草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2013年 08月 29日

草仏教掲示板(55) 余命というものがそうじゃない命とどう違うのか

b0061413_18242223.jpg 「余命というものがそうじゃない命とどう違うのか」という伊集院静のこの言葉は、週刊誌(週刊文春です)のなかの「伊集院静の『悩むが花』」のコラムというか読者相談コーナーのなかにあった言葉である。その相談自体は半年以上前のことであるから忘れてしまったのであるが、伊集院静は若くして余命というものを宣告されて亡くなった夏目雅子とともにその期間を夫婦として生きたのだなぁ…という思いとともにこの言葉だけがずっとずっと頭に残っていた。なぜこの言葉が頭から離れないかといえば、これは伊集院静自身の自問のような言葉でありつつ、それは私のようなものにも問いかけをおこしてくるからだろう。 この言葉自体とは直接は関係ないけれども最近『ホテルローヤル』で直木賞を授賞した桜木紫乃から、ちょっといい話を聞いた。桜木紫乃は2002年にオール読物新人賞を授賞して小説家としてデビューした後で伊集院静の『羊の目』という小説を読み、価値観というものは人の数だけあり、誰にも決められないと教えられたという。ラブホテル屋の娘であるということも自分でいいやと思っていればいいし、そうすると親の生き方も肯定できるようになったそうだ。直木賞を授賞した時に「神崎武美」という人から花が届いたという。最初はまったく気がつかなかったが、桜木紫乃が部屋で一人、ほっと一息入れた時に、その「神崎武美」という名前が『羊の目』の主人公の名前であったこと、つまりは伊集院静からの花であったことにハッと気がついたという。物語のなかの架空の名前というものが、そうじゃない名前とどう違うのか、粋な大人の流儀である。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2013-08-29 18:44 | 草仏教


<< 草煩悩(11) TEAC(ティ...      第26回全日本高校・大学ダンス... >>