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2014年 03月 09日

イメージ黙読で、ジャパネットたかたの高田社長の声を聞く

姜尚中(カン・サンジュン)氏の文章を読むと、姜尚中氏の声がする。
姜尚中氏の声の吸引力はジョアン・ジルベルトに通底する
というようなことを3年以上前にここでも書いたことがあるが、
たとえばベストセラーになった『悩む力』(集英社新書)などを読むと、
姜尚中氏の声の吸引力に気がついていた出版社がそれを充分に引き出す編集をしたようにも思う。

たとえば現在でも角川文庫で読むことができる
『 成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集 』
は、ライターとして糸井重里氏のメジャーデビュー作でもあって、
糸井重里氏がインタビューを重ねながらの「聞き書き」という手法をとっているので
(しかし、この本以前にタレント本というものはほとんどなかったように思う)
当然のことながら「矢沢永吉の声が聞こえてくる」ように書かれている。

『歎異抄』は唯円が親鸞聖人の言葉を聞き書きした書物であるから、
親鸞聖人の声が聞こえてくるべきはずなのであるが
私は親鸞聖人の声質を知らない。
イメージの世界でしかわからない。
警視庁や検察庁などの政府機関の調査協力でも有名な日本音響研究所が
古今東西の歴史上の人物を残っている写真や肖像画での骨格から判断して
仮想の声を出すということをやっていた。
しかもNTTドコモのiモード時代には、その声を90円で着メロに出来るという
(しかもジャンルはJ-POPって、日本音響研究所がよくわらなくなりました)
そういうことがあったのだ。その歴史上の人物のなかに「親鸞」もあったのだけれども、
ドコモは使っていなかったのでその声は聞けなかった。

なので、黙読では色々な人の声のイメージで「その声」を聞くということがある。
『歎異抄』に限るならば、昔、故・三國連太郎さんが朗読されていたこともあるので
その声のイメージが出てくることもあるけれども、
あえて、言論の自由は完全に保証されなくとも「想像の自由」というものを駆使して
いろいろな人の声を頭のなかで響かせながら色々な本を読む。

ある日、付けていたテレビのスイッチを切ってから経典や聖典の類を読みだした。
そのスイッチを切る直前に耳にしていたジャパネットたかたの高田御大(髙田明社長)の
声がやけに耳に残っているままに黙読をはじめた。
ジャパネットたかたのテレビショッピングの収録は長崎県の佐世保本社で行われている。
調べてみると高田社長は同じ長崎県の平戸のご出身である。
ほとんどの人は高田社長の宣伝トークに「方言」とか「訛り」の要素はあまり感じないように
思うかもしれない。
しかし、私の母親が長崎県の佐世保出身なので、あの全体のトーンの甲高さを含めて
肥筑方言(ひちくほうげん)を感じてしまう。

最初からあまり広く知られていない文章を取り上げるのはやめて、
「もしも高田社長が有名な文学作品を朗読したらどうなるか?」
ということをイメージしていただきたい。
ビューティーこくぶや栗田貫一などがモノマネ芸として高田社長を演じることが
あると思うが、もしかしたらそういう芸としてもイケるかもしれない。
その文学作品のサンプルとして取り上げたいのが 
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩である。
これをもしも、高田社長が朗読したら、どうなるのか?
宮沢賢治作品を愛している方々、ごめんなさい。でも、色々な愛し方があるのです。

冒頭の
「雨にも負けず 風にも負けず」
ディレクターのキューサイン直後から
高田社長は甲高い声で突っ込んでくるはずだ。
多くの商品を甲高い声をはりあげて布教精神に近い宣伝を行ってきた体験から、
まずこの冒頭のフレーズは表題であり、キモであることを熟知している。
そして酷使に耐えうる商品の「耐久性」を訴えてきた積み重ねをもって
まずは冒頭のフレーズに魂をこめてくる。
ま、商魂という魂ではあるけれど。

しばらくこの日本文学史上においても五本の指には入る有名な詩を
高田社長が朗読していくイメージを、どうか私と共有していただきたい。

「一日に玄米四合」
この箇所で、甲高い高田社長の声がひときわ甲高くなり、音声レベルも上がることを
感じていただけるだろうか?
少なくとも私はビンビン感じる。
「具体的な数字が出てくると高田社長は商魂という魂を込めて声のトーンが上がり強くなる」
という習性が発露されるにちがいないと感じた。
しかも「一日に」という、その数字が参照される期間において、
もっとも言い慣れていて生活実感があるフレーズが付いている。
最後の
「そういうものに わたしはなりたい」
という言葉も、かなりの甲高さをもって締めてくるようには感じられるが、
それにも負けないほどの音声レベルで
「一日に玄米四合」
には声が張り上げられるだろうとイメージする。

ブログ記事としては長くなってきたので続編を別の日に書くことにするが、
次回は
「もしもジャパネットたかたの高田社長が真宗聖典を音読したら…」
ということをテーマにしてみたい。
その時に、この高田社長の
「具体的数字にはひときわ気持ちが入って声は甲高くなる」
という習性を是非とも念頭に置いておいていただければと思う。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-03-09 00:24 | 草評


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