2014年 04月 28日

恵信尼文書(恵信尼消息)との再会

b0061413_0251154.jpg 昨日、新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市)で行われている特別展「親鸞となむの大地」にシャラポア(妻・日本人)を含む寺院の法話会のメンバーで訪れた。国宝、重要文化財11点を含む約200点の展示は圧巻であった。奈良国立博物館から来た『親鸞聖人像』(絵像)などに「うちらのお寺にあるレプリカの方が色が明るくていいねぇ」などという忌憚のなさすぎるご意見をいただいて苦笑いをしたが、あの一休さんが「襟巻のあたたかそうな黒坊主、こやつが法(のり)は天下一なり」と詠んだ元は「これだよなぁ」という感慨があった。そして恵信尼文書(えしんにもんじょ)と呼ばれる手紙を16年ぶりに拝見することができた。これは越後で暮らす親鸞聖人の妻恵信尼さんが京都で暮らす娘に宛てて送った書状であるから、実に750年ぶりに越後に帰ってきたとも言える。750年ぶりに比べると16年ぶりということは大したことがないようにも思うけれども、マイ恵信尼であるシャラポアと結婚してからの歴史が16年である。16年前の新婚時代に京都国立博物館での特別展示をシャラポアとともに鑑賞して以来である。シャラポアが「ちょっとおトイレに行ってくるね」と行ったままなかなか帰ってこなかったので、広い会場のなかを捜索に行ったら恵信尼文書の前に居た。そして「ねぇねぇマヒにゃん、このオジサンがとても親切でなおかつ博学なんだよ、この中世のくずし字をスラスラと読みながら意味を説明してもらっていたところなんだよ」と言われて、そのオジサンという人を見たら、シャラポアはまったく認識していなかったが名古屋の同朋大学学長(当時)の池田勇諦先生であったのだ。何とぜいたくな解説を受けたものだと思うが池田先生でなくとも、若い女性がこの文書を見ていたらそこに何が書かれていたか、この文書の発見がいかに価値があったのかを語りたくなってしまうものがあるだろう。明治時代には「親鸞というのは浄土真宗の信仰がつくりあげた架空の人物であったのではないか」という学説まであったものを大正時代に鷲尾教導という史学者が西本願寺の倉庫からこの文書を発見して親鸞という人の実在の確実な証拠となったのである。地元新潟県に伝わる親鸞聖人ゆかりの品々に加えてこうした貴重な文化財の展示は圧巻であったが、ただ一つだけ言うならば恵信尼文書を見出した鷲尾教導は新潟県見附市出身である。そのことをもっと強調する、あるいはその偉業にスポットを当ててもいいのではないかと思った。

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マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-04-28 01:11 | 草評


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