってしまった。「先人をリスペクトするとはどういうことなのか?」「歴史存在としてのわれわれは何者なのか?」という二つのことに関して、かつて『少年ジャンプ』に連載していた漫画がかようにハッキリとした指針を示してくれていたとは誠に不覚ながら気がつかなかった。この『ヒカルの碁』の感想文をもって岡田久次郎まつりに寄せる文章としたい。なお、私の筆力ではどうしてもいわゆるストーリーの「ネタバレ」に踏み込まざるを得ない。だから、できれば『ヒカルの碁』の全189局(189話)を漫画喫茶等で読んでいただいた上でこのブログ記事を読んでいただいた上でこのブログ記事の続きを読んでいただきたい。もしくは、ここから先は読まなくでいいので『ヒカルの碁』の方を読んでいただきたい。



『ヒカルの碁』を読み終えた後に読んだ印刷物は
5月6日の毎日新聞の朝刊であった。
一面には松井秀喜が始球式で投じた球を左手一本で空振りした直後の
長嶋茂雄の写真。
捕手を努める原辰徳はキャッチャーはほとんどやったことがないのか
その瞬間、目を閉じている。
捕手ではなくて保守をつとめる安倍総理は審判役。
(憲法96条の改正にあやかったのかその場で背番号96というのはちょっと…)
しかし、普段は杖をつかれているというのにバッターバックスに立てば
現役時代と同じオープンスタンスで、空振り直後の瞬間にバットの先は
正確にバックスクリーンを向き、
すくっと立った長嶋茂雄のつま先から脳天まで綺麗な軸がある。
ちょっと見れば予告ホームランのポーズの瞬間にも見える、いい写真だった。

私は囲碁のルールもちょっとしか知らない。
定石なんかはまったく知らないと言っていい。
だから、11歳の長男が夢中になって読んでいた『ヒカルの碁』が
最初はそんなにおもしろいものであるとはまったく思わなかった。

ただ、囲碁のルールや攻防、作戦、応酬がわからないがゆえに、
私の持った勝手なイメージが、この物語を勝手に盛り上げてしまった。

囲碁の黒石と白石にエボニー&アイボリー、
つまりはピアノの黒鍵と白鍵をイメージしながら読んでいた。
また、ガットギターとスティールギターのコンビである「ゴンチチ」が、
かつて囲碁盤を使いながら
ゴンザレス三上とチチ松村で囲碁の大盤解説のパロディをしながら
ギターのコードワークを教えるVHSビデオを見たことがあるので、
囲碁とはまったく関係がない「音楽の世界」をイメージしつつ
この『ヒカルの碁』という物語に接した。
それが、勝手なイメージを自分の頭のなかに作っておいておきながらだが、
とんでもない感動につながっていくことになった。

『ヒカルの碁』の物語は、小学校6年生のヒカルくんに
平安時代の天才棋士であった藤原佐為(ふじわらさい)の霊が
憑依してその意識のなかに入り込むというところから始まる。
この霊はかつて江戸時代には本因坊秀策に憑依し、
本因坊秀策の対局の実績(スコア)は全て彼(霊)によるものという設定になっている。

ま、ファンタジーだから許される世界かなぁ…
と、正直言って半ばバカにしながら読んでいた。

ところが、ジャンプコミックスでいう15巻、122局(122話)あたりから
展開がものすごくなった。
憑依していた藤原佐為はヒカルの碁の道への歩みを見て離れるのだが、
プロになったばかりのヒカルは藤原佐為を求める。
広島の因島や東京の墓など本因坊秀策の縁の地を尋ね回るが、
どこに行っても藤原佐為はいない。

ヒカルが藤原佐為を見つけるのはそういうところではなく、
棋院の資料室にあった本因坊秀策の棋譜(スコア)を見て
そこに藤原佐為という人を感じるのだ。

そして第140局(140話)
「佐為がいた どこにもいなかった佐為が
 オレが向かう盤の上に オレが打つその碁のなかに
 こっそり隠れていた
 お前に会うただひとつの方法は
 打つことだったんだ」

というシーンにつながっていく。

ここで私はあまりにも感動したために、
なぜここら辺のところで最終局(最終回、最終話)ではなくて
中国や韓国の若手プロとの対局で話を伸ばすのかと、
正直不満に思っていたぐらいであった。

ただ、やはり189局(189話)の最終回は、充分に納得しつつ
終局にふさわしいものであった。
囲碁の国際戦を闘いぬいた者たちが、
石を死なぬよう活かそうと、石をつなぐことを考え抜いてきた者たちが

「なぜ碁を打つかも なぜ生きているかも 一緒じゃないか」
「遠い過去と 遠い未来をつなげるために そのためにいるんだ オレは」


と語る。
シビレた。

岡田久次郎まつりの実行委員長さん、まずはおめでとう。
そして、君はゆるキャラと化した岡田久次郎さんの権化のなかで
遠い過去と遠い未来をつなげるための
素晴らしい仕事をした。

君がゆるキャラのなかで子どもたちの笑顔に出会えたならば、
その笑顔に出会いたくて岡田久次郎さんは治水の仕事に尽力されたんだ。
たぶん。

そして、その子どもたちの笑顔の先に、さらに遠い未来を見つけて欲しい。

君は東洋仏教史学を専攻する歴史家だった。
歴史とは遠い過去と遠い未来の間のことだったんだ。

私はレゲエしか教えなかったが、君はブラームス、ドヴォルザーク、
モーツアルト、バッハ、ベートーベンなどを私に教えてくれた。
最近、ドヴォルザークは特に聴きこんでいる。
録音物もスコアもなく、探し求めても出会いようもない
アメリカ先住民族や黒人音楽のかけらが、
このチェコからやってきた人の音楽のなかにそのエッセンスやかけらが
散りばめられているのではないか、そして未来の人々もその音楽に惹かれるだろうことを
想像するんだ。

過去と未来をつなぎ、人と人をつなぐことに尽力している君に頭が下がる。

何はともあれ、岡田久次郎まつり開催、おめでとう!

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-05-10 00:01 | 草評


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