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2014年 01月 24日

草仏教掲示板(61) 人はそこにいるだけで意味があるのです

b0061413_9485968.jpg 昨日、法事中に市の職員の方から「仏教講座の先生が急に体調を崩されてしまい…申し訳ないのですが急遽代役でご法話をお願いできませんか」という電話があった。予定されていた講師の先生は曹洞宗のご住職であり、本来は代役などは務まるはずはないのであるが法事の法要を終え、参詣者の接待をシャラポア(妻・日本人)に任せて車で10分、現場の公共施設に直行した。とりあえず手元にあった欧文印刷株式会社の NUboard(ヌーボード)を手に持って駆けつけた。公共施設の立派で綺麗な和室で50人以上の方々が待っていらっしゃったが、会場に黒板はなかったので、NUboard(ヌーボード)があって良かった。さて、何の話をしていいか、当然のことながらまったく決まっていないのであったが、そのスケッチブック型(A3版)のホワイトボードを開くと最初のページに現在寺院の掲示板に掲示中の「人はそこにいるだけで意味があるのです」という言葉のメモがあった。隣に私が寝ぼけ眼のまま寝床でメモした「醍醐味と粗大ごみは紙一重で大違い」というオヤジギャグ系の言葉もあり、急すぎるけれども「醍醐味と粗大ごみは大違い」という、急すぎる代役以外では許されないような講題で何とか1時間の法話をすることができた。醍醐味、つまりはチーズとかヨーグルトとか鮒寿司や飯寿司のようななれ鮨系の味のことである。それは天下の美味ではあるけれども、完成までのプロセスの途中は「腐った牛乳」であり「腐った魚」であり、すなわち食品とはとても思えないゴミのような存在であるが、それがフラメンテーションを起こして醍醐の味が醸しだされるようになり極上の食べ物となる。 これはその日の法話とは関係なくミュージシャンの打田十紀夫さんとライブの後に酒を飲める機会があった時に聞いた話であるがアメリカ合衆国南部でのロバート・ジョンソン追悼コンサート(打田さんも出演された)の場でロバート・ジョンソンと同時代を生きたハニーボーイ・エドワーズが95歳(翌年、96歳で逝去される)でそのステージに上がった時の会場の盛り上がり方は尋常ではなく、さらに「ギターを持った」というだけでさらに盛り上がり、「ギターから音が出た」ということで総立ちのスタンディングオベーションは止むことがなく「やっぱブルースマンはそこまで行かないといけないな、俺なんかまだまだだなぁ」と打田さんは語ってくれた。何だか自分できれいにまとめようとしているようだけれども、今回の急なご依頼も「無理を承知で、その場に来ていただけたならとても有難いのですが…」という担当職員の方の懇願に、思わず心と体が動いちゃった。 世の中にはそれとは逆に、家庭のなかで粗大ごみ扱いをされる人もいるし、自分の思い込みで自分を邪魔にするというかゴミ扱いする人もいる。「私って本当にダメだなぁ」という心は自らを顧みれる心でもあって尊いが、誰もが赤ちゃんであった頃に居るだけで周囲を笑わせて明るくさせてきた時代をもっていたはずだ。死んだ魚を水を得た魚にするのが人生の醍醐味たるものであると思う。 あるおばちゃんが教えてくれた。「干し柿もね、シブーい柿ほどあま~い干し柿になるんだよ」

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-01-24 10:55 | 草仏教


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