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2013年 06月 12日

草仏教掲示板(54) 前向きな 訳は後ろが がけだから

b0061413_10332552.jpg 前向きな 訳は後ろが がけだから 水野タケシさんのこの川柳作品から思い浮かんだのは7世紀の中国浄土教の善導(ぜんどう)大師(たいし)の「二河白道」(にがびゃくどう)の比喩(ひゆ)であった。相変わらずの超訳というか私のフランク大雑把な訳文でこの「二河白道」の文章を書き綴ると… 東から西に荒野を一人行く旅人が居た。「やっぱ一人は辛いなぁ、孤独というものは嫌だよぉ」と思っていると、まさに泣き面にハチであり、背後から虎やらサソリやら蜂の大群やら自分の生命を脅かす者たちが大挙して押し寄せてくる。大挙してやってくれば、まず退去。必死に逃げるのであるが、前方には火の大河と水の大河があって前に進めない。(水は欲望、火は怒りの心をあらわすとされる)「ありゃ!前方には大河で後方にはタイガー!行っても戻ってもとどまってもダメじゃん!」と思った時に、水と火の大河の中央に、その幅が四寸から五寸という平均台のような白い道を発見!川の向こうには阿弥陀様が居て「この白い道を渡って来い」と招いてくれる。いつの間にか背中にお釈迦様がいて「その道だけがあるのだから、もうポジティブにそこを行くしかないじゃん!」と励ましてくれる。(お釈迦様はどういう存在か?このお釈迦様の立ち位置がそのまま浄土教というか念仏の功徳を説く仏教の本質があらわれていると思っている)そこで、その招きと励ましによって旅人はその白い道を歩みはじめるのであった。(善導大師の『観経疏』の「散善義」に To Be Continued…)  四五寸というサイズが善導大師の『観経疏』のその比喩の箇所に実際に書いてあって「何じゃこのサイズ表記は?」とずっと思ってきた。思うにこのサイズは人間の足幅(ワイズ)ではないかと思う。その白道の右側を行こうとか、左側を行こうとか、中央を行こうとかいうチョイスもないし迷いもない。その道があってそこを行く、ということがあるのみということを強調しているサイズ明記であると思える。後ろに崖を控えて「私にはこれしかない」から「私にはこれだけはある」という確認のようなものがあった時に、人は前向きになりポジティブになる。今まで1000句以上が『毎日新聞』の「万能川柳」に掲載された水野タケシさんの特集が『毎日新聞』に掲載された時に、この一句に笑いつつ泣いた方のご感想をもとにシャラポア(妻・日本人)が感応し、法語として掲載させていただくことになった。許諾をいただくメッセージを水野タケシさんに送信したところ、スマートフォンをお使いなのか2分後にすぐにご快諾をいただけたことも嬉しかった。ちなみに、本ブログタイトルの「草仏教」は、プロ野球に対する草野球の「草」という意味ももちろんあるが、今は亡くなられた埼玉の河童猿さんの川柳仲間のためのホームページへのお正月用の水野タケシ氏寄稿の一句 「いつか花 咲くから夢は 草かんむり」 の言葉から浮かび上がってきた言葉である。

マーヒー加藤(文)
日本人シャラポア(書)
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by kaneniwa | 2013-06-12 11:32 | 草仏教


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