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2013年 08月 16日

『歎異抄』って親鸞と唯円との本音トークが収められた本なんだね!(3)

というわけで、
親鸞のプロフィールと『歎異抄』という書物についての紹介を聞いていた
若者たちがラジオから
「シー様ってヤバくてカッコイイ!」
という絶賛の声を口々にあげていたことで色々と思い出したことがあった。
その声に触発されたのだと思う。

藤田 ジャクリーン(フジタ ジャクリーン)教授 のことである。
実は私が子どもの頃から、このジャクリーンさんと面識があった。

ジャクリーンさんは、16歳だったか、18歳だったか、とにかく若い頃に
フランス語訳の『歎異抄』を手にとった。
特に第二章の文章に衝撃を受けられて
「もう読む前の自分に戻れなくなっていました」
とおっしゃっていた。

ジャクリーンさんの言語感覚というのが、私は子どもの頃からスゴイと思っていた。
思えば、
聴く以前の自分に戻れなくなる音楽を求め、
観る以前の自分に戻れなくなる映画を求め、
目にふれる以前の自分に戻れなくなる絵画を求めてきたはずなのに、
イカンなぁ、最近は50歳を目前にすべてが単なる情報処理という生き方をしている私だ。

とにかく、それからのジャクリーンさんは「ベットの下貯金」を始められる。
親鸞の居る国、日本へと旅立つためである。
ジャクリーンさんが『歎異抄』という書物に接した時に、
このような人間というものについての本音トークを交わす
親鸞という人が中世の人であったということはとても想像できず、
存命していて思想界の先端をいく現代人であると思い込んでいらっしゃったという。

とにかく実際に若きジャクリーンさんはシベリア鉄道に乗って船で日本海を渡り来日される。
日本語はほどんど知らず、
ただひたすら手を会わせて「南無阿弥陀仏」の声を発するだけの妙なパリジェンヌとして。

やがてジャクリーンさんは信國淳先生と出会われる。
信國淳先生は作家の大江健三郎が生涯の師と仰ぐ渡辺一夫さんと
東京帝国大学文学部仏文科での学友でもあった。
「信國先生は、フランスの田舎のおじいちゃんソックリなフランス語を話していました」
とジャクリーンさんはおっしゃっていた。
ついでに言えば、この信國淳先生がマーヒーの本名の名付け親である。
私の両親は両親とも信國先生のもとで働くことを生きがいとしていた。
ただ、私にとっては幼稚園や小学校から帰ってからいつも喫茶店に連れ出してくれる
優しくおもしろいおじいちゃんのような存在であった。

信國先生とジャクリーンさんとのフランス語の会話は、
はたで聞いていてとてもわかるものではなかった。
たぶん、今でもほとんど何について何を語られていたかわかないだろうが…
日本語の方は、繰り返すが子ども時代から何と優れて新鮮な言葉を発する人なんだろう…
とジャクリーンさんを見ていた。
そのジャクリーンさんは親鸞のことを宗祖ということを強調する「親鸞聖人」とは呼ばず、
「親鸞さま」とも呼ばず、常に
「親鸞おじさん」
と呼んでおられた。
東本願寺のことは
「親鸞おじさんのお家」
であり、真宗大谷派の関連学校は
「親鸞おじさんの学校」
と呼んでおられた。
ただし、ニュアンスとしてそこには大きな親しみをこめつつもリスペクトの念もこめられていた。

信國淳先生が亡くなられた時にジャクリーンさんは
「信國先生は、私の『よき人』でした」
とおっしゃった。
この「よき人」という言葉は歎異抄の第二章で親鸞が法然を仰ぎ見つつ、
その尊敬とともに大いなる親しみもこめて語った言葉であろう。
そして、そのまま若き日のジャクリーンさんを
読む前の自分に戻れないほどの衝撃を与えた『歎異抄』の原文のなかの言葉だった。

そしてこれは穿った見方かもしれないし、偏見そのものかもしれないが、
信國先生亡き後のジャクリーンさんは
「親鸞おじさんのお家」にも「親鸞おじさんの学校」にも足を運ばれなくなった気がする。

ともかく良くも悪くも「宗祖としての親鸞聖人」という意識が私には強すぎるのだと思った。
だからラジオから聞こえてきた「シー様」という呼称に大いに新鮮な空気を吹きこまれた。
ただ、その若者たちの真似をして自分も「シー様」と呼ぶことには抵抗があり、
ジャクリーンさんの心を受け継がないままに形だけ「親鸞おじさん」と呼ぶことも不遜だ。

そこで、私は密かに(と言いつつブログに記しているが)
「テンドンさん」
と親鸞聖人のことを呼ぶことにした。
これは別に儀式や研修会をはじめ公共の場でその呼び名を広めたいという意図はない。
私自身と、ほんの数人の私の仲間内のなかでそう呼んでみたいと思った。
なぜ「テンドンさん」かというと、親鸞という名のりは
インドの天親(てんじん)と中国の曇鸞(どんらん)から一文字づつをとって名乗ったのだ。
下の方をとったから親鸞(しんらん)となったわけで、
上の方をとったら天曇(てんどん)という名前になっていたからである。
親鸞と言うとどうしても長年の習性で聖人となってしまうので、
自分のなかでは、これからは「テンドンさん」なのである。


マーヒー加藤  本名 加藤 真人 (かとう まひと)

by kaneniwa | 2013-08-16 23:33 | 草仏教


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