2013年 10月 22日

潜在する意識にはたらきかけてくるもの

なぜだろう?
私は西城秀樹のファンというわけではないのに、
最近、トイレで油断をすると
「傷だらけのローラ」
を口ずさんでしまう。
軽く西城秀樹のモノマネをしつつ、しかし決して似ているというわけでもなく、
この楽曲に格別の思い入れがあるということもなく
「ローラだよ〜!」
のローラ(タレント)のことは少ししか思い浮かべずに
条件反射のように
「傷だらけのローラ」
の冒頭の 「♪ローラ、ローラ」
の部分を口にしてしまう。
ちょっと、いや、かなりマヌケであると自分でも思う。
どういうことなのだろうか?

この謎の現象の原因となっているものがわかった。
トイレの新調されたU字マットに
「Laura  Ashley」 
というロゴが入っており、下をむいた時に
ちょうどその文字が視界に入ってくるだけという単純なことであった。

2年近く前に本ブログで知り合いのお寺の奥さんが
悲しくも苦しくもないのに
「♪悲しくったってぇ〜苦しくったってぇ〜コートのなかでは泣かないのぉ〜」
と、なぜか「アタックNo.1」の主題歌を口にしてしまうのは、
その視線の先に洗剤のアタックが置いてあったからだということと、
ほぼ同じ構造であったのだ。
その奥さんに
「それがホンマのセンザイ意識というやつです」
と、我ながらちょっと上手いこと言って笑ったのだが、自分もまた同じだった。

案外と人間の潜在意識というものは単純なのかもしれないなぁ。
受験生が 「絶対合格」 とかお習字して机の上あたりに貼っておくというのは
案外と単純ではあるが実質的な効果、効能のようなものもあることだろう。

老眼もけっこう本格的になってきたし、
iPadを手に「巻物だよーん」と言いながら
得意げに右人差し指でシュッシュして読書をするということも現実味を増してきて
本棚の本で読まないものは処分しようと思っているのであるが、
ジャンルを問わずにタイトルがいいもの、
タイトルを掲げておくだけで何だかいい感じの本はやっぱり処分しにくいと思った。
宗教書や歴史書はタイトルを掲げておくだけで勉強になるというものもあるし、
娯楽小説の分野では、先日亡くなられた山崎豊子さん作のものなどは
『白い巨塔』
『華麗なる一族』
『不毛地帯』
『二つの祖国』
『沈まぬ太陽』
などと、やはりタイトルがシンプルにして物語の骨格になっている。
タイトルにひかれて娘や息子が手にとるということもあって、
そういう本はなかなか処分できない。

「Kill You」 とか印字されたTシャツなんかは、こりゃ処分しちゃった方がいい。
「Kiss me!」なんて印字されたTシャツを持っている人も処分しちゃった方がいい。
15年ぐらい前に「Bitch」と印字されたTシャツやポロシャツがあって
それを国際線の飛行機のなかで日本人が着ているのも目撃したことがあったが、
男性にしろ女性にしろ、ろくなことにならないのでそういうのも処分した方がいい。

確かボストンレッドソックスの選手だと思って上原が投げていた試合を丹念に見ていたが
今回は発見できなかったけれども、とにかくメジャーリーガーで首筋に「足」という
タトゥー(刺青)を入れている選手がいたと記憶している。
首なのに「足」とは、これはある意味ものすごいシュールレアリズムだが、
日本人も昔から今に至るまで相当変な(主に)英語メッセージが入った衣類を着てきたが、
Tシャツなら処分するだけでいいけれども、首をすげ替えるのは無理だな。
その他、外国人がしていた変なタトゥーを紹介するブログ等がけっこうあるけれども
「教育」とか「東海道新幹線」といった文字から
「南無阿弥陀物」といった致命的な誤字のものまで、
デビット・ベッカムも漢字のタトゥーを入れてから、あるいはそれ以前から
デザインとしての漢字がクールだということで流行ったし現在も流行っているのだろうが、
元々のルーツは象形文字であったとしてもちょっとは考えて欲しいなぁ。

「Laura  Ashley」のロゴから、話の脱線具合がすごいけれども
考えてみれば掛け軸、色紙などを中心に環境としては仏語、法語に囲まれてはいるなぁと
「至徳風静」
と書かれた文字を見るのだった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-10-22 00:08 | 草評


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