草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2014年 02月 18日

「雪女」の伝承から予測する超長期天気予報(2)

b0061413_051189.jpg というわけで、続編である。まず写真は2012年、つい2年前の2月1日から大寒波が押し寄せてきた時の写真である。(最寄りのJR中条駅)この時期、なぜかコンパクトデジカメでモノクロ写真ばっかり撮っていたのであるが、普通にカラー写真で撮っていてもあんまり変わらなかったとは思う。雪の質感からすれば、案外とモノクロの方がリアルに思い出せる。私が普段みる夢とか思い出す記憶とかがモノクロであるからかもしれない。とにかく出張で京都に行く時にシャラポア(妻・日本人)は「えっ?電車は来るのかなぁ?」という感じであった。まずは徒歩で駅に行くと、特急は運休していたが各駅停車は10分以内の遅れで到着したので新潟駅まで出て、後は普通に新幹線を乗り継いで普通に京都に到着して午後からの会議に参加した。ただ、一泊して翌日の会議を終えてその日の夜に寝台急行きたぐに(現在は通常鉄道ダイヤから消えている)に乗って帰る予定であったのだが、それが寒波の影響で運休となった。夜から夜行以外では帰るすべがないので仕方なくホテルに延泊。事前にネットで取ると割安に感じられた宿泊費であったが、延泊分はレギュラー料金で「うわぁ、レギュラー料金だとこんなに高いホテルだったのかぁ!」と、ちょっと痛く思った。帰れないからといって部屋で悶々としていても仕方がないので会議で来ていたメンバーと「これも巡りあわせ」ということで京都の街に出た。自宅に「いやぁ帰れなくなっちゃった」という電話を入れて「それは仕方がないから気をつけて明日帰ってね」と優しく言われたのだが、祇園のスナックのお姉ちゃんたちの嬌声がどうも気まずかった。これは2月16日の広域積雪被害のさなか、ネットにも常に流れている「首相動静」でずっと「東京・富ケ谷の私邸で過ごす。来客なし」となっていて夜になってから「午後5時49分、東京・赤坂の天ぷら料理店『楽亭』着。支援者らと会食。」という動静が報道されたことと同じぐらい気まずかった。さて、ともかくこの2012年の2月以降、私の住む地域に久しぶりの凍りつくような寒さとまとまった積雪があった。他の地域の方からは広域な新潟県をひとつとして感じられて「雪がたいへんですよね」とよく言われるが、テレビなどで報道されるのは山間部を中心にした日本有数の豪雪地帯であり、そこをイメージされるのであれば「雪で苦労している」などとは口にできないような海に近い平野部である。それでもこの2012年の寒波と降雪は、年配の方々の「これは久しぶりだ」という言葉とともに記憶に残る。新潟県などは範囲が広域過ぎて一概には言えないけれども「傾向としてこの数十年間が暖冬で小雪であったのだ」ということを初めてに近い形で認識したのであった。 東日本大震災からほぼ1年が経過しようとしていた時期であったが身近なところで「寒波や積雪というものに対する意識が希薄になっていた」ということを感じた。ライフライン (lifeline) という英語は救命胴衣であるとか救命浮き輪、ロッククライミングや高いところの作業での命綱を指す。日本では1995年の阪神淡路大震災以降は特に電気、水道、ガスや道路などの生活インフラを指す言葉となっていった。これが遮断されると命に関わるという意味が、停電が頻繁に起こる国とは違ってライフラインの日本独自の意味となった。このライフラインが途切れてしまった時の困惑は、数十年前よりもはるかに大きいものになった。停電で楽しみにしていたテレビ番組のハードディスク録画ができなくてもブログの更新ができなくても道路の閉鎖で少年ジャンプが発売日に手に入らなくても大したことはない。食料は何とか三日から四日、できれば一週間分は何とかなる備蓄が欲しい。阪神淡路大震災は1月17日という一年でもっとも寒さが厳しい時期に起こり、東日本大震災も3月11日のまだ寒さが厳しいなかで起こった。暖房は大事である。食料はなくても何とか三日は生き延びられると思うが、体を温めるものがなければ一日で死んでしまう可能性がある。オール電化住宅などは火事の出火を抑えるはたらきはあったかもしれないが(ただし漏電はある)、大都会の真ん中でもエアコンか灯油ストーブでもコンセントを差し込まないと起動しないものばかりでは困る。少なくとも近所でアンプラグドでも暖房ができる石油ストーブを持つ人の存在を知っておかねばならない。最近はオール電化のところもなきにしもあらずであるが寺院にはアンプラグド暖房がある確率が非常に高いので頭に入れておいた方がいい。積雪ですぐに「行政が悪い!」とか選挙に行ったか行かなかったか知らないが「政治家は何をしている!」とすぐに声を出すのは恥ずかしい。停電などもすぐに「電力会社は何をやっているんだ!」などという声を上げるのも恥ずかしい。ただ三日間を自力で何とかして救援の手がまったくさしのべられないのであればそれは政治家も行政も悪い。よく「電気がなかった江戸時代に帰るべきである」という原理主義的なことを言う人もいるが、普通に考えて趣味的に一定期間をそうやって過ごすことはできたとしても社会構造的にはそれは無理である。ただ、実験炉以外の原子力発電所が一基も稼働しておらず、停電というものもけっこう日常的にあった1970年あたりにはいつでも帰れるようにしておきたいと思う。明日や明後日の天気予報の精度はかなり上がっても長期予報は難しく、さらにもっと長いスパンの予測は難しいのだけれども、気候の方は東京の多摩地区で「雪女」の伝承があった江戸時代に帰ってしまうかもしれないのだから。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2014-02-18 05:59 | 草評


<< 名曲草鑑賞(41) BEGIN...      「雪女」の伝承から予測する超長... >>