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2013年 12月 05日

飾りじゃないのよ阿弥陀は 涅槃!

寺院の本堂での葬儀、ご自宅での葬儀というものがなくなっているわけではないけれど
ホール形式のところでの儀式が圧倒的に多くなってから20年とか30年の月日が経つ。

真宗の儀式には阿弥陀如来の立像である「ご本尊」が欠かせないので
掛け軸形式になったご本尊をお預けして儀式が終わるまでお貸しするという形をとる。
これはもともと下付(かふ)という形で本山からいただくものであり、
修復の時には本山の絵廟所(えびょうしょ)を頼ることにもなるので
そもそもそれ自体が本山からお預かりしているものをお貸しするという形だと思う。

そのご本尊が風帯(ふうたい)という真(フォーマル度の真・行・草)の軸の象徴である帯を
向こう側に折られて布団を干すかのように掛けられていたケースがこのところ複数回あった。
その掛け方で掛けられたご本尊は、もう「儀式の中心」という意味でのご本尊の意味合いは
もはやなくなり、単なる飾りとしても遺影などに押しやられて位置が上すぎて哀れである。
儀式の直前に気がついた時に、本来ならば形式を整えてくれと要望すべきなのだが
儀式がはじまる時刻が大幅に遅延してしまうのでその場で言えずにたいへんに悔しい思いで
儀式をつとめ、ただし、終わった後で
「今後、このような扱いは二度としないで下さい」
ということを強く要望しておくことにとどまる。

布団掛けのように、間違った、あるいは禁じられた掛け軸(しかも掛け軸形式のご本尊)の
掛け方を戒めてくれているホームページ等はないものだろうか…と検索しまくったが、
宗教の分野はもちろんのこと、美術館、美術商、表具店などのどのホームページを見ても
「正しい掛け方」については書いてくれていても、
「悪い例、禁じ手、失礼な掛け方」についてはどこも何も書いてくれていなかった。
ただ、逆に布団を干すような掛け方は言語道断ということであり、
わざわざ各界のプロが記述するのも恥ずかしいことであるということがわかった(つもり)。

ただ、ご本尊がゾンザイに扱われる原因に、こちらも悪いのではないだろうか…
ということも思い当たり、文章を書いている私としては業者への苦情という面もあるが、
どちらかといえばこちら側の反省の方に主眼を置いたブログ記事にしなければ
多くの人にとって読んでいて不快な思いをさせることになると予感した。

掛け軸のご本尊は桐箱に収められている。
さすがにご本尊を収めるのに相応しく、その箱自体も立派なものである。
ただ、その箱自体が貴重なものであるがゆえに、
その箱を守るための特注のケースを寺の名前を刺繍してもらって作ってもらった。
しかし、大きさは半分ぐらいながらそのケースの素材は私の野球のバットケースに似ている。
バットケースに似た素材で、なおかつ中央部に持ち手が付いている。
もともと儀式のために移動可能なご本尊とはいえそのポータブル感にカジュアル度は増す。
持ち手があるために片手で持つことも可能なため、片手で扱われるということも増えてしまった。
直感で
「ここは昔に戻した方がいいぞ!」
という声が聞こえる。
ご本尊が収められた桐箱は、大きな風呂敷で包んだ方がいい。
一見、クッション性が少しはあるバットケース的なものの方が
万が一の落下の際に安全であるかのように見えるが、
そもそも自然に両手で扱っていただけることで万が一のケースが億に一になる。

さらにご本尊をとりに来られる時、
これは喪主本人の場合もあるがたいがいは代理人(葬儀業者の方が多い)である。
それでも、男性であればほとんどの場合は役割とはいえネクタイをされている。
それに対してこちら側(おもに私)はカジュアルな出で立ちであることが多い。
これは葬儀が入ってその前後に掃除などの用時をしているせいもあるが、
受け取られる方がどちからといえばフォーマルな出で立ちである。
「ああ、その時こそお茶を出さなきゃ」
ということも反省しながら感じた。
最初は代理人の方も葬儀が入ればどの立場でも忙しいし、こちらも同様で
お茶を飲んで話す時間があれば少しでも葬儀の準備をしたいと思ったり思われたりだろうが、
儀式を務める20分前とかせいぜい30分前に、その場で苦言を呈しても
「ウルサイなぁ、神経質だなぁ」
としか思われないことが、同じひと言を
「奥深いなぁ、繊細だなぁ、伝統だなぁ」
と大転換して受け取っていただける大チャンスへの布石になるではないか。

同じく、これは仏壇店への苦言になるが
「装飾がきれいな仏壇はいいけれどもご本尊が掛けにくい仏壇が増えているなぁ」
ということを感じる。
特に12月は大掃除の時期であり、
ご家庭の仏壇も最後の仕上げとしてご本尊も外し、清掃の後で自ら掛け直すということは
当たり前にあることである。
装飾が過剰で、ご本尊を掛ける場所にそもそも手が入らない仏壇がある。
入仏式といって仏壇を設置し、そこにご本尊を掛けて「お内仏」として迎える儀式で
その場に仏壇屋さんが同席している場合は、仏壇屋さんにご本尊を掛けてもらう。
その仏壇屋さんが30分以上、汗だくになってやっと掛けてもらうことができたこともあった。
さらに、その仏壇屋さんもかけることができずに
その場にいてくれた小さな手の子どもだけが掛けることができたこともあった。

私の友人に工学部出身の才人がいて
「どんな難しい仏壇にもご本尊が掛けられる道具」
というものを自分で創作した。
私にはそんな才能はないので、
こちらの方も仏壇屋さんが来られた時にお茶を出して
装飾の手段と目的についての根本的な話をする、というのが自分にできることだろうと思っている。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-05 03:47 | 草仏教


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