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2005年 03月 21日

四十九日について

お彼岸である。昨日や一昨日などは、やはり用事がたくさんあった。
今日は、ややホッと一息という具合だが、元々、こういうホームページの
更新というのは、暇だからするということでもないようだ。
色々と雑多なことをやっていて、ふと思いついたことを書きたくなる。

今日は、四十九日中の過ごし方について、色々と尋ねられる機会が多かった
もので、それについて書いてみたい。

具体的に尋ねられる内容は、遺族の方々が四十九日の間に大事な付き合い
のある人の結婚式に出席していいか、などの形をとって質問をされてくる。

その前に、昔の話をしてみたい。昔、と言っても、昔話のような漠然とした
昔である。とりあえず、有給休暇、連休・祝日、夏休みに加えて、日曜日が
休みという観念さえない時代の昔にさかのぼってみたい。

その時代、お正月は休みであっただろうが、四十九日というものが、公的な長期の
休みであった。つまり、農家であれば近所や遠い親戚などがチームを組んで、
職人であれば仕事仲間がチームを組んで仕事を代わり、遺族に長期の休み
を与えてきたのだ。つまり、日曜日を含めて「休暇」という観念がない時代でも、
死者を出した遺族には休みを与えたのだ。遺族は、まずそれまでの看病に疲れて
いる。肉親を失った精神的な痛みがある。それに加えて、慣れない葬儀を勤めた。
「喪に服する」というと非常に否定的な意味ばかりが強調されがちだが、そのような
状況の家こそ、ゆっくりと時間をかけて肉体と精神の傷を癒すと同時に、宗教的には
じっくりと時間をかけて亡き人を追憶していくという重要な期間であったのだと思う。

現代は親などの肉親を亡くした場合でも、多くの勤め先ではケース・バイ・ケース
ではあるものの「初七日が終わったら職場復帰」というところが圧倒的に多い。
これは、実際に勤め人であった時に親を亡くしたという経験がない私であるが、
相当にきついことであると思う。自分の心の奥底を揺るがしながら社会復帰を短期間
でしなければならない。そこで、普段は理性的な人でも、その自分の心の揺れによって
迷信が入り込む余地がとても大きくなる。そんな時、「亡くなった人がまだ成仏して
いないからだ」と第三者から言われたりすると、揺れる自分の心を亡くなられた方に
投影することによって、何となく納得したりする。

だから、四十九日の間はお祭りに参加してはいけない、というような話も、
かつての時代のところにさかのぼって考えてみれば、収穫祭の意味をもった
地域密着型のお祭りは準備が入念であった。そのような入念な準備に身も心も
疲れ切った者に骨を折ってもらうのは酷だったから休ませた。だから、準備を
休んだものはお祭りの本番も休んだ、というだけの話で、その意味を忘れて形
だけになった時に「祭りに参加してはいけない」というタブーだけが残った。

だから、四十九日中の結婚式への参加の話に戻って、その司会や
受付や運営などに関わっているのなら、身も心も疲れた状態なので外して
もらった方がいいと思う。だが、出席そのものについては、迷うぐらいならば
出席した方がいい。もしかしたら結婚した夫妻が海外勤務になって当分会えない
なんてことだって考えられる。それが、新たなストレスになるようなら迷わず
出席するべきだと思う。

四十九日の間は旅行してはいけないという決まりなどもない。
ただ、自然とラスベガスにギャンブル旅行に行きたいなんて人はまずいない。
温泉旅行だって、カラオケでバカ騒ぎしたいと思う人なんかもまずいないはずだ。
ただ、ゆっくりと温泉で身を癒し、静かに亡き人を憶念したいならば、そういう
温泉旅行などはむしろいいものではないかとさえ思う。

山登りが好きな人は、山に登ることが癒しになり、亡き人を憶念するという
ことになるのならば四十九日中でも別に登ってもいい。ただし、亡くなった
方が登山家で自分もプロの登山家なら別だが、そんな時に
チョモランマ(エベレスト)にネパール側からアタックしよう、なんて考える人は
いないと思う。

とにかく、今も世間では連休中(の最後)ということになるが、休みは経済上の
都合もあってとにかく増えたが、システム化された現代は、本当にいちばん
大事な肝心な時に休みを少ししかくれない、という問題に気がつくのでした。

マーヒー加藤   http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-03-21 22:52 | 草仏教


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