2014年 03月 16日

イメージ黙読で、ジャパネットたかたの高田社長の声を聞く(2)

というわけで、
今回は 「もしもジャパネットたかたの高田社長が、三帰依文を音読したらどうなるか?」
ということがテーマである。
実際には高田社長がそれを音読するということはなかなかないと思う。
黙読しつつイメージの世界で高田社長の声を頭のなかで響かせるしかない。
しかし、高田社長の声というものは聞き慣れている、
というか聞きたくもないのに耳に入ってくる声であるので、
イメージの世界で私には容易に響かすことができる。

その前に、三帰依文というものがどういうものであるのかということについて解説したい。
まずは、その三帰依文というものの本文である。

人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生(こんじょう)において度せずんば、
さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。

自ら仏に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、
大道(たいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
自ら法に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入りて、
智慧(ちえ)海(うみ)のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理(とうり)して、
一切無碍(いっさいむげ)ならん。

無上甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、
百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。
我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。
願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。


この文章は日本国内の多くの宗派の多くの出版物で使われている。
出版物のなかには各宗派の聖典や勤行本も含まれる。
「ジャパネットたかた社長がこれを音読するとどうなるか?」
というイメージ黙読が今回のブログ記事の主題であるので、
そのついでに解説するには、やや気が引けるというか躊躇する面もあるのだが、
案外とこの文章の由緒について解説されたものが
特にネット上(ジャパネットのことではないよ…)ではなかなか見つからないので、
マーヒー加藤が知り得たこの文章に関する由緒をここに記しておきたい。

まず、文章を書かれたのは 大内青巒(おおうちせいらん)という人である。
江戸時代の弘化2年に生まれた仙台出身の仏教学者である。
1914年(大正3年)に東洋大学の学長に就任されていて、
なおかつ大日本仏教会(現在の全日本仏教会)の会長をつとめられている。
その時に東京大学の仏教青年会(現在もあります)から大内会長にある要望が出される。
東京大学は東京大学であったのだが、明治30年に名称が東京帝国大学になり、
昭和22年にはまた東京大学となっていて、実にややこしいのであり、
正確には東京帝国大学時代のことなのであるが、話をすすめていきたい。
その要望とは、
当時、全国から学生が集まる大学といえば東京大学であった。
その東京大学で仏教青年会が結成される数年前という時期があった。
しかし、同じ仏教徒学生といっても宗派もちがえば地域性も違うものが集うこととなり
「宗派が違ったとしても仏教徒として共に読むことができる文章はないか?」
という要望を大日本仏教会に出した。
大内会長(同時に東洋大学学長)は「禅浄一味」
(坐禅を中心に華厳、念仏、真言などが融合した世界を目指す)
という運動も展開されていたことからの学生の期待があったのかもしれない。

間違っていたらご指摘いただきたいのであるが、
『華厳経』の入法界品のなかにある文を中心にしつつ、
後半部分は『無量義経』の説法品のなかの「開経偈」を取り入れた文章を書く。
そして『法句経』や『法華経』からのエッセンスもこの短い文章のなかに
巧みに取り入れられているということも聞いたことがあるものの、
エッセンスの話にまでなると、どこがどうなっているのかは私にはわからない。

この「三帰依文」という文章をひとつの旗印として
東京大学仏教青年会は1919年(大正8年)に結成される。
現在も多くの仏教セミナー、講座を運営しつつ活躍中である。
「本郷三丁目の日本信販ビルの7階」がその活動の拠点である。
東京大学仏教青年会のかつての活動拠点である会館がそこにあり、
その一等地を日本信販が買い取ってビルを建てた時に
「7階のフロアは仏教青年会が従来どおりにお使いください」
という約束があったのであろう。
日本信販のニコスカードも現在は資本が三菱UFJニコスという複雑な複合体となり、
まさに生き馬の目を抜くような金融業界の荒波を感じるビルであるけれども
この東京大学仏教青年会は存続していくことであろう。
もちろん、そこではその伝統や経緯からこの「三帰依文」は重要視されている。

この三帰依文を、いろいろな宗派のいろいろな出版物で見かけたが
正直に言って「印刷はしてあるけれども音読されることはほとんどない」という宗派と、
「法話会、研修会の冒頭において積極的に音読する」という宗派に分かれる気がしている。
真宗大谷派という私にとってもっともご縁のある浄土真宗の宗派は積極派であろう。
これは曽我量深先生という仏教学者が三帰依文を大絶賛して
実際に講義や法話の冒頭で読まれていたということも聞いたことがあるし、
東京大学出身の方が特に指導する大学教授を中心に少なくないということもあろう。
まったく不肖の弟子すぎる存在であったのだが、私も恩師に
「加藤くんはふざけ過ぎることがあるので法話の機会には冒頭に三帰依文を読んだ方がいい」
とのありがたいアドバイスをいただいたことがある。
その恩師というのは、やはり東大出身であった。

さて、今回もブログの投稿記事として分量が増えすぎたので、
またまた後日続編を書くことにする。
私はジャパネットたかたの高田社長が、
もしもこの三帰依文(ブログ本文中の青色部分)を大きな声で音読したとすれば
「ひときわ声が大きくなって甲高くなる箇所はどこか?」
という問題を考えていただきたいと思う。
高田社長の声をイメージしつつ、頭のなかでその声を響かせたならば
「明確に声が大きくなり、甲高くなる部分がある」
ということが私にはわかった。

その明確な答えを、読んでくださった方々の納得がいくように続編として書きたい。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2014-03-16 02:03 | 草評


<< イメージ黙読で、ジャパネットた...      3月13日 ミラクル2連発 >>