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2014年 08月 04日

長岡大花火大会2014年

b0061413_905516.jpg 山下清画伯はこう言った。「ボ、ボクは花火が、好きなんだな…空襲なんかやめて…みんながその代わりに花火をやれば…世界は平和になるのにな」 喜納昌吉さんの「世界中の兵器を楽器に」という言葉とともに、私にとって響いてくるメッセージである。 さて、太平洋戦争中の不幸な空襲からの復興を契機として、そして10年前からは中越大震災からの復興という大きな趣旨も加わって、ずっと気になっていた長岡市の大花火大会に今年は初めて参加できたのであった。地元の人、つまり長岡市民でもなかなか手に入らないという河川敷のマス席(6名まで入れる区画15000円)の抽選に知り合いが複数応募して複数のチケットをゲットして「加藤さんのところのご家族でいかがですか?」ということになったのだ。その場所から2キロ離れたところに知り合いの寺院があって、交通規制が始まる前なら車で行って駐車場に車を置かせてもらえそうなので、はじめて長岡の大花火大会に家族で出向くことになった。 長岡市の人口は28万人強ということなのに、8月2日(土)と8月3日(日)のそれぞれに45万人づつ、のべ90万人が集まってくるという。隅田川花火大会は100万人の人出があると言われているけれども、それは大都会のかなりの広域にまたがってのことであり、長岡市の信濃川の河川敷の長生橋と長岡大橋の間の空間、それは右岸と左岸に分かれているとはいっても数十万人という規模の人波を直に見たのは初めてであった。私の居た右岸だけでも日本ダービーの日の府中競馬場と有馬記念の日の中山競馬場の集客を足しても追いつかないほどの人の数である。競馬ファンもその層はけっこう広くなってきたが、やっぱり競馬好きより花火好きの老若男女のファン層の方がずっと広い。

b0061413_91815.jpg その大勢の人々がエリア別に数字と色で見事に区画整理され、大きな混乱はないし通路部分にはゆったりとしたスペースを設けてる。花火大会として伝統があることもあるが、非常にしっかりしつつ慣れた運営がそこにあった。一枚目の写真は大花火大会開始20分前という時間帯の写真である。これも素晴らしい運営趣旨の一貫であったが、それぞれが持っているであろう懐中電灯やスマートフォンなどのライトを使って「花火大会が終了した後に、それぞれが点灯して振って光のウェーブを作って花火師さんたちに賞賛のメッセージを贈る練習」ということである。 このような規模の集会のなかに居るのは大阪万博以来だろうか。思わず「ウッドストックかっ!」とつぶやく。そうすると最初の花火の打ち上げ10分前の時間帯に何とサプライズゲストの平原綾香がビルの屋上の特設ブースに登場。『ジュピター』を熱唱した。これはまったく私のワガママな感性のままの意見だが、いわゆるカラオケトラックに合わせて歌うのではなく無伴奏のアカペラ独唱でやってもらえていたら感激度倍増であった気がする。ホルスト作曲の楽曲が素晴らしいのはもちろん、その壮大さを活かしたヒット曲としての壮大なアレンジも悪いはずはないのだが、歌詞のひとつひとつを吟味しながらその圧倒的な美声が野外らしく風にのって流れてくることは花火的で素晴らしいことであったのではないかと思った。そんなことを考えていたら8歳の末娘が私を呼ぶ。「何だ?」と尋ねると「今日、これからすぐはじまるNHKの『ダーウィンが来た』を忘れずに録画しておいてくれたよね?」と耳打ちをした。そうだ、末娘の大好きな動物番組のエンディングテーマをずっと歌っているのがこの平原綾香であった。『ジュピター』を聴きながら笑ってしまっていたのは、この数十万人のなかでも私ぐらいだったかもしれない。大丈夫、『ダーウィンが来た』は来週の土曜日に再放送があるんだ。

b0061413_914076.jpg 昨日のことを、これから11時から法事がはじまる前までに急いで書いているので、どうも写真と文章がズレてしまっているが、2枚目の写真は最初に上がった菊の花を形どった追悼の花火である。長岡空襲、中越大震災で亡くなられた方たちへの追悼の花火を最初に上げ趣旨を徹底している。しかも、その花火にパール・ハーバーと長岡空襲という太平洋戦争中の不幸な出来事を互いに友情をもって乗り越えて行こうということでホノルル市からの協賛も得ており、ホノルル市長もこの会場を訪れたという。大イベントであり、40種類ほどの大型花火の打ち上げ前にはそれぞれのスポンサー、協賛が広告的にアナウンスされるのであるが、しかし要所での趣旨の徹底が見事である。大花火大会が終わった後も集十万人が居たとは思えないほどに河川敷はキレイであった。「世界一であると言えるこの花火大会は、世界一であると胸をはって言える観客の皆さんによって成り立っています」というアナウンスも、なかなかニクイところをついてくる。私はアートというものについて、絵画や建造物という視覚を中心に訴えかけてくるものは時を止め、音楽のように聴覚に訴えて音が出ては消えていく世界というものは、録音物というものはあるにせよ時の流れやうつろいのなかにあるものであると思ってきた。しかし、花火というものがあったなぁ。スティービー・ワンダーの隠れた名曲に『リボン・イン・ザ・スカイ』という大好きな曲があるけれども、花火師さんたちはこの日の夜空に現れては消えていくリボンをかけてくれた。音楽をはじめアーティストたちは中世から近代に入るまでは芸術家というよりは職人であった。花火師さんのフルネームをアナウンスし、それを芸術として評価して花火師をアーティストとして育て上げようという運営姿勢というものも、何だか好ましく思った。いずれ世界が認めるアートとなりアーティストとなっていく予感がする。大規模な大会であり、もちろんド派手な演出もあるのだが、その根底を支えている運営趣旨には賛同したくなることが多かった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-08-04 10:22 | 草評


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