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2013年 07月 28日

コッヘル216番 手羽先の炭火焼

b0061413_22293957.jpg ハーベキューの時、火が安定してきて最高の状態になる前の炭で何を焼くべきか?というのは私にとってひとつの課題となっている。ひとつにはコッヘル29番のハンペンがその答えであった。コッヘル148番の皮つきトウモロコシの炭火焼を早々と仕込んでおくという手もあるが、これは何度かやってみてスタートというよりは熾火となって安定した炭の火力でじっくりと蒸し焼きにしていくのがいいとわかった。そこで今回は、焚き火台にのせたグリルの端で例によってハンペンはさっと焼いた(というより熱を通した)のであるが、絶好調となる前の炭火で鶏の手羽先を焼いてみた。仕上がりは、正直言って「あと20分後の状態の炭火で焼いた方がいい感じになる」とは思ったものの、バーベキューパーティ全体の構成としてはなかなかいいのではないか?と思った。コンサートの演出にたとえるならば、序盤に盛り上がる曲を置いた感じである。手羽先の先から炭に向かって落ちる適度な油が炭火を燃え上がらせ、コゲとの戦いという様相は呈してくるものの、なかなか華々しい。そして、まさにコッヘルがアウトドア向きの食器として活躍し、それを手で食べることになる。いかにテーブルマナーを極めたナイフ&フォーク使いの達人であろうとも、手羽先をそれでいただくことは難しいだろう。優れた箸の使い手であればナイフ&フォークよりはいいかもしれないがそれでも手づかみでガブリといって、それから口を上手く駆使しつつ骨の間の肉を食べていく原始人時代からの食べることの喜びに覚醒していくことの魅力にはかなわない。

b0061413_22295922.jpg 焚き火台の上に置かれたバーベキュー用グリルの端、囲炉裏でいうなら囲炉裏端でハンペンを焼いた跡が写真でわかる。その直後にこの手羽先の炭火焼をやって自然とバーベキューがにぎやかになってくる。それは手づかみで肉を食べるという原始人に帰った行為によって引き出されたにぎわいかもしれない。味つけは「塩だけ」というのが良かった。もちろん「塩&コショウ」というのも悪いはずがないのだが「塩だけ」の方がより中世以前に遡れるというか、このスタイルの原型の良さを味覚においても強く認識できる。我が家では時に秋冬シーズンにおいて鶏の手羽先が不可欠である 博多風鶏鍋 (実はまだこのコッヘルシリーズには未登場)を実によく食べるので、手羽先というものにはなじみがあるのだが、まったく別の手羽先の魅力が引き出される。つまりは博多風鶏鍋も実に優れた手羽先料理であると思ってはいるが、それは変化球である。それに対して塩味の炭火焼はど真ん中のストレートである。変化球もストレートも同じ手羽先から投じられている高いレベルの投球であるはずなのだが、同じ投手の持ち球であるとは思えないようなところがある。とにかくこういうワイルド系調理であるものの、じっくりと手羽先のストレートを味わうとその肉そのものが極めて上質であるなぁということも同時に感じてくる。正しいテーブルマナーにのっとってナイフ&フォークで扱いやすいのであればフレンチやイタリアンの名店でも堂々とエース、つまりメインデッシュとなれた逸材ではなかったかと思う。かつてアンディ・フグが存命であった頃、神田川俊郎がV字になっている河豚の尾を包丁で切って「フグはん、これでVやで、ヴィクトリーのVや!」と手渡してアンディが「カンダガワサン、アリガトウゴザイマス」と言っていた深夜のテレビでのシーンをなぜか思い出してしまったが、この手羽先という鶏の部位もまたV字をしているなぁ…と、食べながらなぜか思い出してしまったのであった。



マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2013-07-28 23:44 | 草外道


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