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2014年 02月 16日

「雪女」の伝承から予測する超長期天気予報

b0061413_0352374.jpg まずこの写真は日本で初めての天気図である。記されている日付は1883年(明治16年)2月16日であり、実は今日は日本で天気図というものができて131年目の記念日であった。ついでに言えばうちの息子の誕生日であり、金正日総書記が生きている間の北朝鮮ではその誕生日を祝って壮大なマスゲームが展開されていた。さて、最近、西日本も含む広範囲に積雪があった。そして山梨県の甲府盆地は広く雪に覆われて、昨日は比較的に積雪にも強いはずの上越新幹線も関越道もストップしたり通行止めになっていた。さて、述べたいことの本題であるが、首都圏を中心にした関東地方に積雪があるとよく「戦後◯番目の積雪」という表現で、この74年間のデータしか参照されないのであるけれども、1876年(明治9年)に東京管区気象台が開設されて以来の最大の積雪量はどれぐらいであったのかといえば、この日本最初の天気図ができた日の8日前の1883年(明治16年)2月8日のことであり、東京都内のどこのポイントで計測したかまでは私にはわからないのであるけれども、その積雪は「46センチ」となっており、これが公式な気象データの最大値ということになっている。「夜半許には一尺の上に満たるが,此頃より風は増々荒く雪はいよいよ降頻りて,本社の前なる銀座の通も人一人も往交ふを見ず」と翌日 2月9日付の東京日々新聞に記されている。では、その130年より前の積雪はどんなものであったのか?これは東日本大震災以後に特に大事にされるようになってきた資料、それもお役所の公式資料のみならず文学や庶民の日記も参照していくしかない。1822年(文政5年)の1月に江戸のあちこちで二尺(60センチ)以上の積雪があり、2月22日の江戸品川(これは現在でも品川なんでしょう)では七尺(2メートル以上?)の積雪があったことなどが記録に残されているそうであるけれども、品川の七尺の方はちょっと信じがたくてこっちは積雪ではなくて除雪で積み上げた雪の数値であるとは思うけれども、江戸時代には「雪が降れば中野より西は大雪」ということはよくあったことではないかと思われる。特に18世紀の後半より昔は、今よりもずっと大雪が多かったようだ。









小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が
『怪談(Kwaidan)』の中で雪女伝説を紹介しているのであるが、
その最初の一文が

武蔵の国のある村に茂作、巳之吉と云う二人の木こりがいた。
茂作と巳之吉はある大層寒い晩、大吹雪に遭う。


というものである。
「武蔵の国のある村」
という書き出しなのである。
もちろん「雪女」の伝承は「雪のなかの山姥(やまんば)」も含めると
多くの人がその舞台として想像するように
青森県、秋田県、山形県、そして新潟県の小千谷地域など
積雪量が多い北東北や新潟県などに多く伝承されている。
その他に長野県、富山県、岐阜県の揖斐川郡揖斐川町などにもある。

ただ、小泉八雲が取り集めた伝承のなかのモデル地域が
「武蔵の国のある村」
である。
この「ある村」というのがどこかと言えば、
調布である。といっても現在の東京都調布市ではないのだが
東京府西多摩郡調布村出身の親子(お花と宗八とされる)
から聞いた話がもとになっていることがわかっている。
(英語版の序文に明記されているそうだ)
舞台として具体的に「西多摩郡調布村」という地名が出ているということで、
「えっ?では今の調布市なのか?」
と思いきや、現在の行政区分のなかでは青梅市で、青梅市の南部の多摩川沿いであるそうだ。

実際、その(現在の)青梅市の親子が、自分が聞いてきた東北などの伝承を
小泉八雲に語ったという可能性も充分に有り得るのであるが、
どうもこの周辺の地域で酷似した伝説の記録が発見されていることから、
小泉八雲を研究している民俗学者や文学者の間では
「雪女のモデルとなった地域は多摩地方」
という説はかなりのスタンダードであるようだ。

そして、このことは冒頭から書いてきたように気象学上でも実はまったく矛盾しない。

私の妻は東京の「多摩ナンバー」の地域の出身である。
もしかしたら雪女かもしれない。
スキーが上手いし。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-02-16 23:09 | 草評


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